AI vs 法 世界で進むAI規制と遅れる日本 の商品レビュー
本書は、まず、画像生成AIの誕生と著作権の問題から説き起こす。 Stable Diffusion、Novel AI Diffusionなどが存在し、投稿サイトとして「chichi-pui」なるものがあることを知った。 これらについては、学習にあたり使用したデータベースの著作...
本書は、まず、画像生成AIの誕生と著作権の問題から説き起こす。 Stable Diffusion、Novel AI Diffusionなどが存在し、投稿サイトとして「chichi-pui」なるものがあることを知った。 これらについては、学習にあたり使用したデータベースの著作権に関して、23年1月13日に集団訴訟が提起されているらしい。 日本では、著作権法30条の4のフェアユースの法理で、それほど問題にならないように手当てされているようだ。 続いて、対話型AIの紹介では、ChatGPT「自らが対話型AIであるという自己認識すなわちペルソナ(人格)を持ち、発話に誤りの訂正をはじめとして、ある程度の論理的な推論すら行わせることができる」(110頁)の登場にかかるインパクトが取り上げられている。 最終章に「AIと法」「AIと倫理」について論じる。 166頁付近の「AIが招き入れるディストピア」では、「政府に利用されることによる管理社会の到来のリスク」に言及する。 ソフトローに依拠するわが国の規制がどういう形になるか。本書の予測が当たるか。興味深い素材が取り上げられている。 2019年3月「人間中心のAI社会原則」をめぐる最近改めて読み直してみる必要がある。 204頁の次の一節には同意。 AIは「あたかも」 人間のように振る舞うにもかかわらず、人間とは根本的に異質な存在です。それは『吊されたよそ者』(フィリップ・K・ディックの短編小説)において、人間に擬態した異星人が人間社会に素知らぬ顔で溶け込んでいる様に似ていると も言えます。そして隠れた異星人が友好的であることに期待するのは、儚い希望的観測でしかありません。
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