外科医 谷垣雄三物語 ニジェールのドクター・タニ の商品レビュー
西アフリカのニジェールで、まずは日本企業の顧問医として勤務したのち、JICA専門家として、またその後は個人の活動として、現地の外科医療の発展を模索した日本人医師のお話。35年間。 1979年から日本企業(国際資源株式会社)の嘱託医としてニジェールへ。10ヶ月で帰国。 1982年...
西アフリカのニジェールで、まずは日本企業の顧問医として勤務したのち、JICA専門家として、またその後は個人の活動として、現地の外科医療の発展を模索した日本人医師のお話。35年間。 1979年から日本企業(国際資源株式会社)の嘱託医としてニジェールへ。10ヶ月で帰国。 1982年-2001年 JICA専門家として再びニジェールへ。 最初の10年はニアメで大学で教えつつ外科治療。 1992年からテッサワへ。議員等の働きかけもあり再び専門家となる。広大なニジェールで、人々が多く暮らす南部のナイジェリアとの国境沿いの、真ん中に位置する都市ということでテッサワを選ぶ。活動内容は、ニジェールの地方の人たちが外科治療を安心して受けられるようになるよう、制度や方策を提案するためのパイロット事業。並行して外科医の育成。 国全体で12ヶ所外科施設を開設することや、維持費は住民負担とすること、外科医の養成期間を4年とすることなどを1992年時点で目標にしていた。 2001年に任期が切れたあと、自費で活動継続。 1999年妻・静子さん死去。谷垣先生は、2017年死去。二人はテッサワに埋葬されている。
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