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真理・政治・道徳 の商品レビュー

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2023/09/18

プラグマティズムを基盤に、道徳が「真理」に収束?する可能性について述べている。 本書において、混乱しやすいのは、論理の組み立てによりこうであるという主張というより、既存の相対主義的な考え方への現状批判を起点に、著者がこうあってほしい、こうあるべきだという信念をもとに議論を組み立...

プラグマティズムを基盤に、道徳が「真理」に収束?する可能性について述べている。 本書において、混乱しやすいのは、論理の組み立てによりこうであるという主張というより、既存の相対主義的な考え方への現状批判を起点に、著者がこうあってほしい、こうあるべきだという信念をもとに議論を組み立てているのではないかということを、留意して読む必要があるように思う。 たしかに、著者がいうように、ローティに代表されるような真理などなく、善は、それぞれの価値観でしかないという結論は、直感的にはナチスを代表とするような大規模虐殺や人権侵害を起こす他者に対して、批判しきれないという課題があるように思う。 この課題を解決する理路として、科学同様に道徳においても可謬主義的なプロセスが同様に適用可能であるため、真理に収束されることから(いつかは?)批判可能である主張は、自然全体を扱うことと、人間(もしくは社会)を扱うことの違いを小さく取りすぎているように思う。 世界の安定性に関して自然自体も変化する(物理的数が明日突然変化しないとは言えない)仮定を置くべきとうような思弁的実在論的な立場もあるが、そこまで考えずとも、人間の身体性は安定しているとは言い難いと思う。その前提のなかで、人の身体性に依存する社会関係である道徳が真理に収束するという仮定は、強すぎるように思う(もし人間がプログラムようなもので、無限の時間があれば、収束するというようなイメージは理解できなくもない)。 一方で、私の考えとしては、道徳は、ローティがいうようなダーウィズム的真理観を基盤として、生存を最大化するという原理によるゲーム理論的な安定解(動的平衡?)と考えるのが妥当に思う。 たとえば、ナチスのように他集団を抹殺する戦略をたてた集団は、普通は、周辺集団とのコンフリクトなどを誘引しコスト極大化するため、生存に関してコスト効率がわるい選択になるため、そのような集団が残らないということではないだろうか(=否定される)。

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2023/08/01

https://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-1122-8.html

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