忘却にあらがう 平成から令和へ の商品レビュー
忘却にあらがうとは、風化させないと言う事。風化させないと言う事は、意味を考えるということだという。東浩紀らしくない本だ。本人曰く苦手な時事問題についても扱うエッセイ。不慣れな感じは確かに伝わってくる。いつもの東浩紀の哲学を期待するなら、この本ではない。 切り抜いたのは民主党政権...
忘却にあらがうとは、風化させないと言う事。風化させないと言う事は、意味を考えるということだという。東浩紀らしくない本だ。本人曰く苦手な時事問題についても扱うエッセイ。不慣れな感じは確かに伝わってくる。いつもの東浩紀の哲学を期待するなら、この本ではない。 切り抜いたのは民主党政権下から、至近のコロナ禍まで。私自身が忘却してしまっている事を認識し、抗いはせず、しかし、思い出す事の楽しさを味わう。人間とは、風化しかけた記憶を取り戻すに愉楽を得る生き物なのだろう。故に、思い出話を語り合う。ならば、忘却せぬ事も良いが、一度忘却する楽しみもあるのかも知れない。 思想地図なんかを読み、東浩紀のチェルノブイリに対する考え方を知ったが、本書でもそうした感性やロシアの話が登場する。他方では安倍晋三の辞任を巡る炎上劇。後者は全く忘却していた。前者は、忘れてはならない、記憶のモニュメントに関してだ。忘却にあらがう、とは東浩紀にとっては、福島原発を観光地化させる事に通底する話である。 ー ロシア中部の都市ペルミにいる。シベリア鉄道の中継地として知られる工業都市だ。この街の北東八〇キロほどには、広いロシアでもほぼ唯一の、一般に公開された旧ソ連時代の収容所跡「ペルミ36」が存在する。その取材に訪れた。 ペルミ36は、一九四六年に旧ソ連の巨大収容所システム(グラーグ)の一つとして建設された。スターリンの死後いったん機能を変えたが、七〇年代に政治犯中心の監獄として再編され、冷戦崩壊直前まで使われる。九〇年代に入ると政治的抑圧の象徴となり、市民団体が運営する博物館として公開が始まった。バラックや管理棟、鉄条網の一部などが残り、ソ連体制下で自由を奪われた人々の生活をしのぶことができる。ソ連の記憶は、ロシアの人々にとって愛憎入り乱れるもののようである。 ー 辞任表明の翌日、政治学者の白井聡氏が、首相への共感を表明したミュージシャンの松任谷由実氏について「早く死んだほうがいい」とSNSで書きつけ、謝罪を迫られる事件が起きた。同氏は朝日新聞運営のサイトで安倍政権の期間を「日本史上の汚点」と記しており、こちらも問題になっている。 ところで、人の忘却曲線と言えば、エビングハウス。先ほど、夏の自由研究と試験勉強を両立すべく、英単語練習成果を忘却曲線で測ればと、人に一石二鳥のアイデアを出し、賞賛を浴びた。やるのはその子だが、大人たちは既に次の話題である。
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本書は2017年から2022年までの出来事をコメントしているが、表題にあるように忘れていることが多い.このような形で残しておくことは非常に重要だと思う.特にCOVID-19に関して政府のドタバタ劇は思い出しても噴飯ものだ.トランプの登場も同じようなものだ.人口に膾炙した事件を違っ...
本書は2017年から2022年までの出来事をコメントしているが、表題にあるように忘れていることが多い.このような形で残しておくことは非常に重要だと思う.特にCOVID-19に関して政府のドタバタ劇は思い出しても噴飯ものだ.トランプの登場も同じようなものだ.人口に膾炙した事件を違った角度から見つめ直す種を与えてくれる好著だと感じた.
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読み始めて数ページは「なんだ週刊誌のコラムのまとめか」と思ったが、読み進めていくうちに引き込まれた。 毎日の日常を当たり前に生きていると漠然と変化を感じることはあるけどその正体はよくわからない、しかも日常だから深く考えずに過ぎてしまう。でも冷静に去年の今頃とか3年前とかを思い返す...
