越境を生きる の商品レビュー
表紙とタイトルに釣られた。全体的な興味は薄かったものの、部分部分良いものを見つけられた。 お気に入りはこれ。 冒険精神ほど決定的に重要なものはない。 道で誰かにどこに行くのかと尋ねられたとき、もし行き先を教えたくなければ「風を探してるんだ」と答える
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ベネディクト・アンダーソンの『ヤシガラ椀の外へ』という副題の回想録である。愛弟子の加藤剛が日本の読者向けに執筆依頼、一部加筆・翻訳をし「回想録-越境を生きる」として完成させた。人文・社会科学系の研究に携わる人にとっては高名な学者の成長過程の話であり、大学の研究体制や著者の思考プロ...
ベネディクト・アンダーソンの『ヤシガラ椀の外へ』という副題の回想録である。愛弟子の加藤剛が日本の読者向けに執筆依頼、一部加筆・翻訳をし「回想録-越境を生きる」として完成させた。人文・社会科学系の研究に携わる人にとっては高名な学者の成長過程の話であり、大学の研究体制や著者の思考プロセスも率直に披露してくれる異色な切り口の本である。 彼はアイルランド人で中国の関税事務官であった父親が早逝しイギリス人の母により弟妹とイングランドで奨学金によるエリート教育を受ける。 イートン校では言語特にラテン語やギリシャ語そして仏・独・露語、古代史や美術史・考古学、イギリス中心の比較近代史、数学などを学ぶ。いろいろな言葉で書くことや詩を暗記し朗誦することを徹底して教えられる。 ケンブリッジ大学に入りデイシプリン(専門学問領域)を古典学とし言語・文学・歴史・美術などを学ぶ、ケインズが在籍した経済学も試みるが才なくその成績は振るわなかったようだ。専ら文学と歴史の読書に集中し、在学中スエズ危機がありイギリス人の差別主義と帝国主義を体験しマルクス主義や反植民地主義的ナショナリズムに惹かれる。卒業し研究者・教育者の道を選び、コーネル大学の「政府学部(政治学部)」でジョージ・ケーヒンという現代インドネシア学の大家に遭遇する。国際的で比較を旨とする環境で育った生い立ちで高等教育の民主化や実務教育志向の時期を彼の指導のもとで研究に精進する。 一連の経緯は門外漢の自分には極めて新鮮であり、その後東南アジア研究の第一人者になっていく過程は更に興味深く読めた。当時最先端のコーネル大学東南アジア・プログラムでインドネシアやシャム・フィリピンの研究に没入いく。 東南アジアの現代史において三年半の日本軍占領期は決定的に重要な意味を持つことを発見し、フィールドワークの決定的重要性も体感(注意深く観察し、絶え間なく比較し、そして人類学的距離を保つ)する。 又、「ここで過ごした35年間は①理論には陳腐化が組み込まれている②政治学理論の比較政治学への応用はアメリカの事例を中心に行われている③東南アジア・プログラムの国別形式は複数の国について考えることを強いるだけでなくデシプリン(学問領域)を横断するような読書、特に人類学、歴史学、経済学の文献を読むことを強いるものであった」との総括も説得力があり納得性がある。 フィールドワークについてはかつて読んだ梅棹忠夫の『文明の生態史観』等でも強調され、現地に長期間テントを張って共に暮らし言葉を克服しカードメモを作る話が思い出される。当時の京大今西錦司グループの民俗学研究の方法に共通するものを感じる。 名著『想像の共同体』を描いた経緯や主張も事後談として綴られる。嘗て読んだ時釈然としなかったことも、これを読んで得心できたところが多い。 彼にとって弟のペリー・アンダーソンの存在は学問研究の交友関係や人生にとって非常に大きな影響を及ぼしたようである。 後半の4章・5章・6章は、比較思考ということについて(国・地方・民族・言葉・歴史等々)、欧米大学の学部制度とデシプリンの問題、イギリスやアメリカの歴史的自己中心志向、ナショナリズムについて、その他いろいろな課題について満載である。読む人によってはここがこの本の重要なポイントだと思う箇所かもしれない。しかし濃密なコンテンツの割に脈絡が雑然としていて忙しい、彼の思想をよく知らない者には不親切な感じもする。前半の生い立ちに比べて後半は彼の研究の専門内容を大急ぎで書いた感が否めない。ついていくのが大変で満足に要約も纏められずじまいである。彼の思想全体が頭に入っていないので仕方がない、ほんの入り口を覗き見したというところである。それでも無意識の固定観念が解体される知的衝撃の空間を楽しめた。
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現代ナショナリズム論の古典とも言うべき『想像の共同体』で著名な著者による回想録。 もともとは日本の出版社の依頼により、日本向けだけに刊行されたものらしい。 アイルランド系の父とイギリス系の母との間に、中国昆明で生まれ、第二次世界大戦の戦火を逃れアメリカ、戦後アイルランドに...
現代ナショナリズム論の古典とも言うべき『想像の共同体』で著名な著者による回想録。 もともとは日本の出版社の依頼により、日本向けだけに刊行されたものらしい。 アイルランド系の父とイギリス系の母との間に、中国昆明で生まれ、第二次世界大戦の戦火を逃れアメリカ、戦後アイルランドに戻り成長。イートンでラテン語、古典文学等の人文教養教育を受け、ケンブリッジへ進学。進路を見つけられない時に友人からの誘いにより、アメリカのコーネル大学へ。そこで思いがけなも地域研究、東南アジア研究の道へ。 (これまで孤立主義的だったアメリカが、戦後急に世界の覇権国家になったことに伴い、大学においても地域研究の必要性が高まったため) 初めてのフィールドワークの地インドネシアでの経験と愛着。しかしスハルト批判等が影響して国外退去の身に。その後のシャム、フィリピンでのフィールドワーク。その間に知り合った人たちとの出会いとつながり。 本書を読んで一番良かったのは、『想像の共同体』についての狙い、論争の標的としたものが何かを自ら説明してくれているところ(190ページ以下)。1つはヨーロッパ中心主義的なナショナリズムの捉え方。2つは、伝統的なマルキシズムとリベラリズム。思想、感情、想像の容器であり伝達者である書物への着目。最後は、ナショナリズムを単なる「イズム」のひとつとして扱う伝統。純粋に思想の体系、イデオロギーとして扱うのでは、ナショナリズムの持つとてつもなく大きな情動的力を説明できないと。 人生の最後まで知的関心を失わず、また自らの政治的立場をはっきりと打ち出しつつ研究に取り組んだその姿に、深く感銘を受けた。
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