フェミニスト、ゲームやってる の商品レビュー
「ゲームは目に悪いからあまりやってはいけない」という家庭で育ち、真剣に取り組んだゲームは"実況パワフルプロ野球00開幕版"が最後。ジェンダーに関しては、気にはなっていたものの、特にこれまで具体的なアクションをとったことはなかった。 そんな私が、知り合いから勧...
「ゲームは目に悪いからあまりやってはいけない」という家庭で育ち、真剣に取り組んだゲームは"実況パワフルプロ野球00開幕版"が最後。ジェンダーに関しては、気にはなっていたものの、特にこれまで具体的なアクションをとったことはなかった。 そんな私が、知り合いから勧められて読んだ本書。正直、現在のゲーム市場の広さに、最初の数章は何度かくりかえして読まないと理解が追い付かなかった。 しかし、様々な性自認を持ったキャラクターが登場するゲームがあったり、マイノリティの立場にある人が普段どのように感じているのかを追体験できるゲームがあったり、「目が悪い」と片付けるには勿体ないと思う作品もいくつか見つけられた。 そういえば”パワプロ”のサクセスも、(別に批判しているわけではないが、)プレイ期間中に付き合う可能性があるのは”彼女”のみであった。
Posted by
普段ゲームを全くやらない人間(昔はやってた。いまはたまにゲーム実況を見る程度)ですが、興味を引かれて読んでみました。 ゲームって異性愛規範やマチズモ要素が強いイメージがありましたが(特に日本のファンダムを観測しているとそう感じる。ポリコレに強い抵抗を示すユーザーが一定数いるイメー...
普段ゲームを全くやらない人間(昔はやってた。いまはたまにゲーム実況を見る程度)ですが、興味を引かれて読んでみました。 ゲームって異性愛規範やマチズモ要素が強いイメージがありましたが(特に日本のファンダムを観測しているとそう感じる。ポリコレに強い抵抗を示すユーザーが一定数いるイメージ)、最近のゲームはこんなにクィア的なものがいっぱいあるんだなぁと思いました。 決して全てが完璧ではないけれども、クィアなキャラたちをどんどん出していこうとする意欲持ったクリエイターやスタジオが増えているということには希望を感じます。 そして、ゲームの良さとして著者は現実と距離を取れることだと言います。酷い差別を目にすることもまだまだ多い世界で、ゲームの中で現実の世界の問題を自分でコントロールできたり、距離を取って思考できるという利点がゲームにはあるという指摘になるほどと思いました。 紹介されたゲームの中でやりたいと思うものがいくつもあったので久々にゲームをやりたいな、と思いました。
Posted by
この著者の視点でゲームを見ることで、ゲームが全然違ったものに見える。ピクミンとかスプラトゥーンとか超ヒット作でさえも、こんな見方があるのか。(どっちもプレイしたことはないけど。)そして、最後まで読むとゲームを作りたくなる。ゲームの可能性は無限大だ。
Posted by
自分が感じていたいろいろな違和感を思い出したり、知らないゲームに心ときめかせたりさせてくれたり…いろいろなかたちで、「これからも、ゲームをプレイしていっていいんだ」と思わせてくれる本。 本書の「おわりに」には、フェミニストとしてゲームをプレイし語ることの困難について、次のように...
自分が感じていたいろいろな違和感を思い出したり、知らないゲームに心ときめかせたりさせてくれたり…いろいろなかたちで、「これからも、ゲームをプレイしていっていいんだ」と思わせてくれる本。 本書の「おわりに」には、フェミニストとしてゲームをプレイし語ることの困難について、次のように書かれている。「ちょっとしたことにも罵詈雑言が飛んでくるような状態ではフェミニストとしてゲームをプレイすることを発信したり語り合ったりするのは難しい」(p303)。――どの程度の人たちがこの言葉に共感するかはわからないが、私自身そのような困難を感じてきた者の一人だ。 どんなに、「わたし」という個人のゲームプレイの経験を語ろうとしても、その声や語りがまったく届かない。いつの間にか、それはゲームというコンテンツの話になっている。いつの間にか、標準的で成功的なプレイが前提として語られ、その視点のみで、特定のゲームの意味や価値が語られてしまう。そのことが、ずっと自分のなかに違和感として残り続けていた。 以前、デジタルゲーム関連本ビブリオバトル(https://kimilab.hateblo.jp/entry/2023/05/10/213255 )は、まさにそのようなものだった。ある特定の個人にとってのプレイ経験やその語りの価値について話したいのに、それが話す価値のないものとして否定されてしまう。そんな言説空間は、確かに存在しちえる。 本書が『ピクミン4』のプレイを断念した経験に基づくゲーム批評(「かくして私は収奪と救済に失敗する」)から始まるのは、いろいろな意味で、示唆的だ。 このゲーム批評の存在が高らかに宣言するように、プレイに「失敗」するのも、途中で断念することも含めて、すべてがゲームプレイという実践であり、そのゲームプレイが達成された、というそのことそれ自体が、そのゲームの意味であり価値でありえるのだ。本書は、このようなかたちで、個人が行うあらゆるゲームプレイの実践とそこから見出される意味、それについての語りを、全面的に肯定してくれているように思う。
Posted by
フェミニストゲーム批評ですか。いろんなゲームがあるなあ。有力ゲームにつては、もっと細かく批評してみてほしかった感じはある。
Posted by
- 1