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サミュエルソンかフリードマンか の商品レビュー

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2024/08/18

サミュエルソンやフリードマンが活躍した時代背景を学んだり、経済史としても勉強になるが、それ以上にライバル関係だったこの二人のドラマとして楽しんだ。敵対しつつも互いを認め合う関係。時代を築いた天才たちの話だ。宇沢弘文の影響でフリードマンはあまり好きではなかったが、印象が変わったのも...

サミュエルソンやフリードマンが活躍した時代背景を学んだり、経済史としても勉強になるが、それ以上にライバル関係だったこの二人のドラマとして楽しんだ。敵対しつつも互いを認め合う関係。時代を築いた天才たちの話だ。宇沢弘文の影響でフリードマンはあまり好きではなかったが、印象が変わったのもこの本の影響だ。 しかし、先に言ってしまうと、特にフリードマンは経済顧問として政策介入しながらも、その成果は煌びやかなものではなく、失敗も多い。結局の所、この天才二人をもってしても、市場を自由に操作する事は不可能であり、それができるなら我先にと利確に動く合理的期待形成が起こるから、実際、経済をコントロールすることは容易ではなく、金融政策、特に利上げの効果を正確に予測するのは困難だ。インフレになるぞ、と思えば、その予感で動くのだから、実際には利下げが効くのか、アメリカ側の発言がキッカケで市場が先に動く事もある。 ー サミュエルソンは「経済学入門的分析」を出版した。同書はただちにベストセラーになり、ほぼ三年ごとに改訂され、サミュエルソンの同僚たちにとって羨望を含んだからかいの種になった。彼の友人ジョージ・スティグラーはかつて彼を「名声を得て、今や富を得ようとしているサミュエルソン」と紹介したことがあったが、「わたしはある国の経済学の教科書さえ書けるなら、その国の法律を誰が書こうがかまわない」と彼は後に述べることになる。 ー ハイエクは使命を感じていた。専制的な枢軸国に対する民主主義国の勝利にもかかわらず、自由が危機にさらされていると、彼は思っていた。経済学のケインズ革命は、政府部門が市場のメッセージを無視して、公共事業への政府支出を通じて経済を直接運営することを正当化し、奨励していた。政府による巨額の建設プログラムはナチズムのトレードマークだった。ナチズムも国家に経済運営を任せたのだ。ハイエクには大きな流れに気づく才覚があった。彼は一九三一年にロンドンに移住して、ケインズを直接止めようとしていた。…自由市場経済学の繁栄を復活させようとしていた。 ー フリードマンとハイエクはオーストリア学派経済学の価値については意見が一致しなかったものの、フリードマンはやがてハイエクの継承権第一位の後継者になった。それは彼の経済学によってというより、進歩的なケインズ主義的コンセンサスを覆し、政府部門を縮小しようとする彼の野心の大きさによるものだった。 ー どのようなテーマについて書いたときでも、二人の考えの根本的な違いは、三〇年前に浮上していたケインズとハイエクの対立に起源を持っていた。彼らの意見の違いの、また経済学の相対立する二つの主な流派、左派と右派の違いの核にあったのは、政府は市場に介入するべきか、また意図した目的を達成できる介入はあるかという問いに関する根本的な違いだった。 ー 連邦政府はアメリカ国民の要請によってインフレの推進力になってきたのである。アメリカ国民は政府が支出を増やし、それでいて増税しないことを望んでおり、それによって政府がインフレという隠れた課税に頼るように仕向けているのである。人々はインフレを嫌う。 ー サミュエルソンはフリードマンに唐突に手紙を書いて、「われわれが初めて会ったのは・・・・ちょうど六二年前だった。わたしは平凡な二年生で、あなたはすでに必ず学者になる人として目立っていた」と、思い出を語った。それは二人が共有した多くのことのほうが二人の違いより重要であることを強調する、親しみのこもった感傷的な手紙だった。「われわれ二人について、将来こう語られたいものだ。二人は多くの点で意見を異にしていたが、互いの論理的、実証的な違いが何に根差しているかを理解していた。そして愛嬌と友情と敬意を生にわたり、かなり上手に保ちつづけた」と、サミュエルソンは書いていた。フリードマンは返信で、自分とローズはサミュエルソンの手紙に「とても感動した」と述べ、シカゴでの若い日々について自分も同じように感じていると記した。「本当にすばらしい日々だった」と述べたうえで、フリードマンは「しかしながら」と続けた。「ひとつ訂正したいことがある。われわれが初めて会ったのは六三年前か六一年前だったはずだ。たぶん六三年前だ」。 生涯をかけた仕事においては、ライバルの存在がある事は幸せなのかも知れない。二人しか分からない領域がある事は素晴らしい。意見の違う敵という存在に対し、見方の変わる本だった。

