ブルシット・ジョブと現代思想 の商品レビュー
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勉強は生きることに関係ないのではなく、勉強することと生きることは一体になりうる。 勉強することとは、自分の今いる世界が揺らぎ、ホメオスタシスが乱れることで、その上の高次な部分こそ、「来るべきバカ」である。 資本主義の世界では、ジョブズのマーケティングのような最も魅力的で有意味な仕事でさえ、視角を変えるとBSJになりうる。 エッセンシャルワークとBSJは対極に位置しているが、芸術的な活動もまたBSJと対極に位置しており、そこに可能性が秘められている。
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対談形式なので、本家ブルシット・ジョブより読みやすい。 資本主義化(金銭や物質を増やすことがよしとされる社会)では、無思考に増やし続ける行為はブルシットである。※ブルシットかどうかは自分が決める 増やす結果や過程に、「自分が」意味や価値を見出す=問いを立てることができればブルジッ...
対談形式なので、本家ブルシット・ジョブより読みやすい。 資本主義化(金銭や物質を増やすことがよしとされる社会)では、無思考に増やし続ける行為はブルシットである。※ブルシットかどうかは自分が決める 増やす結果や過程に、「自分が」意味や価値を見出す=問いを立てることができればブルジットではない。日々の仕事に問いを立て続け、回答し続けることは芸術的でブルジットではない。
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整理すると、 - 世界自体が存在論的に「問い」を発している - 「問い」に答えようとする試みによって、記号化する で、問い自体は潜在的に世界に存在していても、記号化するには答えの試みとして認識される必要があるので、答えの試みは主観的になるのかなと思う。そして、勉強が「問い」を見つけていくための探求であり、その行為自体が答える試みであり、それが仕事になると言っている。 ここでの勉強とは千葉さんの勉強の哲学における勉強のはずなので、「あるノリから別のノリへ引っ越すこと」ということになる。 最初の対談(p.26)で、勉強することで現在のコードを批判して、ブルシット性に気づいてしまう。その後、自身の享楽性にあった真に打ち込める仕事が見つかる、とある。 つまり、ブルシットジョブだと認識している人は既に勉強の開始点であるアイロニーによるコード批判をしている。何らかのきっかけによって現在の環境(コード)の違和感を感じてしまう。そこからブルシット性に気づく。 後半の勉強の哲学の概略に、勉強のテーマを見つけるとあるが、これは要するに自分が興味をもてるネタを探しているということかなと解釈した。 視点を広げるために、「なぜ?」を問いかけてメタな視点に立つ(アイロニー)と連想による拡張(ユーモア)を利用する。するといくらでも拡張できるから自身の享楽をアンカーに使って有限化する。要するにテーマを絞りこむ。 ブルシットジョブではない、ということは興味を持っていることに取り組んでいる状態じゃないかと思った。興味を持っているということは、言語化できていないとしても、問いを見いだしていると見なせるのではないか。 つまるところ、割と自明なことを言っているのかもしれない。好きを仕事にする、的な。興味とか好きは、結構固定的ではなく色々変化するので、勉強のプロセスを実践しつづけることで常態化できるのだろう。 問題は資本主義的な労働と、ここで言う仕事=勉強を完全一致させ続けることが現実的に難しいということだ。そして、その対処としては仕事をやめましょう、と言っている。 恐らく逆なのだ。まず、勉強=仕事がある。それを資本主義的な労働にうまく結びつけることができればいい。そしてそこから生活を維持できるだけの資本を獲得できる(生産力が出せる)ことが理想ってところだろうか。 それができれば苦労しないぜ。
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千葉雅也さん著書「来たるべきバカ」とデヴィッドグレーバーさん著書「ブルシットジョブ」でのハイブリッドな内容をかいつまんでおり、5種類のおもなブルシットジョブを具体的な取り上げ方でイメージしやすいです。 はじめは、典型的なブルシットジョブは見栄を張る仕事、官僚的書類主義、多重の認...
