意味がよくわかるようになるための言語学 の商品レビュー
難しくて、正直、一読では大体をつかむこともできなかった。ただ、何か大切なことを書いているような気がするので、何かの機会ももう一度読み直そうと思う。 印象的だったのは、第4章ジョン・ベイトマンの「マルチモダリティの方法論と理論的課題」と、やっぱり、M.A.K.ハリデーによる第7章...
難しくて、正直、一読では大体をつかむこともできなかった。ただ、何か大切なことを書いているような気がするので、何かの機会ももう一度読み直そうと思う。 印象的だったのは、第4章ジョン・ベイトマンの「マルチモダリティの方法論と理論的課題」と、やっぱり、M.A.K.ハリデーによる第7章「日常の言語学 言語の性質と機能についての一般大衆の深い理解にむけて」の二つだった。 ベイトマンは、マルチモダリティと呼ばれる、様々なモードmode (様態)の情報がまとまりを持って意味を成す表現について、これまでの研究が個別の場当たり的な解釈に留まり、その理論的な分析の方法論を欠いていることを指摘する。第4章では、そうしたマルチモダリティ研究の方法論について、考えるべき問題のいくつかが議論されている。 よくわからないことだらけであったが、マルチモーダルな表現について分析するときに「分析の対象に動作しているジャンルと意義モードの両方を明示的に同定することにまず注意を払うことのほうが、少なくとも方法論的に秀でている(p171)」ということは、なるほどー、と思った。分析している対象について、それが「新聞記事」だとか「図」だとかあらかじめ明示的に同定してしまうとと「新聞記事と図の関係は何か」のような思考になる。ただ、全体で一つのマルチモーダルな表現をなしていることを考えれば、その表現において、何が「意義の単位」であるかを決定することについては、慎重になる必要がある。 というように、部分部分で、自分のこれまでの考えを考え直す必要を突きつけてくるところが、至る所にある一冊だった。最後にハリデーが言っている「しかし、必要に応じて、あらゆる言語過程に介入する場合、いかにわれわれの知識が不完全であっても、言語の性質と機能について気づいていればいられるほど、われわれの介入は、効果的である(あるいは、すくなくとも破壊をまねかない)はずです(p297)」の一文が、体系機能言語学を学ぶ意義を端的に表していたように思う。言語のメタ機能、レジスター、フィールド、テナーといった選択体系機能言語学が用いる概念は、ただ、言語学の学問的な探究にとどまるものでなく、自分たちの日常の言葉の使用を見直すためのものになりうる。まだまだ、一般大衆が理解できるほどには、気の利いた知識にはなっていないけれど、言語について学ぶ意義を考えるうえで、このハリデーの話は無視して通れないように思う。 いずれにせよ、もう一度読み直す必要がある本だった。
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