マリーナ バルセロナの亡霊たち の商品レビュー
・ カルロス・ルイス・サフォ ン「マリーナ バルセロナの亡霊たち」(集英 社文庫)の「訳者あとがき」によつてこの物語の粗筋をできる限り 短い言葉で言へば、「ゴシック・ロマンの香りが全編ただよう本作 は、ミハイル・コルベニクなる人物をめぐる謎追いを経糸に、オス カルとマリーナの友愛...
・ カルロス・ルイス・サフォ ン「マリーナ バルセロナの亡霊たち」(集英 社文庫)の「訳者あとがき」によつてこの物語の粗筋をできる限り 短い言葉で言へば、「ゴシック・ロマンの香りが全編ただよう本作 は、ミハイル・コルベニクなる人物をめぐる謎追いを経糸に、オス カルとマリーナの友愛を緯糸にして、一九七九ー八〇年の『現在』 と、その半世紀まえの『過去』の逸話を行きつ戻りつしながら紡が れていく。」(309頁)。主たる物語はミハイルだが、そこにオ スカルとマリーナが絡むといふことである。これを物語巻頭の文章 から引けば、「時という大洋がそこに埋めた思い出を、遅かれ早か れ返してくるなんて、あのころのぼくは知らなかった。十五年後、 あの日の記憶がぼくにもどってきた。(中略)魂の屋根裏部屋に鍵 をかけてしまいこんだ秘密を、ぼくらの誰もがもっている。(原文 改行)ぼくにとっては、この物語が、まさにそれなのだ。」(15 頁)といふことであらう。最後になつてやつと気づくのだが、これ はオスカルの言はば手記であつた。その「謎追い」の経糸が極めて おもしろい。 ・オスカルがマリーナの屋敷に侵入したのをきつかけに2人は友人 となる。その後、実にいろいろなことが起きる。そのどれもが「ゴ シック・ロマンの香り」である。マリーナの屋敷で事件は起きない が、しかしその香りは十分である。鉄柵の「門のむこうには何十年 も置き去りの雰囲気の古風な庭の名残がひろがり、茂みのあいだに 二階建ての館のシルエットがうかがわれた。陰気なファサードがそ そりたち、長年で苔むした彫像たちの噴水が手前にある。」(19 頁)その家で最初の事件は起きた。と言つても、これが2人の出会 ひにつながるだけのこと、事件といふならば、逃げ出す時に「途中 で蓄音機にぶつかって倒してしまった。」(22頁)ことぐらゐ で、この先に起こる事件に比べたら全くたいしたことではない。マ リーナの屋敷に入つた理由を問はれて、オスカルは「謎めいてたか ら、かな……」(36頁)と答へる。初めから謎であつた。最後に 王立大劇場が舞台となる。「永遠につづく誰もいない平土間のうえ で巨大なシャンデリアが訪れることのない電気の接続を待ってい た。」(224頁)り、「一階席の中央通路に敷かれた幅広いじゅ うたんは行きつく先のない永遠の道のりを紡いでいた。」(225 頁)つまりは廃墟である。使はれることなく廃墟と化した歌劇場で ある。これもまたゴシック・ロマンにふさはしい。ここで起きる出 来事、いや事件は、事件といふだけでは足りないであらう。それほ どの事件である。1つだけ書いておけば、ここで恐怖をもたらすの は、いはばフランケンシュタインの創造物もどきである。これもも ちろん謎である。この物語の場所は廃墟の如きがほとんどである。 現在生きてゐてミハイルを語る人達は普通に暮らしてゐるが、話の 中に出てくるのは廃墟か廃墟もどきであり、そこは謎に包まれてゐ る。ゴシック・ロマンの香りはさういふ中から漂つてくる。これが 経糸である。おもしろい。これをあまりに型通りすぎると言ふのは 野暮であらう。ゴシック・ロマンとはさういふものだとサフォンが 考へてこの物語を書いたのかどうか。私は個人的にそのやうに読ん だ。巻頭にサフォンの「親愛なる読者へ」といふ文章がある。その 一節、「書き進めるにつれて、この物語にあるすべてに別れの味が しはじめた。」(10頁)確かに別れの物語かもしれない。「十五 年後、あの日の記憶がぼくにもどってきた。」それに別れを告げる ためにぜひとも必要な物語であつた。もしかすると、そこにオスカ ルの大人になる時間があるのかもしれない。
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サフォンの〈忘れられた本の墓場〉シリーズにも通ずる、冒険、ミステリ、ロマンス……そして怪奇小説の要素も混じった世界。自然の摂理に背いてでも、愛するものを取り戻そうとしたコルベニクの執念も、それを理解してしまったオスカルの苦悩も、“叶わなかった愛”故のことだったのだと思う。
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