中国における技術への問い の商品レビュー
理解及ばぬところが多かったが、著者の今後の活動における「目次的著作」らしいので大枠を捉える気持ちで読んだ。 著者の哲学的マニフェストは以下のようなものかと: 非西洋におけるテクノロジー論が片手落ちになるのは、テクノロジーが西洋的な宇宙論の元で形成されたものであるから。技術に対する...
理解及ばぬところが多かったが、著者の今後の活動における「目次的著作」らしいので大枠を捉える気持ちで読んだ。 著者の哲学的マニフェストは以下のようなものかと: 非西洋におけるテクノロジー論が片手落ちになるのは、テクノロジーが西洋的な宇宙論の元で形成されたものであるから。技術に対する思考をより開けたものにするためには、技術単体ではなく、技術と宇宙論の組み合わせ(=宇宙技芸)の議論をする必要がある。 これまでの日本や中国での技術論は当地の宇宙論とテクノロジーを切断する形でテクノロジーについて論ずるぐらいしかできなかったが、テクノロジーの隘路である現代において、テクノロジー×(西洋)宇宙論とは異なる形の多様な宇宙技芸をもたらすことがテクノロジーの問題に対する思考枠組みを生み出す点において重要である。 感想 テクノロジーによる思想の切断は生活の中でも感じられるレベルに浸透している(つまりは、感じられなくなってきている)。テクノロジーを受け入れるか、反発するかという次元を超えた議論に進むために、本書の提案する宇宙技芸は有効な概念になると感じた。 宇宙技芸は多様なあり方に開けているので、私が私の捉える宇宙論に基づく宇宙技芸を模索することもまた可能なのだろうか? テクノロジーの問題圏に問わず語らずになりがちな日本においてこそ考えられるべきことなのでは? と感じている
Posted by
- 1