読み始めて数ページは「なんだ週刊誌のコラムのまとめか」と思ったが、読み進めていくうちに引き込まれた。 毎日の日常を当たり前に生きていると漠然と変化を感じることはあるけどその正体はよくわからない、しかも日常だから深く考えずに過ぎてしまう。でも冷静に去年の今頃とか3年前とかを思い返すと、だいぶ変わってきたんだなと感じることがある。そういうことが週刊誌のコラムであるからこそ小刻みの等間隔で振り返れて、世の中がじわじわと確実に変わってきたこと、または結局変わってないことなどをリアルに実感できた。自分が生きている時代(2017年1月〜2022年4月)を見つめ直す有意義な機会をもらえた。 そのような大局的な時代の変化を振り返ることができただけでなく、毎週のコラムの中身も示唆に富んでいる。 迷惑と権利、政治と経済、政治とメディア、ネット社会と民主主義、政府と国民、与党と野党、ジェンダー、加害者と被害者、感染症と差別、感染防止と経済・自由、五輪、ロシアとウクライナ、などなど。世の中の諸問題の複雑さ、虚しさ、でも向き合って考え続けること、忘れないことの重要性などを実感できた。 終盤までの感想は概ね以上だけど、最後の方、特にコロナ禍以降と最後の付録を読んで、筆者東さんが平成以降今に至るまでの日本の現状にかなり失望しているということが強く印象に残った。 東さんのことは「ゲンロン戦記」を読んで「シラス」?での対談の一部をYoutubeで拝見したくらいしか存じ上げないが、不器用で誠実で少しお茶目で、前向きに真剣に世の中のことを考えている方という印象だった。それだけに今の社会にこんなに諦めを感じられているのかと知ってなかなかショックだった。気持ちは分からんでもないけど、今こそ刺激的で面白い世の中だと思うし、失望しているより前向きに生きている方がやっぱり絶対にいいと思う。 自分は東さんより10個くらい年下の若造だけど、こんな誠実で愛すべきおっさんが世の中に失望しているのは勿体無い、よりよい社会にしなければ、と思ってしまった。 いずれにしても、即時的で雑多な情報に惑わされずに、地に足つけてじっくり考えながら前向きに成熟していきたいと思った。
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2017年1月2日・9日合弁号から2022年4月19日号までの週刊誌AERAの巻頭コラム131本。まったく「忘却にあらがう」こと出来てません。すっかり忘れていることばかり。今日より明日という未来志向に駆動されてしまっています。昨日のことを思い出させるのはGoogleのフォトライブ...
2017年1月2日・9日合弁号から2022年4月19日号までの週刊誌AERAの巻頭コラム131本。まったく「忘却にあらがう」こと出来てません。すっかり忘れていることばかり。今日より明日という未来志向に駆動されてしまっています。昨日のことを思い出させるのはGoogleのフォトライブラリーの思い出リマインダーばかり。そこには本書で語られるような写真に写らない出来事は皆無。景色と友人と食べ物しか自分の昨日はないのかよ、と思っていたらスマホのプッシュ通知で「森友改ざん問題で元理財局長の責任認めず」とのニュース。そういうことも知らせてもらう時代に、自分の中にどんな「忘れたくない」テーマを持ちうるのか、とかとか考えてしましました。
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巻末の付録の「平成という病」がこの本の本質なのだろう。東さんが平成を生きたこれまでに失望し、疲れ、やる気を無くし、それでも令和という時代を迎え、偽りでない希望を見出そうとまた立ち上がりそうな気配だ。 なーんて偉そうなことを言える人間ではないが、この人は本当に素直に自分の失敗だった...
巻末の付録の「平成という病」がこの本の本質なのだろう。東さんが平成を生きたこれまでに失望し、疲れ、やる気を無くし、それでも令和という時代を迎え、偽りでない希望を見出そうとまた立ち上がりそうな気配だ。 なーんて偉そうなことを言える人間ではないが、この人は本当に素直に自分の失敗だったり不明だったりをきちんと認めている。だから、自分はこの人を信用するのだが、批評家(だった?)なのだから起こったことにしか見付けないのではなく、哲学者(だった、そして今は?)なのだから、これからの日本がどうなるのかまではきちんとわからなくても、どうしていくべきなのかの一つの方向性を教えてほしいと思っている。
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【はじめに】 本書は、2017年1月から2022年4月までの約五年の間週刊『AERA』に掲載された巻頭コラム131回分を収めたものである。ざっとこの100回を超えるコラムを読むと、この五年間でそれなりのことが起こったのだなと改めて思い返される。 【五年間のこと、特に政治について...