Posted byブクログ

2024/07/29

英国人ジャーナリストによるサミュエリソンとフリードマンについて書いた本。公刊文書を基に小説のように時系列にお互いの交流を中心に描いている。ケインジアンのサミュエリソンとマネタリストのフリードマンという対比で両者を描いているが、細かく分析をしているわけではないので、考え方が明確に見...

英国人ジャーナリストによるサミュエリソンとフリードマンについて書いた本。公刊文書を基に小説のように時系列にお互いの交流を中心に描いている。ケインジアンのサミュエリソンとマネタリストのフリードマンという対比で両者を描いているが、細かく分析をしているわけではないので、考え方が明確に見えてこない。もっと学術性がほしい。 「1936年にケインズの革命的な『一般理論』が出版されて以来、保守派経済学は衰退の一途をたどっていった」p16 「時間とともに経済学の現状と未来に関する連続的な論争へと発展したサミュエルソンとフリードマンの18年にわたる連載コラムは、一般の人々が経済学を身近な学問としてとらえるようになることへの貢献という点で、今なお類を見ないものだ」p19 「サミュエルソンとフリードマンは、どちらもユダヤ人として生まれ、どちらも大学の同級生と結婚し、どちらもシカゴ大学で学士号を取得し、同大学大学院で学んだ」p21 「サミュエルソンが博士論文『分析経済学の基礎』で打ち出した考えは、理解するのに多大な努力を要するものだったので、彼が口頭試問で指導教官のシュンペーターとレオンチェフの厳しい質問に答えたあと、シュンペーターはレオンチェフにこう言った。「さて、ワシリー、われわれは彼に合格点をもらえただろうか」」p27 「(フリードマンの『資本主義と自由』は、ケインズ経済学の否定であり、民主的政治システムの批判であった)資本主義は放任されているとき、社会に対する便益を間違いなく最大化するのである」p66 「フリードマンは経済学をはるかに超えて、瀕死の状態にあった保守主義の政治哲学に力強いリバタリアニズムを注入していた」p69 「「やっかいな時代になればなるほど、自由放任のシステムはうまくいかなくなる」と、ケインズは1924年に断言した」p89 「政府は意図的に金利を下げ、国債を発行することによって、経済に大量のお金を送り込むことができると、ケインズは主張した。さらに、公共事業プログラムで失業者を直接雇用することもできると。ケインズは、放任された市場はみんなを豊かにするには適さない仕組みだという結論にすぐに達する。そして「放任された個人主義社会が、うまく機能しないのはもちろん、まずまずの働きもしないことは明らかだ」と書いた」p90 「「インフレは立法なき課税である」と、フリードマンはケインズの『貨幣改革論』の章タイトルから借用して書いた」p108 「「忘れてならないのは、市場が対処できることは市場に任せることだ」と、サミュエルソンは書いた。「政府の支出がきわめて高潔な動機によるものだからといって、それだけでは介入が無分別に行われたり、非効率的に行われたりするのを許す理由にならない。政府はカサノバのように歯止めがきかないことが多いからだ」p120 「サミュエルソンは市場より民主的プロセスのほうが好ましいと思っていた。彼の考えでは、民主的プロセスのほうが公正で、思いやりがあり、文明的だった」p121 「社会の中の個人は自由市場の多くの有害な影響から守られる必要がある(サミュエルソン)」p125 「(ニクソンショック)1971年7月、スイスが5000万ドルを金と交換した。8月初旬には、フランスがニューヨーク連邦準備銀行の金庫室に保管されていた、自国が購入した1億9100万ドル分の金を受け取るために、ニューヨーク港に軍艦を派遣した。ニクソンはついに、ケインズのブレトンウッズ体制はすみやかに終了させるべきだという点で、フリードマンと意見が一致した」p196 「組合員の賃金が物価についていくようにすることは労働組合の仕事であると、フリードマンは主張した」p203 「フリードマンの規制嫌い自体は、企業が規則や法的義務に邪魔されなければ、経済成長は加速する一方だという信念に由来していた」p209 「1980年11月、カーターは大統領選挙で完敗した。彼の失脚をイスラム革命の際のテヘラン人質事件で人質救出に失敗したせいだとする傾向があったが、カーターの敗北にとってそれに勝るとも劣らないほど重要だったのが、FRBのポール・ヴォルカーによって押し付けられた高金利だったと、ハイエクは予測していた」p263 「ノーベル賞受賞者ロバート・ソローは「ミルトン・フリードマンのような人間は、経済学のためにならないし、社会のためにもならない」と書いた」p382 「(マネタリズムの功績)「マクロ経済安定化の手段として金融政策は財政政策よりも有効である」、「マクロ経済安定化政策への正しい考え方は、財政政策には長いラグがあり乗数は小さく、金融政策には長くて可変的なラグがありその効果が不確実であるという、安定化政策の限界を理解しなければいけない」」p400

