アンソロジスト(vol.6) の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
SNSきっかけで拝読。 自分は普段アマチュアで俳句を詠んでいる。どうにも季語が入った川柳のよう…と誰からも怒られそうな、いかにも形容し難い575を日々並べている(いやいや最早577がデフォルトだよ、と仲間からは笑われる) しかしながら、川柳は自分にとってはユーモアのある方々のフィールドで、自分は川柳と呼ぶにも恐れ多い、という引け目もありつつ。 ちゃんと川柳と向き合う機会が欲しかったので、入り口を見つけられて嬉しい。 しょっぱなから面白い。 -じいちゃんの苺をたのむ既読3 -ロング缶1本本日の墓標 芳賀博子 芳賀さん、特に好きです。画が浮かぶのと、日常のささいな人々の営みの生暖かさが切り取られて、いいなぁと思います。 -私も土を被せたひとりです いいなぁ。深くきかないでおこう、て思うけれど、気になる感じ。 北村幸子さんの -無力には浮力があってふと笑う -仮のままこんな沖まで来てしまう も好き。 冒頭かかえていた、俳句なのか川柳なのか問題。 川上三太郎(1891〜1968)さんは、俳句と川柳の境界を聞かれたときに、 「境界は俳句の方で決めてくれ、あとは全部川柳がもらう」 と答えたそう。 最高だ。もしものときはどうか もらってやってください。 渡辺隆夫(1937〜2017)さんは、 「川柳は何でもありの五七五」 とのことで。 自分、割と五七七とか字余っちゃうんですが、混ぜてもらっても大丈夫ですか? なんてばちあたりなことを思いながら、そんなに重くなかった肩が更に軽くなりました。 しかし、こう発言された方も。 石田柊馬(1941〜2023)さん 「川柳とは非詩である」 詩に非、なのですか、、であれば何なのだろう。 山本アマネさん「書痴メンデル」 -戦争という過ちを繰り返す世界の中にあって、本を作り、残すこと、また本を読むことは細やかな抵抗であり、救いなのだ。 表現すること、自らの言葉を残す行為は、社会彫刻であり、社会への細やかな抵抗でもあるのだ、と思った。 「いつかたこぶねになる日」で知ったファンになった、小津夜景さんの短編小説。 読めて嬉しい。 澄んだ透明感のある文体に、溶け込む心地で気持ちよかったです。 そして谷川さんの新たな文体回、わくわくと拝読。 冒頭は面白いくらいの情報波にぐっと押し返され、鮭の遡上ように喰らい付き進んでいき、水流が落ち着くと一気に潜り、引き込まれる。 ヤマザキOKコンピュータさんからスタートして、実質的アナキズムと繋がっていくのか。「存在しないものは作っていけばいい」、民藝的、とても共感。 ぐさりときたのは、「踏み絵など人に踏ませたくはないが、人の実存に関わる主題を「ネタ」や「嘲笑の宛先」にして構わないと考える人には自分の揺らぎや悩みを明かしたいとは思わないだろう」 自分自身もマイノリティの立場に立つこともあるから、気をつけているつもりではあるけれど、うっかり誰かを傷つけたり、無神経だと思われていることはないだろうか、と省みる。 日々を、顔の見える範囲の間柄との関係を、少しずつ実験的に変えていく。昨日できなかったことを今日一つやってみながら、くそつまらない未来を遠ざけていく。 アンソロジスト、初めて読みましたが面白かったです、バックナンバー読まねば。(先に積読解消せねばだ)
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