北斎と広重 冨嶽三十六景への挑戦 の商品レビュー
岡山県立美術館で開かれている「北斎と広重 富嶽三十六景への挑戦」展を観てきた。長期閉館している東京江戸博物館の展示品を近場で観ようというぐらいの軽い気持ちでで入ったら、富嶽三十六景全46図はあるわ、広重の有名どころは勿論のこと、10歳安藤徳太郎(歌川広重)の富士の素描画も置いてあ...
岡山県立美術館で開かれている「北斎と広重 富嶽三十六景への挑戦」展を観てきた。長期閉館している東京江戸博物館の展示品を近場で観ようというぐらいの軽い気持ちでで入ったら、富嶽三十六景全46図はあるわ、広重の有名どころは勿論のこと、10歳安藤徳太郎(歌川広重)の富士の素描画も置いてあるわ、でとっても充実した展覧会だった。 しかも珍しく写真OKで、たくさん撮った。「広重ぶるう」という色が有名らしいが、富嶽三十六景はベロ藍と呼ばれる舶来の顔料プルシアンブルーを多用した藍摺絵だった。そういえば、ホントに深い藍色がシリーズの基調になっていた。 北斎が富嶽三十六景を描くまで、どのような準備をしていったのか、詳細に展示しているのが今回展示会の特徴。北斎は山東京伝、曲亭馬琴の読本の挿絵を実に実に多く描いている。何冊も何冊も置かれていた。縮刷という技術はないから、あの細かい線を絵を全部北斎が描いたのだ。馬琴「椿説弓張月」で、琉球王国編で為朝の敵になる道士がミズチの塚から誕生するシーンがある。ピカッと光ってみんな飛ばされていて、現代のマンガでもありそうな場面だけど、漫画家がA3以上で詳細に細かく描いても、おそらくここ迄の迫力と細かさは出ないだろう凄い絵だ。それを23×16センチの中に納めている。この、人をビックリさせる絵柄は確かに三十六景に生かされただろう。 北斎が富嶽三十六景を刊行始めたの1831年72歳の時だった。この時広重35歳。次の年に広重は、本来の(嫌々ながらも本業だった)定火消同心の職を弟に譲る(つまり、広重は立派な侍だった)。1834年(天保5年)、東海道五拾三次のシリーズを始めた。単にその場所の景色を描くだけでなく、四季や時間の移ろい、天候、旅ゆく人の心象までも盛り込んだ新しい風景画を生み出した。と、言われている。目を更に近づけて見ると、人々は、表情が全くなかった北斎と比べると、ほんの微かに感じる程度表情がある。そして生活感は確かにある。 コラムには、北斎は大の甘党、広重は多分酒飲み、そして煙草を嗜んでいた、と少し意外な一面を書いている。北斎の家に訪問の際には必ず大福餅を七つ八つ持参したらしい。広重の酒飲みの記述はないが、好みの食べ物は酒の肴になったりグルメばかり。また、遺愛の品には煙草入れがある。 広重「名所江戸百景 市中繁栄七夕祭」(安政四年1857)は、遠くに見える富士、手前の華やかな七夕飾り、そして昔の職場である定火消屋敷の火の見櫓が見れる。2年前には安政の大地震があり、この辺りも火が迫ったのではないか。このシリーズは、大地震から復興する江戸の町がテーマだった。七夕祭は今回1番気に入った絵である。 歌川広重、数年前までわたしは安藤広重と呼んでいた。私の年頃はみんなそういう風に覚えているはずだ。広重が北斎に対して思う複雑な気持ちは藤沢周平「溟い海」に描かれている。この頃は安藤広重だった。 会期 中之島 4月13日〜5月26日 岡山 6月7日〜7月7日 大分 7月26日〜9月8日 おまけ 美術館を後にしてオリエント美術館に行けば、2階に喫茶「イブリク」がある。ここは珍しい珈琲粉を沈めて飲むアラビックコーヒーを飲ませてくれる岡山県唯一の珈琲屋さん。今回「トルコ式コーヒー占い」があることを知った。飲み終えたコーヒーカップの縁に、ソーサーをかぶせてひっくり返し、カップの底に指を乗せてお祈りをする。カップの中を見て、底から広がったコーヒーの粉の流れを方で占うというもの。「飲み口に流れていた」ので、「直感を過信せず、結論を急がずじっくりと考える」と、なりました。味は、ホントに砂糖を入れてないかと思うくらい甘かった。
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