双葉町 不屈の将 井戸川克隆 の商品レビュー
どんなにひどい目にあっていようとも、原理原則にこだわり続ければ「大人げない」とされてしまう。日本社会に限ったことなのかそうでないのかわからないが、やり切れない思いはある。「正論だ」 と認めつつも、自分は戦おうとしなかったり、冷笑的であったりする大多数に苛立つ気持ちもわかる。多くの...
どんなにひどい目にあっていようとも、原理原則にこだわり続ければ「大人げない」とされてしまう。日本社会に限ったことなのかそうでないのかわからないが、やり切れない思いはある。「正論だ」 と認めつつも、自分は戦おうとしなかったり、冷笑的であったりする大多数に苛立つ気持ちもわかる。多くの人の協力を得るには、今の社会に合ったそれなりのやり方があるのだろうが、そんなことはできないし、やりたくもない。著者は、城山三郎が『辛酸』で描いた田中正造と井戸田克隆を重ねて見るが同感だ。また、足尾鉱毒事件での谷中村の扱いと福島原発事故の双葉町の扱いはなるほど同じだ。
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東日本大震災での原発事故で全町避難を余儀なくされた双葉町の元町長・井戸川克隆が、 双葉町民の権利を守るため東電、国、現双葉町長とう姿を描いたドキュメンタリー。 彼は別に私利私欲で闘っているのではない。金儲けのためではない。 ただ、双葉町民をもとの暮らしに戻せ、といっているだけ。...
東日本大震災での原発事故で全町避難を余儀なくされた双葉町の元町長・井戸川克隆が、 双葉町民の権利を守るため東電、国、現双葉町長とう姿を描いたドキュメンタリー。 彼は別に私利私欲で闘っているのではない。金儲けのためではない。 ただ、双葉町民をもとの暮らしに戻せ、といっているだけ。 それは当然の権利。 原発事故さえなければ何も変わらなかった。 でも町のために原発設置を認めたではないか、と反論が来る。 それに対し事故が起こることは100%ない、と騙されていたからだ、と返す。 さらに原発がなければ町は立ちいかなかったのでは?と第三者が聞く。 では日本中の村や町が原発なしでは立ちいかないのか、と返す。 自分で考え、闘う人なのだ。 著者がこの本で描きたかったのは、実は井戸川の闘いではなかったのではないか、 と読み進めるにつれ思うようになってきた。 本来井戸川と共に戦う二間兆民仲間で作った双葉町中間貯蔵施設合同対策協議会(双中協) のメンバーが、完全に井戸側におんぶにだっこで、 この双中協がただの勉強会の場になっている様子を示すことで、 多くの人間は自分の頭で考えない、闘えない人たちであることを浮き彫りにしているように見えた。 井戸川がいない東電や国との会合では、完全に言いくるめられる人たち。 自分で考えていないから何も言えなくなる。感情論だけになる。 仕方ない、と思ってしまう。 この場合多くの人、というのは双葉町民のことだけではない。 日本人全般だ。 ここで日本人の特性は、、、などといいたくはない。まして農耕民族特有の従順さ、、 などとまとめたくはない。 しかし、今の自民党の体たらくにもかかわらず、 次の選挙に多くの人は投票に行かず、結果的に自民党を信任してしまう図式が、 この、故郷を追われた双葉町民に被って見えてならない。 あきらめてしまうのだ。 自分で考え、自分の立場を守るための闘いをしないのだ。 日々100円、10円の節約をせざるを得ない人たちが、 国から年間1億もらいながら、なお裏金を扱おうとする国会議員を許していいわけがない。 ・・・まあ次の選挙はさすがに彼らを排除してくれるだろう、という淡い期待を持ちつつも、 投票に行かなければ、利害関係が一致する連中だけの投票で、今までと変わらない結果になるのは 目に見えている。 安倍首相の「悪夢の民主党政権」というネガティブキャンペーンはいまだ有効で、 政権交代アレルギーもある。 やってる施策がうまくいかなければ、頭をすげかえればいいだけのことなのに。 話はそれてしまったが、 そう、この本は、闘う井戸川、闘わない双葉町民、そのコントラストを描いているといえよう。 むろん東電、国、そしていまや国の見方となった双葉町の、町民を切り捨てる残酷さも表しているが。 なんで日本は体制ばかり活かして、市民を犠牲にするのだろうか。
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