転換期の科学 の商品レビュー
科学とは何か。どのような変遷を辿り、どのような登場人物が関わり、国家制度にどのように取り入れられ、教育に反映されたか。時代の厚みと考察の深さにより重厚感のある書である。 西洋文明を移入した明治の日本は、科学技術だけを分離して取り入れる事は不可能な、パッケージされたものだと思い込...
科学とは何か。どのような変遷を辿り、どのような登場人物が関わり、国家制度にどのように取り入れられ、教育に反映されたか。時代の厚みと考察の深さにより重厚感のある書である。 西洋文明を移入した明治の日本は、科学技術だけを分離して取り入れる事は不可能な、パッケージされたものだと思い込み、政治制度や資本主義も同時に取り込んだ。この論説が本著のスタートだ。思い込んだというよりも、内戦で対峙する片方に勝つために、近代的な武力や軍事制度を取り入れたり、幕府の不安定な統治体制や法整備が諸外国に認められずに押し付けられた不平等を跳ね返すために近代制度を取り入れ、海外から教職を招いた経緯を思えば、決して、それが一括りのパッケージと思い込んだ故でも無いだろうが、そうした見方もあるのかと学ぶ。 確かに科学技術と制度設計は密接に絡む。宗教的な統治体制では、科学と相容れぬ部分があるからだ。進化論を日本で解説した事が愉快な体験だったと語るモーセにしても、こうした背景があるだろう。その点で戦前の日本は科学技術を抵抗なく、涵養したのだ。 本著に学問の姿勢として、当然、反証する姿勢の大切さはありながら、反復の重要性に触れる箇所があり、改悛の思いだ。暗記を馬鹿にしていたが、間違いだと気付く。素読についてだ。素読とは意味を考えずとも声に出して読むこと。素読は学問の途への入門とされていたようである。明治維新期に文系理系を問わず西洋の学問の移入を成し遂げた人たちは、皆この素読で汎用の精神的態度を「身体化」したのだと考えられる。 なるほど、身体化。現代では、スマホやパソコンやと身体の機能拡張を齎すガジェットを用いて、この考えを忘れていた。語学も暗記。暗記は身体化。自らにインストールしてこその自在性であり、インストールこそ、勉強の原点か。追体験も素読の一種だという。つまり、読書による身体化も有効だという事だ。 だが弱い。私の読書は暗記では無いからだ。つまり、身体化の度合いが低い。感性は経験として追加実装で身体化できるが、言葉を実装するには、やはり暗記や反復によるアウトプットが必要か。
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