【はじめに】 本書は、2017年1月から2022年4月までの約五年の間週刊『AERA』に掲載された巻頭コラム131回分を収めたものである。ざっとこの100回を超えるコラムを読むと、この五年間でそれなりのことが起こったのだなと改めて思い返される。 【五年間のこと、特に政治について】 その五年間のコラム掲載期間の後半は、日本中がコロナに翻弄された。著者も何度も言及し、なし崩し的に権利の制限が行われたことが後世に与える影響を懸念している。 また、アメリカでのトランプ大統領の誕生も驚きではあったが、政治的出来事としてある意味ではとてもこの五年間までの政治の変化を象徴する出来事であった。一方でこの五年間は日本では安倍長期政権から菅政権、岸田政権と首相が変わった時期と重なる。そういえば、平成から令和になったのもこの五年の間に起きた出来事である。小池百合子都知事が豊洲市場移転問題などで政治を劇場化したが、日本の政治的にも不毛で、結果としてあきらめが先行した時代であった。そして、時同じくしてメディアも歩を合わせて信頼を失ってきたように思える。著者は、常に自民党と共産党以外の党に投票をしてきたが、もはやその投票行動も意義を認められないものになっていると独りごちる。 また、日本の女性の地位の世界基準に対する低さにも何度か言及する。そこに著者の問題意識があるのもよくわかる。マイノリティの問題、ヘイトの問題なども何度か取り上げられた課題である。政治とは敵と味方にわけることだとしたカール・シュミットの言葉と、社会はそうであるべきではないということも著者はコラムの中で繰り返している。 著者の会社が催行するチェルノブイリ原発ツアーも何度か言及され、ウクライナとロシアの危うい関係も触れられている。このときにはまさか本格的な戦争になるとは想定していなかったであろうが、このころからウクライナには影は落ちていたことがわかる。 【平成という病】 この本は131回の連載コラムが再掲されていると書いたが、この後に「平成という病」と名付けられたエッセイが置かれている。このコラムが著者の独白のようで平成という時代が個人的にどのようなものとして位置付けられているのかを語ったものである。 東浩紀は1971年生まれで、自分とほぼ同世代である。著者は自らを平成の批評家であり、令和の時代においてはもはや新しく社会の流れを作っていくような仕事をすることはないだろうと語る。そして、その身を捧げた時代である平成のことが好きではないという。 「かつて日本には未来があった。平成の三十年は、祭りを繰り返し、その未来を潰した三十年だった」というのが著者による平成の総括である。確かに経済的にはその通りであったし、政治的にも一時の政権交代があったものの祭りとして過ぎた後に自民党政権は盤石のものとなった。 平成という三十年の時代は同じく自分にとっても人生の中での重要な時期を概ね占めている。昭和が高校生までで実家にいた時代で、平成になって独り暮らしを始めて、社会人となって家族も持って子供も生まれた。世界の中で日本は第二位の経済大国であり、優れた車や家電製品を世界中に輸出していた。電子立国とも言われていたその時代に、自分も少し高揚した気分で電子工学科を選んだことを思い出す。 【忘却にあらがう】 タイトルの『忘却にあらがう』は、第一回目のコラムで使われた言葉だ。忘却にあらがうことを、言い換えれば著者は「「意味」を探る力」であるとする。 著者はいずれのコラムでもその短い文章の中に、自分でよく考えるべきだ、というメッセージを出していたように思う。一方で、そこにある種の諦めも感じ取れてしまう。著者は平成を不毛な時代と断じ、その時代に共振して不毛な人生を過ごしてしまった人も多かったのではないかと書いている。著者として、この諦観は、もはや積極的に選択されるべき諦めであるのかもしれない。それでもなお、この本のタイトルを『忘却にあらがう』としたように、僕たちは「意味」を探っていくことは忘れないようにしたいと思うのだ。
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あえて、ニュース/政治と距離をおき、単なるニュースの「消費者」にはならずにいるには、どうすればいいか。無関心でいることでもない。 過去に遡って、何が忘れさられ、何が残ってきたのかを再認することで、目の前の出来事が、今に始まったことではないことに気付かされる。
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筆者は一貫して、人々は自分の頭で考え自分の振る舞いを周囲に惑わされないことの大切さを訴えている。この5年間の時事を見つめ直すにも良い一冊。
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社会問題が風化してしまうことは避けられないことだとは思うが、かといって世の中で起きていることを瞬間的に、表面的に捉えたくはない。政治がどんどんパフォーマンス化されてしまっている今だからこそ、事の本質を見抜き、「意味」を探ったり考え続けられる人でありたい。
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