ケアの倫理 の商品レビュー
ギリガンをアメリカ・フェミニズム思想の文脈に位置づけながら、ケアの倫理とはラディカルな政治構想であることを力説。ケアの倫理とそれを起点とする政治思想は、フェミニズムがはじめてオリジナルに生み出した政治思想。
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「女らしさ」ゆえにケアを担わされてきた女性たち。フェミニズムについて、ケアの視点から論理的に分析している。
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このところ利他とかケアとかというキーワードを書名に掲げる本をこの本棚に登録しています。積み上がる一方ですがなんとなく読んだりもしています。同じようにジェンダーとかフェミニズムとかについての読書もそろりそろりとしています。ということで「ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想」このビッグ...
このところ利他とかケアとかというキーワードを書名に掲げる本をこの本棚に登録しています。積み上がる一方ですがなんとなく読んだりもしています。同じようにジェンダーとかフェミニズムとかについての読書もそろりそろりとしています。ということで「ケアの倫理ーフェミニズムの政治思想」このビッグワードがクロスする、なんかでっかいタイトルに惹かれこの新書に取り組みました。なかなかキツかったです。キツイけれど読むの止められませんでした。止められないけど受け取りきれませんでした。頭ではそうですが、なんとなくお腹の辺りがゾクゾクする感覚を得ました。読み進めるにつれ利他とかケアとかジャンダーとかフェミニズムとか…今まで気にしていた言葉がプラスティックワードのようにしかわかっていなかったような恥ずかしさを感じました。ここにあるのは女性たちがいかに自分たちの存在を社会に位置付けるために挙げつづけ来た声の歴史です。それを1982年のキャロル・ギリガン『もうひとつの声でー心理学の理論とケアの倫理』という本からスタートさせます。そこには「ケアの倫理」と「正義の倫理」の対立軸をどう乗り越えていくのか、具体的には中絶問題への向き合いなど壮絶なフェミニズムの戦いなのでありました。それはリベラルな正義論への批判でもあるのです。(実はここんところが一番エモいところです。)資本主義の収奪の資源としての女性という仕組みを超えて、民主主義を生き返られるのはケア化することだというジョアン・C・トロントのメッセージまで至る論考のバトンリレーが超ダイナミック。そこにはコロナ禍体験や世界紛争を踏まえての主張があります。と、いうことでトロントの『ケアリング・デモクラシー』を「読みたい」で登録しておきました。(いつになるかわからないけど…)それにしても今、やっている選挙のポスター掲示板の選択肢のない感じが悲しいです。「この世界で、できるかぎり善く生きるために、この世界を維持し、継続させ、そして修復する」ケアから始める民主主義、誰に投票すればいいのだろう…
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育児、教育、医療、障碍者福祉、介護など、今の日本はどのケアの現場も強烈な人手不足。 将来的にも解消されていく見込みもない。 膨らんでいく焦りや恐れに対する何らかの処方箋はないものかと本書を読んでみる。 もちろん、ケアの「倫理」なので、今すぐにできる何かを説くものではないとはわかっ...
育児、教育、医療、障碍者福祉、介護など、今の日本はどのケアの現場も強烈な人手不足。 将来的にも解消されていく見込みもない。 膨らんでいく焦りや恐れに対する何らかの処方箋はないものかと本書を読んでみる。 もちろん、ケアの「倫理」なので、今すぐにできる何かを説くものではないとはわかっているが。 ケアをめぐって明らかになる、人間社会の在り方、政治の在り方を考える。 それが「ケアの倫理」ということのようだ。 ギリガンの『もう一つの声で』が、この分野の原典であり、重要な著作だとのことで、著者はこの本が書かれ、受容されていく経緯を丁寧に跡付ける。 たしかに、歴史的にはフェミニストたちが問題として立ち上げ、論じるべき問題として精緻化したことは間違いない。 が、正直に言えば、読みながら少しいらいらしてしまった。 どちらかといえば、彼女たちが切り開いた議論の現時点が早く知りたかったからだ。 だから、より興味が持てたのは5章以降だった。 ケアの倫理が目指す社会は、ケアを担う人が労働生産性が低いという理由で排除されない社会。 相互依存に積極的に価値を認める意識を広める。 ケアを担う人のケアを誰かが担う、ケアの関係が連鎖するように社会制度を設計する。 そうすることで、ケアを受ける人がケアを担う人との力関係の中で暴力にさらされる可能性は低くなる――。 ケアを性的なつながりのあるカップルを中心とした人間関係に限定する必要さえない、という、マーサ・ファインマンの議論にも目を披かれる思いがした。
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成熟した人間が体得するとされる「普遍的な」正義論が、ケアを受けることを当然視し、なおかつその価値を貶めてきた者たちの視座から構築されたのだとしたら? 新型コロナウイルス禍を経て、ケアの重要性を実感したわたしたちは、「もうひとつの」正義論に向かわないといけない。全編を読み通し理解...