千葉雅也さん著書「来たるべきバカ」とデヴィッドグレーバーさん著書「ブルシットジョブ」でのハイブリッドな内容をかいつまんでおり、5種類のおもなブルシットジョブを具体的な取り上げ方でイメージしやすいです。 はじめは、典型的なブルシットジョブは見栄を張る仕事、官僚的書類主義、多重の認可プロセス、というざっくりとした仕事の特徴だけかと思いましたが、読み進めるとそう簡単な話だけではありませんでした。 人間にとって最も必要とされる仕事だが問題がある(シットジョブ)では低賃金になってしまうカラクリなどの分析もありました。 こうなると、わたしも働いている一部分だけブルシットジョブと言えるかもしれないし、決して無くなることもなく、淡々としているようですね。 ロックバンドと顧問弁護士の対比だったり、エッセンシャルワーカーと芸術活動の対比、あとドゥールーズの「記号」についてなど、途中ちょっと分かりにくいところはありました。 今後どのような仕事をしていけばいいのか、仕事とはどうあるべきかなど、疑問や思索がある方にはとても参考になると思います。
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・現代思想、をちゃんと本で読むのは初めてかもしれない。 ・社会学者と哲学者の対談3割、本編4割、補足等3割、の構成。だが、自分のような初心者には、対談や補足情報の方が難しく本編と接続できなかった。本編だけさっと読むのでも良いのかもしれない。その場合は100ページほどで、内容も大枠...
・現代思想、をちゃんと本で読むのは初めてかもしれない。 ・社会学者と哲学者の対談3割、本編4割、補足等3割、の構成。だが、自分のような初心者には、対談や補足情報の方が難しく本編と接続できなかった。本編だけさっと読むのでも良いのかもしれない。その場合は100ページほどで、内容も大枠は捉えられる難易度だと思う。 ・「すべてのただ稼ぐだけの仕事はブルシットジョブでありすべての問いに答える意味を地震が見いだせた仕事は素晴らしい仕事であり芸術でもある」という解釈を得た(理解度30%くらいな気がする) ------------------------------------ 金銭があることが、仕事をブルシット化していると言えるのでは。言い換えると**「資本主義化するとブルシット化する」**ということ。 ここでいう資本主義を「(物質的に・金銭的に)増やすことが良しとされる風潮」と置き直すと、無思考に増やすことを続けることはブルシットであると言える。逆に言うと、増やす行為の中にも自分なりの意味付けや新しい価値を見つけること=**問いを立て答えること**、ができれば、それはブルシットではない素晴らしいことになる。 新しい価値を見つけることは、自分の手で魅力を生み出すことであり、言うなれば「**芸術**」である。芸術は総じて素晴らしいことであり、美しいことであることは自明なので、つまるところ、**まるで芸術に打ち込むように日々の仕事に問いを立て解明し続けること**こそが、有意義な人生を過ごす(≒ブルシットジョブから抜け出す)方法である。
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千葉哲学と大澤ブルシットジョブ論と現代思想をギュッと学べる一冊。 千葉哲学の『来るべきバカ』論はとてもしっくり。 大澤ブルシットジョブ論もなるほど確かにそうだろうとは思うし、まさに自身も体現しているものの、それで間に合うのか?感は否めない。ラディカルな提案もあっても良い気がする。...
千葉哲学と大澤ブルシットジョブ論と現代思想をギュッと学べる一冊。 千葉哲学の『来るべきバカ』論はとてもしっくり。 大澤ブルシットジョブ論もなるほど確かにそうだろうとは思うし、まさに自身も体現しているものの、それで間に合うのか?感は否めない。ラディカルな提案もあっても良い気がする。 現代思想、特にマルクスガブリエルなどを解説してもらえたのはありがたかった。(自身では理解しきれない部分が多く。) 150ページにしては濃厚な一冊でした。
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千葉さんとの対談は結局なに一つつかめなかった。まずは「勉強」に対するイメージがつかめない。僕としては、この強いられているという感じがちょっと気に入らない。自ら学ぶという姿勢がほしい。とは言え、何を学ぶかということについては、やはり外から与えられる、あるいは自ずとやって来ることもあ...
