ジャイアント馬場16文キックの伝説 の商品レビュー
アントニオ猪木が亡くなって1年。映画「アントニオ猪木を探して」とか、集英社新書「アントニオ猪木とはなんだったのか」とか、あるいは未読ですがプチ鹿島の「教養としてのアントニオ猪木」とか、なんか自分なりの猪木論が誘発され始めています。それに触発されているのかいないのか…ここに来て19...
アントニオ猪木が亡くなって1年。映画「アントニオ猪木を探して」とか、集英社新書「アントニオ猪木とはなんだったのか」とか、あるいは未読ですがプチ鹿島の「教養としてのアントニオ猪木」とか、なんか自分なりの猪木論が誘発され始めています。それに触発されているのかいないのか…ここに来て1994年に出版された馬場の語り下ろし本「16文の熱闘人生」を一部修正の復刊です。なぜに?という疑問は脇に置いて、常に「語りたくなる」猪木に対して「見てるだけで十分」馬場の人生振り返りはかなり新鮮でした。『鶴田が「プロレスに就職するのに、馬場さんの会社を選んだ」と言ったには驚いたし、時代が変わったと思いましたね。』と言っていますが、自らも『そりゃあ、カッコいいことを言えば、「プロレスが好きですから」とか言いますよ。でも、だれもそんなきれいなこと言ったって、本音は自分の生活を豊かにしようというハングリー精神だと僕は思います。それ以外にないと思います。」とか言っていてあくまでプロレスは馬場にとっては職業だったのだと思います。全体に職業人=プロフェッショナルとしてのプライドが溢れていて、猪木に対する上から目線とかテレビ朝日に対する嫌みとか、ああ馬場らしいな、と思いました。中でも「自分が死んだら、何もかも全部三沢にくれてやる。だが、全日本の名前は使わせない」という発言の凶暴さは、全日本を分裂させたのは元子さんじゃなくて馬場本人の呪いだったのだと怖くなりました。猪木とは別の形で自分が好きで好きで堪らなかった人なのだと思います。
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