成熟した人間が体得するとされる「普遍的な」正義論が、ケアを受けることを当然視し、なおかつその価値を貶めてきた者たちの視座から構築されたのだとしたら? 新型コロナウイルス禍を経て、ケアの重要性を実感したわたしたちは、「もうひとつの」正義論に向かわないといけない。全編を読み通し理解するには、かなり骨が折れる本ではあるが、実に現代的な、アクチュアルな本であることは間違いない。
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フェミニズムを深く研究し、広め、そして社会運動に参加する著者だからこそ、男性の理論で構築された社会のなかで、女性たちが自らの声で語り、自らの経験から編み出したフェミニズムの政治思想、ケアの倫理を重層的に論説する。ケアの倫理とは、女性たちの多くが家庭生活にまつわる営み、すなわちケ...
フェミニズムを深く研究し、広め、そして社会運動に参加する著者だからこそ、男性の理論で構築された社会のなかで、女性たちが自らの声で語り、自らの経験から編み出したフェミニズムの政治思想、ケアの倫理を重層的に論説する。ケアの倫理とは、女性たちの多くが家庭生活にまつわる営み、すなわちケアを一手に引き受けさせられてきた社会・政治状況を批判することから生まれた、人間、社会、そして政治についての考え方、判断の在り方である。第1章から第4章までは、アメリカ合衆国が中心となるが、第二次世界大戦後のフェミニズム運動と、その経験から生まれたフェミニズム思想・理論のなかでいかに、ケアの倫理という新しい道徳が編み出されてきたかを多面的・複眼で検証する。第5章の「誰も取り残されない社会へ」では、「ケアする民主主義-自己責任論との対決」「ケアする平和論-安全保障論との対決」「気候正義とケア-生産中心主義と対決」など、社会・政治活動に関する行動提起を指し示す。終章では、コロナ・パンデミック後のケアに満ちた民主主義社会の在り方を提起する。全体を通じて、重厚な研究書であるが故に、挫けそうになる気持ちになりながら、読了後の充実感は半端ない。
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「脆弱性への注目こそが、ケアの倫理を社会構想へと導いていく」245頁。ここ数年コロナ禍、災害、紛争で、ケアの脆弱性を見てきており、誰もが傷つくことなく、誰かに過度な負担を強いることのない配慮とそのしくみづくりに関心と責任を持つことをあらためて意識させる本でした。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
自分がげっそりしながら投票していることの説明を始めて言語化してもらえたのがうれしかった。追っかけるのに相当な頭の体力がいる。それだけの価値が私にはあった。
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うーん。とても難しかった。 結局問題が大き過ぎて、どうしたらよいのかわからない。 ただ、「人が善く生きるには、ケアで満たされなければならない。」はその通りだなと思う。 じゃあ、誰がケアするのか。 今までは、家父長制と資本制の結託により女性が無償でそのケア業務を一手に担ってきたが...
