文学研究の扉をひらく の商品レビュー
本著は全15章から構成されており、具体的なテクストを対象として各章で異なる理論を用いた文学研究の方法が示されている。 自分の研究テーマが決まったらそれに該当する章を読み直して臨もうと思う。 各章の主題 1「私小説」 2「レトリック」 3「作家研究」 4「同時代評、批評」 5「...
本著は全15章から構成されており、具体的なテクストを対象として各章で異なる理論を用いた文学研究の方法が示されている。 自分の研究テーマが決まったらそれに該当する章を読み直して臨もうと思う。 各章の主題 1「私小説」 2「レトリック」 3「作家研究」 4「同時代評、批評」 5「テキストの生成と校異による変遷」 6「現実とフィクションという二分法の脱構築」 7「口絵・挿絵」 8「インターテクスチュアリティとアダプテーション」 9「掲載媒体」 10「検閲」 11「ナラトロジー」 12「読書行為論」 13「ポストコロニアリズム」 14「ジェンダーとクィア」 15「文化研究(カルチュラル・スタディーズ)」 本文引用 p15「『私小説』という言葉は、宇野浩二『甘き世の話』(『中央公論』1920・9)ではじめて用いられた。」 「一九二三年からは、『心境小説』という語も加わり、価値づけが、一層進むこととなる。亅 p23「読み手に背景や登場人物を紹介しながら進める確認的な記述とは対極的な姿勢が本作には認められる。取り上げられるものを周知のものであるかのように語っていく、確定的な記述(篠沢秀夫『文体学原理』)が志賀直哉『晩秋』の基調である。」 p28大正期の雑誌創刊ブーム 『中央公論』、『太陽』一九一九年 『文藝春秋』一九二三年 『女性』一九二二年 「新雑誌の参入は、発表機会の増加や原稿料の上昇など、経済的な潤いを文学者にもたらした。また、活字メディアが彼らの知名度を高めることに貢献したことも見逃せない。グラビアや紹介記事などで得た情報を踏まえて『私小説』を読む、新しい層の読者が生まれつつあった。」 p60「作家」という存在を問い直す 「まとめると、生身の主体と安易に同一視されてきた『作家』という存在もまた、市場に流通する記号=情報の束として捉え直し、その作家にまつわる諸言説から構成された存在として再認識することが必要な」 p74「いずれにせよ、このように『作家』という存在は新たな視点による作家研究や精緻な作品読解などによって、そのイメージが更新されることを待っているのである。」 p136 作品とは言語によって構成されたものだという基本的な前提は、実はかならずしも自明ではない。たとえば江戸の戯作者たちは、絵入りの作品を制作するに際し、まずは絵の方の下絵(指示画)を描いてから、その空いたスペースに文章を埋めるという順序で稿本を作り、それを絵師と筆耕に回していた。そして、ほとんど知られていないことだが、この制作慣習は近代に入ってもしばらくは失われず、明治大正期の少なからぬ作家たちが、依然として自作に入る口絵や挿絵に指示を与えていたのである。 p179作品が掲載される媒体 ・長編小説を書籍の形で一気に読む読書と、毎日読み進める読書とは、経験がまったく異なることがわかるだろう。小説は、大小の事件や報道、広告等と同じ紙面に並び、読者の目線はそうした紙面を縦横に動くはずだ。そして日々のニュースが過ぎ去っていくとともに、小説は掲載された新聞紙ごと、捨てられるのである。また、近代小説の誕生は、そもそも明治初期の新聞雑報記事の連載化と密接な関係があったことも知っておきたい(本田康雄『新聞小説の誕生』)。 p189 ・投書雑誌の機能は、単に読者から投稿された文や創作を掲載するだけではない。それは何より、同じ誌面、同じ興味関心を共有する読者の共同体を、仮想的に作り上げていく点にあった。読者の共同体を国家規模で作り上げた新聞に着目し、国民国家の誕生を論じたのは、ベネディクト・アンダーソンである(『想像の共同体』)。 p248 ポストコロニアリズム ・このような分断線は、改めていうまでもなく「戦争」を媒介としており、その切れ目てして「一九四五年八月十五日」を連想する人々が、多いだろう。しかし、同じ日のことが、たとえば台湾や韓国、朝鮮民主主義人民共和国では、日本の植民地支配からの「解放」あるいは「独立」した日として意味づけられている。これらの地域において、日本語でいう「戦前」といつ時代は、「植民地時代」「日帝(大日本帝国)時代」と名付けられ、「戦後」という言葉は日本語と同じ意味では機能していない。
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