親衛隊士の日 の商品レビュー
ロシア文学はとにかく勢いがぶっ飛んでて素晴らしい。残酷描写もスパッスパッと手際よく進んでいくのでそこまで不快感を感じさせない。最後の儀式のシーンも含め「(ロシアなら)ありそ~~~~」のオンパレード。ソローキン、生き延びてくれ
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相変わらずソローキンは暴力的だ. 今回の暴力は,皇帝が君臨する近未来で,「堕落した」人々を取り締まる親衛隊.いわゆるディストピア小説に分離されるが,主人公はディストピアの源泉たる親衛隊士側である.ストーリーはあってなきが如し,支離滅裂で,いつものソローキン. しかし,こんなの書い...
相変わらずソローキンは暴力的だ. 今回の暴力は,皇帝が君臨する近未来で,「堕落した」人々を取り締まる親衛隊.いわゆるディストピア小説に分離されるが,主人公はディストピアの源泉たる親衛隊士側である.ストーリーはあってなきが如し,支離滅裂で,いつものソローキン. しかし,こんなの書いてよくロシアで無事で過ごせてるなあ,と思っていたら,あとがきによると,親プーチン派の青年団体が,青い脂のページを破って火に焚べる,というパフォーマンスがあったそうだ.宜なるかな.
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ソローキン入門として手に取ったが、「この人の作品は他言語に翻訳しようがないのでは」と他作品へのチャレンジを躊躇する結果になってしまった。 本作は一言でいえば「帝政が復活した2028年ロシアにおいて、ツァーリ直属の親衛隊が矛盾に満ちた"粛清"を行う様子を描いたデ...
ソローキン入門として手に取ったが、「この人の作品は他言語に翻訳しようがないのでは」と他作品へのチャレンジを躊躇する結果になってしまった。 本作は一言でいえば「帝政が復活した2028年ロシアにおいて、ツァーリ直属の親衛隊が矛盾に満ちた"粛清"を行う様子を描いたディストピア小説」となろうが、この手の風刺系ディストピア小説は風刺以外にどのような視点を提供するかが肝要(単なる「帝政こわい」であれば小説のフォーマットで長々と読む価値がない)なところ、本作の場合はそれが(おそらく)ロシア語の言葉遊びを躊躇なく極端化した暴力性・異常性のあるモチーフの連続なんだろうが、その言葉遊びが理解できない人間にとってはただひたすらトリッピーなディストピア小説になっている(例として、終盤の一幕は蒸し風呂の蒸気を「浴びる」ことと処刑台で鞭を「浴びる」ことを対比させている、らしい……あとがきより)。 飴村行的なグロテスクなモチーフの面白さはあれど、読んでいてどうも片手落ちの感が強く、正直ついていけないと思う部分が多かった。面白い部分も多いだけに歯がゆい。
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ロシアの小説の翻訳だ。作品は2006年に登場したそうだ。2020年代後半を想定していると見受けられる、所謂「近未来SF」ということになる小説だと思うが、何か独特な、やや不気味な感じもした物語だ。“物語”というよりも、「独特な“近未来”への予感めいた想像に一定の形を与える文章」とい...
ロシアの小説の翻訳だ。作品は2006年に登場したそうだ。2020年代後半を想定していると見受けられる、所謂「近未来SF」ということになる小説だと思うが、何か独特な、やや不気味な感じもした物語だ。“物語”というよりも、「独特な“近未来”への予感めいた想像に一定の形を与える文章」というような気がしないでもなかった。所謂「“ディストピア”な物語」というような感なのかもしれない。 本作冒頭に近い辺りから読み始めて、何やら酷く不思議な気がした。作中世界の独自な通称を冠せられているような場合も在るが、それでも「現代」の様々な小道具が普通に使われているように見受けられる。その他方で、何やらやっていることが「ロシア史の中、16世紀頃の“イワン雷帝”の時代」というような様子なのだ。凄く不思議な世界が描き出されているような気がした。 “イワン雷帝”は「専制君主の中の専制君主」という感の皇帝であったのだが、“親衛隊”(オプリーチニキ)なるものを駆使して、貴族の勢力を牽制し、同時にそれが敵対的な勢力に対する暴力装置のようにもなって、独裁的権力が強まったとされる。 この小説では、その“親衛隊”(オプリーチニキ)なるものが登場し、主要視点人物はその“親衛隊”(オプリーチニキ)なるものの上席の隊員である。故に作品題名が『親衛隊士の日』となっているのだ。 作中世界では、如何いう経過なのか判らないが、或る時期からロシアが「帝政」になっている。皇帝陛下やその家族、一族が在って、貴族や平民というような身分制度のようなモノが在って、様々な機関が「歴史用語?」のような呼称になっていて、“親衛隊”(オプリーチニキ)なるもの等、特別な任務を負う機関も設けられている。そして「ソ連時代」が「赤の乱」と称され、「ソ連後の時代」が「白の乱」と称されている。要は“乱”が正された新しい時代とされている訳である。 こういう世界で“親衛隊”(オプリーチニキ)が色々な任務を果たそうとし、隊員達の日頃の様子が描写される。そうした中、飛行機から便器のようなモノまで、何でも造っている中国が“天子”なる独裁的指導者を戴く巨大な国として在る世界となっている。ロシアでは“長城”なるモノを幾つかの国境地帯に設けている。文学や舞台芸術は厳しい検閲の下に在り、何やら奇怪な風俗も色々と在る世界だ。 描き出される世界のグロテスクな感じは、「目を背けたいようでいて、怖いモノ見たさで離れられない…」というような様子で、所謂「“ディストピア”な物語」というように思った。こういう物語に触れると「“人間”が“人間らしく”在る」とは如何いうことなのか、「人の歓び」、「生きる悦び」というのは如何いうことなのかという、「誰も正しい、または正しそうな回答例」を知らないと感じられるような問いを思い付かないでもない。 こういう「“ディストピア”な物語」なのだが、作中世界の「独裁的な権威に包まれた指導者が君臨する国」、「大っぴらに公的資産が“私物化”されてしまっているような社会」というような様子が「近未来を予測?予測が或る意味で??」というようにも見える。 少なくとも自身としては「似たような感じ方」に余り思い当たらない、何やら「不思議な読後感」という独特な小説だと思う。
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