ルポ 日本の土葬 の商品レビュー
宗教によって遺体の取り扱いが違うから、たしかに土葬の需要もあるんだろう。 郷に入っては郷に従えとも言うけど、難しいんだろな。 地下水への影響とか考えるんやな、近所の人は。個人的はそこまで頭がまわらんかも? 地方議員が「顔立ててくれたらもっと話をスムーズに通してやったのに」みたいな...
宗教によって遺体の取り扱いが違うから、たしかに土葬の需要もあるんだろう。 郷に入っては郷に従えとも言うけど、難しいんだろな。 地下水への影響とか考えるんやな、近所の人は。個人的はそこまで頭がまわらんかも? 地方議員が「顔立ててくれたらもっと話をスムーズに通してやったのに」みたいなこと言ってたのが印象的。クソみたいな意見だけど、まだまだそういう人もいるんやな。
Posted by
丹念な取材による文字通りの「ルポ」 「現地の文化・慣習を無視し自宗教のこだわりを押しつける」というアンチ創唱宗教の立場に立つのではく,多様性と国際化の現実を無視し火葬に執着するアンチ土葬派の立場に堕するのでもなく,淡々と,黙々と,取材し,調べ,考えたことを文字にしている,王道正統...
丹念な取材による文字通りの「ルポ」 「現地の文化・慣習を無視し自宗教のこだわりを押しつける」というアンチ創唱宗教の立場に立つのではく,多様性と国際化の現実を無視し火葬に執着するアンチ土葬派の立場に堕するのでもなく,淡々と,黙々と,取材し,調べ,考えたことを文字にしている,王道正統派のルポだと感じた。 センセーショナリティや鮮烈さはないが,このテーマ・・・宗教と,慣習と,死生観が絡むこのテーマは,上記のように真正面から取り組むのが本来難しい。それを本書はやり遂げている。研究者とは異なるアプローチで「土葬をめぐる日本の現状」を描き切った秀逸なルポである。
Posted by
「土葬」は是か非か というような 単純思考の一過性の本ではない 葬送にまつろう民族的な考察 従来当たり前であった土葬が なぜ(日本では)火葬が当たり前と なっていったのかという歴史的な流れも それぞれの宗教に位置づけられている 葬送の形のありようも、 さまざまなお人への丹念な取...
「土葬」は是か非か というような 単純思考の一過性の本ではない 葬送にまつろう民族的な考察 従来当たり前であった土葬が なぜ(日本では)火葬が当たり前と なっていったのかという歴史的な流れも それぞれの宗教に位置づけられている 葬送の形のありようも、 さまざまなお人への丹念な取材のもとに しっかり裏付けされた 素晴しき一冊です その取材で出逢っていく お人たちも 実に魅力的な人たちとして紹介されている これは この著者のお人柄だからこそ のことなのでしょうね 「土葬」の文化ということだけでなく いま「当たり前」としてあるものが ほんとうはどうであったのだろう という「疑問」に始まり 「思考」と「想像」 につなげてくれる好著です
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
数年前に有名になった九州の田舎でのムスリム用墓地建設の反対運動のルポなのだが、日本で土葬を行っている修道院や土葬希望者の団体、葬儀業者、土葬が文化としてぎりぎり残っている村への取材などへも手を広げて「日本の土葬」の現状を広く見渡すものにもなっている。 著者の鈴木氏の率直でどこか柔和な人柄がにじみでて、センシティブな問題ではあってもその部分を過度に煽ることをしない、実際に問題の渦中にいる人々自身の心情に焦点を当てたような書き方で好感が持てたし、面白い。 そもそも日本で火葬が圧倒的になったのは戦後であったこと、そのきっかけはコレラ流行という公衆衛生の観点ではあったが、地域コミュニティの結束と力仕事が不可欠であった土葬文化が廃れるのは必然であったのではないかという見方は納得させられるものだった。 この反対運動も、土壌汚染などの懸念を科学的に払しょくしても反対住民の態度が変わらないのはそもそも最初に地元の有力議員への根回しがなかったこと(これはムスリム団体側に落ち度はないのだが)、そしてなにより自分たちの住む小さなコミュニティへ「顔も知らぬ者が遠方から大勢埋葬されにくるようになる」ことへの漠然とした嫌悪感であって、言われるような土葬・ムスリム差別などは核心にないのではないか、という著者の探り当てた田舎独特の理屈にはもう、そうだろうなあという感想しかない。私も田舎で育ったので分かるような気がする。反対派をまとめている議員もまた割といい人で、取材に来た筆者をよくもてなし、建設問題が長引く中でムスリム側への譲歩を進めていたりするのである。ムスリム側の人々が、この地域の「内側」へ入りつつあるのだと思った。まだまだ問題はこじれているようだが、双方納得のいく解決がなされることを願う。 実際に自分の父親を土葬したという人の話は迫力があった。「燃えるって自然じゃないよなあ。…略…人間はじっくりと、この世から腐っていったほうがいい。じっくりと、この世の果てを見てみたい。死んだ瞬間に息はしなくなるかもしれませんが、魂は生きているんだから」という語り、掘り起こした父親の白骨と握手したと言うその人が語るのである。 骨は残っても肉がなくなってしまえばその人の魂がそこには感じられなくなっていくという漠然とした了解は、いったいどこから来るのだろう。私は親類に自殺者が多くて、そうなると残された配偶者は棺に縋りついて半狂乱になっていたりするのだが、火葬してお骨になるとすっと収まったりする。いったんあきらめのついたような状態になる、あれは何故なんだろうとたまに考えていた。だんだんいなくなっていく、そほうが確かに自然とは言えるのかもしれない。現代の私たちの生きている刹那的な人生がそれに値する、「自然」なものかというとそれもまた疑問ではあるのだが。死んだらじっくり腐りながらこの世の果てを見てみたいなんて、贅沢でロマンティックにすら感じてしまうなあ。
Posted by
- 1