津田梅子 の商品レビュー
子供の夏休みに図書館で借り、本棚に置いたところ長男が読んでくれた。私も読んだが、津田梅子さんについて新しく知ることが多く、楽しめた。 梅子は、わずか6歳で留学。父、仙は黒船来航から英語を学び、外国奉行の通訳に採用。29歳で外交使節に随行してアメリカを訪れ、自由と繁栄を目の当たりに...
子供の夏休みに図書館で借り、本棚に置いたところ長男が読んでくれた。私も読んだが、津田梅子さんについて新しく知ることが多く、楽しめた。 梅子は、わずか6歳で留学。父、仙は黒船来航から英語を学び、外国奉行の通訳に採用。29歳で外交使節に随行してアメリカを訪れ、自由と繁栄を目の当たりにする。 女子教育に力を入れるべきと黒田清隆が、女子留学生を派遣することになり、梅子を父が勧めた。期間は10年!びっくり!実際に外国を目にした父がいたからこそ、梅子の留学につながったのだと思う。 留学の際は、岩倉使節団の岩倉具視だけでなく、伊藤博文もいて驚いた。そんな有名な方とも出会いがあったとは。 留学先では、英語だけでなく、ラテン語、数学、物理学、天文学、フランス語で優秀な成績を収めたというのだから、本当に優秀だったのだと思う。 10年後、日本に帰国した梅子は、日本の男女差に愕然とする。アメリカのランマン夫人に手紙を送る。日本の女性には自由がない。男性に比べてあまりに地位が低い。だから、自分は男性より劣っていると感じ、向上しようと思わない。 仕事がなかった梅子は、なんと伊藤博文の家で住み込みで働くようになる。要人と出会う機会も多かったそうだ。その後、教師として学校で教えるようになる。 そして、また学びを得るために3年のアメリカ留学をする。リベラルアーツという教養教育という言葉をしる。 アナ・ハーツホンさんに出会ったきっかけは、父が持ち帰った医学書。アナの父が書いたものだったというから、びっくり! 女性を自由にしたい。生まれた家や結婚相手によって人生が決まってしまう。そのための学校を作りたい。政府の考える学校は、国を強くするため。だからこそ、政府の力を借りずに、いろんな方の力を得て成し遂げたのがすごい。 梅子はヘレン・ケラー、ナインチンゲールにもお会いする。こんな著名な方にも会えるなんて、ますます素晴らしいと思う。 体調を崩した梅子は、1年休みをとり、妹の余奈子とハワイで療養したという。そんなこともあったのか!余奈子もアメリカにいたそうだ。 梅子は、学校設立を見ることなく、亡くなった。けれど、その思いが受け継がれ、学校につながっているのだと思う。 父の影響が大きかった。子供によい環境を与えないなら、親が学ばないといけないと思った。
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