忘れられた日本の村 増補版 の商品レビュー
この本に出てくる村は、この本を読まなければ私のような出不精は恐らく一生知ることの無いような場所にある。 著者が軽自動車で車中泊しながら、山中の、海岸の、道なき道をまた恐らく目をキラキラとさせながら移動する姿を生き生きと思い浮かべると、私も共に旅をしているような気持ちになれた。 ...
この本に出てくる村は、この本を読まなければ私のような出不精は恐らく一生知ることの無いような場所にある。 著者が軽自動車で車中泊しながら、山中の、海岸の、道なき道をまた恐らく目をキラキラとさせながら移動する姿を生き生きと思い浮かべると、私も共に旅をしているような気持ちになれた。 著者のもつ地理的、歴史的、民俗学的知識をベースに、様々な古い文献資料と、実地探索、土地の人々からの聞き取りに自らの推察と史実的根拠と可能性をすり合わせていく過程が非常に楽しくて、読んでいて終始ワクワクした。 地名がもつその土地の歴史のヒントを、読み方と分布によって推測し、 (例えば「丁子」ようろご→丁の漢字原義は強い、盛ん。転じて壮年男子をも指す。訓読みのヨボロ、ヨホロは膝のうしろのくぼみの部分で、ひかがみともいう。ヨホロに丁の漢字を宛てたのは、脚の中心で力仕事を象徴させるとともに壮年男子の意を込めたのでは?その推測から、香取神社の神輿の担ぎ手を「輿丁」と呼ぶ千葉県香取市丁子の土地名の由来を探る、、、(長くなるので先は実際に読んだ方が良い)) それによって土地の人々の生業や信仰(岩神、米山など)を紐解いていくやり方がリアルに、でもどこか良い意味で自分勝手にのんびりと綴られていて、巻末あとがきにもあったが、 「エッセイとも旅行記ともつかない妙な内容の著述」と著書自身が書いていて、その表現がぴったりで笑ってしまう。 7つの村のうち特に個人的に興味深かったのは、 マタギとアイヌの関係性の考察(秋田県阿仁根子が出てくる。つまりゴールデンカムイの谷垣!好きな人にはかなり刺さる内容) 蝦夷とアイヌの関係性を基に岩手県に近代まであったアイヌ人集落の話(本のカバー写真は岩手県二戸市の男神岩と石切所方面) 天皇と深い関わりのあった市井の人々が集まる村として、徳島県美馬市の三木家(麁衣の貢納)、京都市左京区の八瀬童子(代々天皇の棺を担ぐ) 他にも、湯桶読みをする言葉が地名についていることにより時代を推測したり(古代にはない読み方)、「山達根本之巻」という狩人の先祖の話や、 兵庫県美方郡新温泉町三尾の「御火浦みほのうら」について、 ミは尊敬を表す接頭語、ホは尖ったものの意、つまり海岸部なら岬→「海民はしばしば岬を神聖視していた。そこが神の世界(海)と人間界(陸)との境界であると意識されていたから。」→そもそも岬も「御先」が原義、「ミホ」と同趣旨の地形語 などなど、考え方の流れがとにかく私には楽しくて楽しくて。。 言葉の古い読み方と意味を知る喜びを新たに知り、古語への興味も芽生えた。知的好奇心をとにかく刺激するのである。 図版として何枚も載っている国土地理院の地図を睨みながら、その村の山の隆起、海岸の凹凸を夢想し読み進めていく。 たまに、土地の人々が勝手に美談にしていたりする由来など根拠に乏しい言説には「貴種流離譚」の一種、とバッサリ切るのもまた面白い。 箕、という道具についても二つの村に出てきて、全く知らなかったことを新たに知る喜びで満ちる本であった。土地の人々への感謝が、はっきり明示されずとも伝わってくるところもしみじみと良い。 「小さな山間の天地にも1300年を超す歴史があり(中略)どんなにささやかに見えても、これこそ歴史と呼ぶべきものではないだろうか) 第一章 「出雲国の水晶山とたたら村」から引用
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