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白い孤影 ヨコハマメリー 増補改訂版 の商品レビュー

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2024/08/18

●著者自身の手による解説●  本作は増補改訂版になって確変した。巻末で告げられた「ヨコハマメリー学」を誕生させることによって、著者は白い孤影の神話を横浜から卒業させたのである。  彼女を知る人々からの聞き取り、彼女の故郷での3度にわたる取材などノンフィクションの作法は押さえられ...

●著者自身の手による解説●  本作は増補改訂版になって確変した。巻末で告げられた「ヨコハマメリー学」を誕生させることによって、著者は白い孤影の神話を横浜から卒業させたのである。  彼女を知る人々からの聞き取り、彼女の故郷での3度にわたる取材などノンフィクションの作法は押さえられている。しかしナラティヴな記述/表現にとどまらず、第三部において神話の解体、メタな視点からの事象の再コンテキスト化といった作業も行なわれている。社会学やリサーチ・ベースド・アートではありきたりだが、通常のノンフィクションではあまり目にしない手法だ。平均レベルの書評家であれば、お手上げだろう。概要を書いてお茶を濁すしかない。「メッタ斬り」で有名な豊崎社長のような論じ手だったら、どう反応するのか。興味は尽きない。  知識人は、彼女の物語を通俗的な人情物語だと捉えているようだ。しかしエヴァンゲリオンやナウシカ、ゴジラなどが学際的に研究されるご時世である。メリーさんが学問になっても不思議ではないだろう。  ヨコハマメリーは戦争の犠牲者……それは本当なのだろうか? 著者は「もし平成生まれだったとしても、彼女は似たような生き方を選んだのではないか」と書く。  横浜育ちの作家・角田光代がエッセイで書き記しているように、かつて彼女は口裂け女と同じような扱いを受けていた。不気味がられていたのだ。しかしその記憶は抹消された。メリーさんが受け入れられたのは、下地となる歴代の外国人船員専門娼婦の記憶が横浜で共有されていたからだが、いつの間にかその件も人々の記憶の外に追いやられた。彼女に対するイメージも評価も移ろい続けている。  元々彼女は横浜と縁もゆかりもない流れ者だった。彼女の足跡をたどり、故郷に足を運ぶと居場所を失い遁走した人だということが分かる。各地を転々とした揚げ句、横浜にたどり着いたのだ。それが都市の記憶と結びついて、都合の良い物語として整えられた。その過程は壮大な不条理劇である。根拠のない噂をさも事実であるかのように拡散してきたマスメディアの責任も重い。しかし今まで誰もそこに思い至らなかったのはどうした訳か。著者はバブル期に一世を風靡した「一杯のかけそば」ブームと比較までしている。  彼女が横浜に留まり続けたのは、単純に故郷・岡山県の人と会う確率が少なかったからだろう。外国人を相手に娼売できるという点も気に入っていたと思う。しかし横浜を愛していたかというと、どうだろう。彼女が愛していたのは故郷だけだったという気がする。  彼女は自分が噂の的になっていることに気付いていたはずだが、沈黙を貫いた。もし少しでも抗議の声を上げていたら、彼女は伝説にならなかっただろう。彼女の伝説は「こうあってほしい」という我々自身の願望が時を経て形になっていったものである。美しいが真実味は薄い。  増補パートの3万文字は読み応えがある。特に谷崎潤一郎〜白い服と白塗りのくだりは、各方面の識者が参照して白熱した議論を展開するに足るだけのポテンシャルを秘めている。つまり思考を巡らせながら読む本だと言える。その一方、小川洋子や澁澤龍彦が好きな読者にも本書の世界観はアピールするだろう。  著者の関心は生身の彼女のみならず、なぜ有名になったのか、なぜメリーと呼ばれるのか、といった伝説の背後に寄せられている。そこから見出せるのは、平安時代から続くナラティヴとの関連性であったり、日本の典型的説話との類似性であったりする。温故知新。横浜のローカルな物語だと思って敬遠している知識階層にこそ読んでほしい1冊だ。

Posted byブクログ