波が海のさだめなら の商品レビュー
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
最初はアメリカ育ちの韓国人女性の洗練された雰囲気の序章から、徐々に自身出生の秘密を探るミステリーになる。その陰謀の犯人は、家父長制度や人権を認めない行き過ぎた良妻賢母教育。理想的な枠にはまらない人間を追い込み消していくシステム 烈女閣(貞淑で夫のために自害した女性を称える石碑。女学校にある)アメリア育ちの主人公はピンときておらず全く折れない(というか黙ってろという無言のメッセージを理解できてない?)のがじわじわ爽快である。 1代で終わらない長い歴史の中で因果関係に導かれながら生まれながらにして業に縛られている後半は、嵐が丘みたいな感覚があった。 ▼好きな文章 愛じゃない。ひどい災害みたいなものだった。 なぜ必要のない人まで愛すのか?愛というのは伝染病と同じだと思った。伝染病が人を選ばないように、誰でも愛せるんだから。 どうが僕がこの小説で書かなかったことをあなたが読めますように。
Posted by
養母のアンが亡くなり、養父が家を売って若い女と暮らすと言う。養父から自分の部屋に会った荷物を全て送ってもらったカミラは、知り合ったユウイチからその荷物の中の品物一つ一つに思い出すことで幼少期の事を文章に書いてみるように勧められた。一日に必ず最低三ページ。それを繰り返してみる。そう...
養母のアンが亡くなり、養父が家を売って若い女と暮らすと言う。養父から自分の部屋に会った荷物を全て送ってもらったカミラは、知り合ったユウイチからその荷物の中の品物一つ一つに思い出すことで幼少期の事を文章に書いてみるように勧められた。一日に必ず最低三ページ。それを繰り返してみる。そうして書いた文章が編集されて本になった。その本を好意的に評価してくれた出版社から、ルーツを尋ねるプロジェクトの申し出があり、韓国政府の養子援助プログラムに申請して、延世大学の語学堂で一年間韓国語を勉強した。カミラは、荷物の中にあった写真で実母と抱かれている自分を発見し、黒い髪で一重瞼の自分のルーツを探しに韓国に渡る…。
Posted by
アメリカ人の養女として育ったカミラの実母を発見する物語。実母ジウンがなぜ自分を養女に出したのか、その謎を解く形で物語が進む。この不幸はお互いを理解しえなかったことに始まるが、そもそも人と人の間には超えられない溝がある。その諦念のうちに物語が終わる。孤独がグッと迫り出してくる余韻。
Posted by
最近読んだ韓国小説の翻訳本がどれも良かったので、この本も面白そうだと思って読んでみた。 読み終わったあとこの本を調べてみると、韓国のとあるドラマの小道具としてこの本が出てきて話題になっていたそう。 幼い頃アメリカ人の夫婦の元に養子としてだされたカミラ。養母であるアンの死後、養...
最近読んだ韓国小説の翻訳本がどれも良かったので、この本も面白そうだと思って読んでみた。 読み終わったあとこの本を調べてみると、韓国のとあるドラマの小道具としてこの本が出てきて話題になっていたそう。 幼い頃アメリカ人の夫婦の元に養子としてだされたカミラ。養母であるアンの死後、養父が再婚のために家を売ることになり、アンが大切に保管していたカミラの私物を引き取ることになる。恋人のユウイチに誘われて、彼の言う通りにその思い出の品々を使って文章を書いてみることにする。やがてその文章たちは自伝小説として世に出ることになるが、手に取った品の中に一つ気になるものがあった。それは文章を書きはじめて約一ヶ月経った頃手にしたとある写真。それを手にした時うまくは言えないがそこに映っているのが実母と私であることを理解した。編集者からこの写真を元にノンフィクションを書いてみないかと言われた時これは運命だと思い、本当の母に会いに、自分の出生を知るために韓国に行くことを決意する。 ユウイチがカミラに教えた文章の書き方を見た時、私は中学校の頃に受けた国語の授業を思い出した。あの頃の先生もユウイチと同じようなことを言って、私たちもカミラのようにいくつかの文章を書いていた気がする。 第一章はカミラ、第二章はジウン、第三章は関係者たちの視点から物語が語られるが、結局のところ物語の核心は語られないままである。(一応それらしい記述はあるが、確信を得るには不十分) 個人的にはきちんと完結して欲しいと思ったが、 あとがきや帯にある どうか僕がこの小説で書かなかったことをあなたが読めますように という著者の言葉の意味を、著者をして説明が困難な、言葉にできなかったもの(あとがきではこれを深淵という言葉を使って説明している)を、どうかあなたがたにみつけてほしい、あなたがたでこの作品を完成させて欲しい、と解釈して納得した。 原文がそうなっているのか、それとも翻訳した結果によるものなのか、所々意味不明なところがあるのが気になった。韓国と日本での言葉のニュアンスや文化の違いはもちろんあると思うが、この部分の自身の知識の無さのせいでいまいち内容を理解しきれなかったことが悔やまれる。
Posted by
アメリカから韓国へ、養母の死をきっかけに、作家は自分の実母の真実を知るべく旅に出る。作家曰く、「誰も自分の人生の観光客にはなれない」から。 その旅の中で、表紙の咲き乱れる椿のごとく、母の周りにいたたくさんの人々の顔に出会う。彼らはそれぞれが互いの心の中を隠しつつそこにあって、途...
アメリカから韓国へ、養母の死をきっかけに、作家は自分の実母の真実を知るべく旅に出る。作家曰く、「誰も自分の人生の観光客にはなれない」から。 その旅の中で、表紙の咲き乱れる椿のごとく、母の周りにいたたくさんの人々の顔に出会う。彼らはそれぞれが互いの心の中を隠しつつそこにあって、途中メロドラマのようになりながらも、キムヨンスはそんな人と人との深淵を物語で描き出す。 最後にあとがきで著者はこう書いている。 “どうか僕がこの小説で書かなかったことをあなたが読めますように。” 私が受け取ったのは希望だったけれど、はたしてそれは読み切れたのだろうか。
Posted by
- 1