Posted byブクログ

2024/07/13

ナオミ・クラインがショック・ドクトリンでその罪深さを暴いたフリードマンの経済政策。彼のリバタリアニズムというものについて、理解が深まればと思って読んで見たけど、トリビアルな記述に終始していて、全然面白くなかった。 ケインズとハイエクの論争に対比させて、サミュエルソンとフリードマン...

ナオミ・クラインがショック・ドクトリンでその罪深さを暴いたフリードマンの経済政策。彼のリバタリアニズムというものについて、理解が深まればと思って読んで見たけど、トリビアルな記述に終始していて、全然面白くなかった。 ケインズとハイエクの論争に対比させて、サミュエルソンとフリードマンのそれに新たな見方を提示しているのは良いかもしれない。 ナオミ・クラインがもっと苛烈に筆誅を加えていたことだけど、サミュエルソンがフリードマンに対して行なった印象的な批判を上げておく。 「過去一〇〇年で最悪のこの金融混乱の根底にあったのは、規制なしで自由気ままに振る舞うことを許された、ミルトン・フリードマンとフリードリヒ・ハイエクのリバタリアン資本主義だった。二人の男はどちらも死去しているが、彼らの有害な遺産は生きつづけている」 「われわれは今日、市場システムは自己調整できるというミルトン・フリードマンの考えがどれほど間違っていたかを目の当たりにしている」 「ポスト・ケインジアンの時代である現代の「混合経済」の場合、財政・金融政策は間違いなく 慢性的不況を防ぐことができ、自動化の影響や消費不足を補うことができ、資源が採算のとれる稼働機会を確実に見つけられるようにすることができる」 市場放任主義は誤っており、今また財政の有効性が、見直されている。 そういう認識を新たにした。

Posted byブクログ

2023/12/01

《内容は面白いが、真偽不明な部分もある。》 二十世紀を代表する経済学者、サミュエルソンとフリードマンの来歴をまとめた本。数点、フィクションや筆者の憶測の点があるものの、物語形式で彼らの思考や人生を追体験できる。

Posted byブクログ