森信三 運命をひらく365の金言 の商品レビュー
編集後記を読みますと、 森先生は明治29年、愛知県知多郡に端山家三人兄弟の末っ子として誕生。 端山家は地元の名家でしたが、父親の代に家運が傾き始め、両親の離婚により、三人兄弟の末っ子だった森先生は、二歳にして貧しい小作農だった森家に養子に出されることになります。 唯一救いだ...
編集後記を読みますと、 森先生は明治29年、愛知県知多郡に端山家三人兄弟の末っ子として誕生。 端山家は地元の名家でしたが、父親の代に家運が傾き始め、両親の離婚により、三人兄弟の末っ子だった森先生は、二歳にして貧しい小作農だった森家に養子に出されることになります。 唯一救いだったのは、養父母が非常に大事に先生を育ててくれたことで、先生は、養父母に感謝し続け、その話をする時は必ず目に涙を浮かべておられたほどでした。 とはいえ森家は経済的に貧しく、そのため先生は小学校を首席で卒業するも中学受験を断念せざるを得ず、母校の給仕を務めることになります。 そして学費が免除される愛知県第一師範へ入学、二十一歳で卒業、周囲のすすめもあり二十三で広島高等師範に進学、二十七歳で卒業。 二十八歳で京都大学哲学科に入学し、大学院で五年間学び、これも見事首席で卒業します。 しかし抜群の学業成績の甲斐もなく、京都で就職に就けぬどころか、母校の広島高等師範にも迎えられず、大阪郊外に移り住んだ森先生は「天地の間にただ一人立つ」の感慨にむせんだといいます。 そうして、大阪の天王寺師範にようやく専任講師としての職を得ることになりました。 実はこの時に行われた授業の記録こそが、名著の誉れ高い「修身教授録」であり、『森信三訓言集』です。 本書にも「人間というものは、どうも何処かで阻まれないと、その人の真の力量は出ないもののようです」という言葉が紹介されていますが、とりわけ大きな逆境の中で生み出された二書からの抜粋が、本書には多いことに深い感慨を覚えます。 と書かれていました。 で、この本を読みましたが、先生の境遇からの発想、思考がちりばめられています。 また、先生の年代から、乃木希典、吉田松陰のことが引用されていて、時代を感じました。 教職者としての心構え、人生は二度ない、死語の評価が得られる生前の真摯な生き方が問われるというということでした。
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