うーん。とても難しかった。 結局問題が大き過ぎて、どうしたらよいのかわからない。 ただ、「人が善く生きるには、ケアで満たされなければならない。」はその通りだなと思う。 じゃあ、誰がケアするのか。 今までは、家父長制と資本制の結託により女性が無償でそのケア業務を一手に担ってきたが、今は多くの女性が有償労働に参加する。 子どもを生んだ後も、女性が稼ぎ続けることは、将来への安心にもつながるし、自立感も得られる。子育てに専念してお金を稼げないと、パートナーに稼ぎを依存する二次依存が発生するからだ。 ケアする人は、ケアするだけで大変だから、二次依存が発生するのもしょうがないとも言っている。 昔は稼ぎが一本でもなんとかなるだろうと思えたが、今はそう思えない。わざわざ自分から稼げる力を投げ出して子育てに専念するのも勇気がいる。 でも、それはそれで子育てに専念しなくて良いのかとの、葛藤もある。 それぐらいケア労働とは合理的ではないし、効率的なものでもないからだ。単純に子どもの成長を見守ることは大変だけれど楽しい、というのもある。 反対に、バリバリ働ける人というのは、陰でケアをしてくれる人がいるからであり、そのつながりで経済活動ができている。 つまり、 「ケアなしでは経済は成り立たない。」 「ケアと経済は切り離すことができない。」 「ケア労働は経済の一部であるどころか、狭い市場経済をむしろ支える、広範囲で多くの人びとによって担われている経済活動であると。」 だから、ケアの倫理から政治を見直す必要があるよねと。もう政治の話なので、政治・経済学部の人にも読んでほしい、、。 これからの社会を担う人を育む、労る、寄り沿うケア労働は、愛の労働という括りだけではなく経済活動なんだという言葉はなんだか嬉しかった。 そうだよねと、 母が「人を育てることは何より大事なことだ」と言っていたことを時々思い出すように、嬉しかった。 「何が正しいかを問うか」ではなく、 「どう応えるべきかを問うか」 「人はケアされないことによって傷つく。」 新しい人たち、赤ちゃんや子どものケアがやはり最優先と思ってしまう。 本最後に、コロナ禍についても触れている。 コロナ始まりの、高齢の政治家さえ未だマスクをしていない時期に、子どもへの一斉休校が要請されたことが、まさに政治がケアを安直にみている良い例だとの憤りにも触れていて、そこもなんだか忘れていた困惑、憤りを掬い取ってくれていて嬉しかった。 ちなみに、わたしはフェミニズムの意味さえしっかりと理解していなかったが、男性嫌悪、女性支持ではなく、すべての人間にとって、うんたらかんたらの話。 あまりそこはタイトルに引っかからずにいろんな人に読まれてほしいなとは思う。 でも、難しかった、、、。
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序 章 ケアの必要に溢れる社会で 第1章 ケアの倫理の原点へ 1 第二波フェミニズム運動の前史 2 第二波フェミニズムの二つの流れ――リベラルかラディカルか 3 家父長制の再発見と公私二元論批判 4 家父長制批判に対する反論 5 マルクス主義との対決 第2章 ケアの...
序 章 ケアの必要に溢れる社会で 第1章 ケアの倫理の原点へ 1 第二波フェミニズム運動の前史 2 第二波フェミニズムの二つの流れ――リベラルかラディカルか 3 家父長制の再発見と公私二元論批判 4 家父長制批判に対する反論 5 マルクス主義との対決 第2章 ケアの倫理とは何か――『もうひとつの声で』を読み直す 1 女性学の広がり 2 七〇年代のバックラッシュ 3 ギリガン『もうひとつの声で――心理学の理論とケアの倫理』を読む 第3章 ケアの倫理の確立――フェミニストたちの探求 1 『もうひとつの声で』はいかに読まれたのか 2 ケアの倫理研究へ 3 ケア「対」正義なのか? 第4章 ケアをするのは誰か――新しい人間像・社会観の模索 1 オルタナティヴな正義論/道徳理論へ 2 ケアとは何をすることなのか?――母性主義からの解放 3 性的家族からの解放 第5章 誰も取り残されない社会へ――ケアから始めるオルタナティヴな政治思想 1 新しい人間・社会・世界――依存と脆弱性/傷つけられやすさから始める倫理と政治 2 ケアする民主主義――自己責任論との対決 3 ケアする平和論――安全保障論との対決 4 気候正義とケア――生産中心主義との対決 終 章 コロナ・パンデミックの後を生きる――ケアから始める民主主義 1 コロナ・パンデミックという経験から――つながりあうケア 2 ケアに満ちた民主主義へ――〈わたしたち〉への呼びかけ あとがき
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