アンゴルモア 元寇合戦記 博多編(第九巻) の商品レビュー
文永11年10月23日、博多から退却した日本軍は大宰府手前の水城で蒙古軍を迎え撃つ。その中で、迅三郎たちは奇策をもって蒙古軍本陣に斬り込み、中軍大将ガルオスをあと一歩のところまで追い詰めた。更に日本軍には南九州からの援軍が到着し、それを目にした蒙古軍も一旦陣を引いて博多、麁原山か...
文永11年10月23日、博多から退却した日本軍は大宰府手前の水城で蒙古軍を迎え撃つ。その中で、迅三郎たちは奇策をもって蒙古軍本陣に斬り込み、中軍大将ガルオスをあと一歩のところまで追い詰めた。更に日本軍には南九州からの援軍が到着し、それを目にした蒙古軍も一旦陣を引いて博多、麁原山からの援軍と合流する。かくして、翌24日には集結した両軍が大宰府手前で激突するのである。実は、通説ではこの戦いはなかったことになっている。何故なら、蒙古軍は10月20日の鳥飼潟の戦いの後に暴風雨に遭遇し、翌朝には姿を消したというのだから。本書ではさすがにそのような不自然な通説には拠らず、しっかりと『関東評定伝』の記録を引用して激しい戦いを描いている。すなわち、「文永十一年十月五日、蒙古異賊寄せ来り、対馬島に著して少弐入道覚恵代官藤馬允を討つ。同廿四日、大宰府に寄せ来り、官軍と合戦して異賊は敗北せり」と。まさに鎌倉武士の面目躍如と言ったところか。
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あらためて、アンゴルモアを読むと、元の軍隊はかなり内陸部まで上陸していることに驚きを禁じ得ない。太宰府まで選挙されていたら、どうなっていたかと考えると、けっこうぞっとする。
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7巻から一気読み。 防衛戦の舞台の、この”水城”ですが。懐かしや里中満智子先生の ”天上の虹”の序盤でその存在を知って以来、 「その跡地はどうなったんだろう・・・」と何気に疑問だったんですが 謎が解けた!w ちゃあんと役に立ってたんだなあ~、 さて、今後の展開は?
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