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キリスト最後のこころみ の商品レビュー

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2件のお客様レビュー

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2013/12/23
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※このレビューにはネタバレを含みます

 私が今まで読んだイエス伝の中で最も壮絶な物語だった。たとえそれが想像、創作による部分が大きかったとしても。はみ出したイエスを描いたということでカトリックでは禁書になり、著者のカザンザキスの死に際して、故郷ギリシャの教会は葬儀を拒否。その墓にも糞尿が撒かれることもあったとある。信仰とはなんであるかと考えさせられる。少なくともカザンザキスは気高きキリスト者であったと思う。ここまでイエスの心に接近することは並ならぬことである。イエスを思い涙を流しながら執筆したとある序文は真実であろう。  大きく見れば、福音書の流れに沿ってイエスの生涯と十字架による受難を記している。しかし、内容にはかなり脚色が施されている。登場人物の相関関係も必然的に接近させているし、福音書にはない役割も多々与えている。バラバ、キレネ人シモン、ゼベダイ、マグダラのマリヤ、シメオン。特にイスカリオテのユダは裏切り者ではなく、イエスの真の理解者として描かれている。しかしそれであっても我々の心に訴える力を保ち得るのは、この物語の主要部分がイエスの心情だからである。  若き大工として登場するイエスは、ローマからの解放の旗手として、あるいはメシヤではないかと言われていたゼロテの磔刑に携わる。ローマの手先となり、ユダヤの解放者を殺す手助けをするものとして、人々から疎んじられる。しかしイエスはそのことを進んで行おうとする。神に対する反抗のためである。幼き頃からイエスの心にせまる神の声。自らの願いに従い生きることのできない、ぬぐい去れない使命感から逃れようと、神の忌む行いを進んで行い、神が自らを捨てるようにと苦しみながら生きるイエスである。しかしいつまでも逃れることのできないその声に苦しみながら、砂漠において修道の生活をするようになる。その中で自らの使命と向き合い、メシヤとしての生き方を選ぶようになる。  弟子を少しずつ呼び集めるイエス。しかしどこまでも愚かな弟子たち。しかしユダだけは、ゼロテとして生き、ユダヤの解放に自らの命を捧げていたので、イエスを恨む思いからその後について回り、最後にはイエスの真の使命を助ける役割まで果たす。  自らの命を捧げることを生涯の到達点と悟ったイエスは、苦しみに喘ぎながらも最後の晩餐を過ごし、弟子に秘蹟を与え、ゲッセマネでの祈りにおいて心を定め、ピラトの裁判も越え、十字架にかかっていった。「キリスト最後のこころみ」とはここからのことである。十字架上で「エリ、エリ・・・」といったところで意識が飛び、気づいた時には全く別の開けた明るいところに横たわっていたイエス。横には微笑みの天使と、愛する妻がいる。そして家庭を持ち多くの子供にも恵まれ、大工の棟梁として幸福な生活を送るようになる。年も重ね幸福を噛み締めているところに、かつての弟子たちが押し寄せる。懐かしい顔ぶれに喜ぶイエスだが、その顔はどれもくたびれ視線を落とし、途方にくれている。その中でイスカリオテのユダだけは別だった。ユダはイエスに叫ぶ。「裏切り者!脱走者!俺はお前を信じてすべてを捨てて進んできた。そのために十字架の手助けもしたんだ。しかしお前は十字架を前にして逃げた!裏切り者!」その言葉を聞きながら、イエスは自身のメシヤとしての使命を力強く思い起こした。「エリ、エリ、レマサバクタニ!」(神よどうして私をお見捨てになられたのか!)とイエスは叫んだ。そして次の瞬間、十字架に貼り付けになっている自身に気づくイエス。幸福な家庭も、穏やかな生活も全ては悪魔が最後に見せた試みであった。人間として殺そうと最後に誘惑を仕掛けた悪魔に対して、あくまでも神の子としてメシヤとして死んでいったイエスの生涯の物語であった。  これが真実であるとは誰にも言えないし、しかし、嘘であるとも言えない。ただ人間として生きたイエスにこのような誘惑があったであろう、普通の人間としての喜び、家庭における幸福を願う誘惑があったであろうと想像することは出来る。そしてそれは確信に近い思いである。肉体を持っていたとしても、いかなる誘惑にも心動かされない人間であればそれほどに険しい道ではありえないだろう。しかし私たちと同じ希望と願いを持ち、人間の幸福に心惹かれる感性をもつ人間が、そのような道を行くことがいかに難しいかということは自明である。そこに感謝が芽生え、愛の偉大さが浮き彫りになり、贖罪の可能性を見つけることができるのではないだろうか。

Posted byブクログ

2009/11/16

11月16日読了。映画「最後の誘惑」を公開時に見て感動、というか、感心というか納得というか、ナニか得たと思ったのだけど、原作があるのを知らなかったのです。ここへ来てたまたまこの本を図書館で見つけて借りて読みました。ああ、借りてる場合じゃないなぁと思う。何度か読み返したくなる本。キ...

11月16日読了。映画「最後の誘惑」を公開時に見て感動、というか、感心というか納得というか、ナニか得たと思ったのだけど、原作があるのを知らなかったのです。ここへ来てたまたまこの本を図書館で見つけて借りて読みました。ああ、借りてる場合じゃないなぁと思う。何度か読み返したくなる本。キリストその方にとても興味があるし、こういう本なんかを読むとキリストのあり方に感動するのだけれど(実は映画「パッション」も見ている)、だからってキリスト教徒ではないワタシ。。。DVD買おうかな。パッションは怖くて買えないけど。

Posted byブクログ