福島からの手紙 の商品レビュー
福島の原発事故から12年経った2023年の被災した人たちからの生の今の手紙である。避難を強いられた人、留まることを強いられた人。自主的に避難した人、留まることを選んだ人。帰還した人、避難先での生活を続ける人。この本を読みながら、12年経ってもその「災害」はどっかりとその人の中に...
福島の原発事故から12年経った2023年の被災した人たちからの生の今の手紙である。避難を強いられた人、留まることを強いられた人。自主的に避難した人、留まることを選んだ人。帰還した人、避難先での生活を続ける人。この本を読みながら、12年経ってもその「災害」はどっかりとその人の中に存在していると思った。それでも、明るく生きようとする姿を見るとホッとする。 言葉が次々に飛び込んでくる。 「放射能が入らぬように、ガムテープで目張りしたんです」「目が覚めると、天井の色が違うことにハッとして、あぁ、避難しているんだなぁって」「怒ってみても誰も聞いてくれない。だったら、笑って語るしかないじゃないですか」「留まる以外の選択肢はほとんどなかった」「土地や畑を放り出して逃げることができるか。年寄りもいる。大家族で一体どこに避難するのか」「原発は爆発するんだ」「子どもたちは砂の上で遊ぶんですよ」「被曝の補償は国家の責任」「最高裁 2022年6月17日 国に責任はない」「がんばっぺ」「12年経っても残る思い。いまだに癒えません」「子供の頃、アケビや木の実を取ってみたり、近所の川で、アユ、ヤマメ、イワナ、ウナギがとれました」「今は川で遊ぶ子供を見ない」「故郷に帰りたいと言ってなくなった」「せめて、最期は自分の家から見送りたかった」「放射能って、おっかないものだなぁ」「みんなで田植踊りを残していこう」「自由に土に触れたり、花を摘んだり、木の実を取ったりする場所はどこにもないのです」「何でこんな思いをしなくちゃいけないのかな」 自分の住んでいた家から避難するという状況がある。本来、避難するところは自分の家のはずである。ところが、避難所というところに避難し、それがまた転々と変わっていく。まさに流浪の民である。この「避難」という言葉に、不条理が潜んでいる。カミュであれば、避難という言葉を用いずに「追放」という言葉を使うはずだ。では、なぜ自分の家から追放されねばならないのか?
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