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ウクライナ・ベラルーシ史 の商品レビュー

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2023/08/08

山川出版社の世界各国史のなかで初めて独立して「ウクライナ・ベラルーシ史」となった。最初は1979年の「世界各国史 ロシア史」の中に、次に1998年に初めて背表紙に「ウクライナ」という名称が入り「ポーランド・ウクライナ・バルト史」となった。これが本書の原書で、この原稿は2023年2...

山川出版社の世界各国史のなかで初めて独立して「ウクライナ・ベラルーシ史」となった。最初は1979年の「世界各国史 ロシア史」の中に、次に1998年に初めて背表紙に「ウクライナ」という名称が入り「ポーランド・ウクライナ・バルト史」となった。これが本書の原書で、この原稿は2023年2月で書かれている。最後の章では2022年2月のロシア侵攻の状況がドンバス、クリミアなど地域、都市ごとに簡潔にまとめられている。 侵攻直後に「物語 ウクライナの歴史」を読んだが、これは元ウクライナ大使の黒田祐次氏がウクライナをもっと知ってもらおうと歴史を軸にウクライナを語ったもので、そこには”ウクライナ愛”とでもいう感情が漂っていた。こちらは歴史学者としてウクライナ、ロシア、水平に記述した、という雰囲気を感じた。地勢にもふれているのがよい。 メモ ウクライナとロシアの戦争は18世紀以降4回 1.大北方戦争:バルト海の制海権をめぐりスウェーデンとロシアが多くの国を巻き込んで戦争。ウクライナ・コサックの指導者マゼッパはスウェーデン王カール2世と同盟しピョートル大帝と戦った。1709年、ボルダヴァの海戦でロシアに完敗。マゼッパは1718年11.30にノルウェーとの戦闘中に戦死。  ・マゼッパはプーシキンの物語詩「ボルダヴァ」、チャイコフスキーのオペラ「マゼッパ」、ユーゴーの叙事詩「マゼッパ」、リスト作曲の「マゼッパ」、バイロンの詩「マゼッパ」にとりあげられている。 2.ロシア革命直後の戦争:1917年のロシア革命では、ウクライナで自治の機運が高まり、ロシアでボルシェビキが政権を握るとウクライナ人民共和国(中央ラーダ)により独立が宣言された。がロシアの赤軍が侵攻し、学生を主体とするウクライナ側はキエフ近郊のクルティの戦いで敗北し、キエフは占領された。が、ウクライナ・コサックや中央ラーダは、現在のウクライナ国家の政治的、歴史的正当性の根拠のひとつになっている。 3.第二次大戦中の戦い:ウクライナはソ連とナチスドイツに侵攻されたが、ウクライナ蜂起軍(UPA)はソ連やナチス・ドイツに対しゲリラ戦を展開。  ・バンデラ~戦後もウクライナ西部でソ連に抵抗を続けたUPA指導者のひとり。1941.6.30にウクライナの独立を宣言したが、直後の7.5にドイツ軍に逮捕され終戦までドイツのザクセンハウゼン強制収容所に収容された。そこでドイツとの協力を拒否したことが知られている。(が、)その名を冠した「バンデラ派」という言葉は、ソ連時代から、ロシアでは「ナチ協力者」という最悪の罵り言葉になっている。彼は戦後ドイツで亡命生活を送っていたが1959年KGBの刺客スタシンスキーによってミュンヘンで暗殺された。独立後、第3代大統領ユーシチェンコは2010年にバンデラに「ウクライナ英雄」の称号を授与したが、国内外から反発も多かった。プーチン大統領はしばしば「バンデラ派」を非難し、ゼレンスキー政権を「ネオナチ」と呼んでウクライナの「非ナチ化」を戦争の目的のひとつにしている。 4.2022.2.24の侵攻 <ベラルーシ> 1237年~ モンゴル軍がすべてのルーシの地を支配。キプチャク・ハン国となる。モンゴルは方角を色で呼ぶ呼び方を持ち込む。ルーシの南の地域(現在のウクライナ西部)を赤ルーシ、西方を白ルーシ(現在のベラルーシとして残る)、北を黒ルーシ(のちのモスクワ周辺)と呼んだ。 <ウクライナの呼称> ・モンゴル時代、キエフ、チェルニゴフ、ペレヤスラフといったキエフ・ルーシの中心的都市は人口も急激に減少し地位も低下。辺境を意味するウクライナという呼称もモンゴル時代に登場した。再興したヴォルガ・ルートから離れ、キプチャク・ハン国の首都サライからも遠いこの地域はウクライナと呼ばれるようになった。 ウクライナ語、ベラルーシ語があるが、征服者はまず征服地の言語を廃止させ、征服者の言語を強要するようだ。日本の対朝鮮、台湾でも同じか・・ 表紙はキーウに建つ聖ソフィア大聖堂 2023.5.30第1版第1刷 図書館

Posted byブクログ