千葉さんとの対談は結局なに一つつかめなかった。まずは「勉強」に対するイメージがつかめない。僕としては、この強いられているという感じがちょっと気に入らない。自ら学ぶという姿勢がほしい。とは言え、何を学ぶかということについては、やはり外から与えられる、あるいは自ずとやって来ることもあるのだろうが、自分の意志で学んでいると思っていても、実は学ばされていることが多いのだろう。それで、この勉強の話がどうBSJ解消と結びつくのか、それがまたわからない。募金活動の実験は非常に分かりやすい。報酬が全くないグループの方が大きな金額を集めることができた。これは当然だと思う。見返りを期待してボランティア活動をしているわけではないはずだ。個人的にはそう思う。が、これを利用して金儲けをしている人がいるのも事実だろう。だから募金活動には協力する気が起きない。それはともかく、私たちはお金のためだけに働いているわけではない、と思っている。だから、目標を達成すれば報奨金がもらえる、とか言われても、私にとってはまったくインセンティヴとしてはたらかない。結果として収入が増えるのはそりゃうれしい。けれど顧客の顔を見てお金のことを考えたら、それはあまりにも失礼だろう。とは言え、私企業としては、経費が売り上げを越えてしまうと持続できない。僕の場合は、自分たちの給料をいただいた上で、少しでも利益があれば、まあ良しというくらいに思っている。ボーナスが元にもどれば(年5ヶ月)なお良しだが。それを、もっと稼げ、もっと増やせ、となるとBSJが増えるような気がする。それは我々が本当にするべき仕事か?常に自問自答し、違うと思えば、基本的にはしない。それで、とがめられるのなら、面倒は嫌なのでしたことにしておく。本質的なことがしたいと思っているし、本質的なことであれば、多少オーバーワーク気味でも耐えることができる。やりがいというものだろうか。それで搾取されてはかなわないが。一方で、毎日石を積んで、その日のしまいにはその積んだ石をくずし、次の日は一から積み直すというような無駄な作業だったとしても、ちゃんとお給料がもらえて、定時に帰れて、休日ちゃんと休めればそれはそれでいいような気もする。たぶん、そういう若者が増えているような気がする。だから、仕事の内容よりも、労働環境の方を気にする学生が多いように思う。とすると、BSJをBSJと思わない世代が現れてくるのかもしれない。あっ、でも、忙しくて帰れないというような仕事量であれば、それは本質的な仕事であってもBSJと判断されるのかもしれない。うーん、何だか分からなくなってきた。そして、本書、プルーストの話以降も結局よく分からないままだった。うーん、そこが大事なんだろうけれど。「失われた時を求めて」は読んでみよう。
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本書の前半は大澤真幸と千葉雅也の対談、後半は大澤の論文によって構成される。千葉の「勉強の哲学」、プルーストの「失われた時を求めて」、アーレントの「人間の条件」などを引きながら、グレーバーの「ブルシット・ジョブ」(BSJ) に対抗するための方法を論じている。 グレーバーの原著における定義より、BSJ とは主観的なものであることが前提となる。大澤は、アーレントに照らしながら (「労働」ではなく) 「仕事」とは動物的必要性に応えるものではなく、そもそも当初から無駄なものであるとした上で、BSJ は寧ろ人間的な営みの本質的な条件とすら言えると論じている。「無駄な仕事をすることこそが享楽」でもあり、「BSJ はまさに人間らしい無駄の増殖」だと言う。 そして、BSJ への対抗手段とは、仕事から意味を感じることであると結論づける。仕事が持つ問いを察知しそれに答えることによって、仕事に対する意味を感じることができる。BSJ とは、こうした問いを放置した状態で外的に強いられている仕事のことであり、「問い」を察知し「答え」を見出すためには教養が必要となる。 本書における論の展開には個人的に革新性は感じなかったが、得心が行く箇所が多かった。普段の仕事は BSJ と本質的に表裏一体だとするならば、アイロニーとユーモアをもって享楽的に取り組むことができれば「勉強」に還元できるのではないか。また、「芸術とは問いと答えが共存するもの」であるという主張も興味深かった。(これは、0 と 1 が同時に重なり合う量子ビットのようなもの?)
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