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なぜ私は私であるのか の商品レビュー

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2022/12/30

本書は、「私がある」という感覚は錯覚であるという。 脳は知覚情報をもとに世界を常に「予測」しており、この予測の一部として私を生み出している。 錯覚という強い言葉を使ったが、錯覚であるから、私は無いという結論では無いと思う。 様々な科学の知見から見えてきたリアルな「私(意識)の存...

本書は、「私がある」という感覚は錯覚であるという。 脳は知覚情報をもとに世界を常に「予測」しており、この予測の一部として私を生み出している。 錯覚という強い言葉を使ったが、錯覚であるから、私は無いという結論では無いと思う。 様々な科学の知見から見えてきたリアルな「私(意識)の存在」という事態を、特別な魔法や神様の助けなしに理解することで、自己の可能性と限界を知ることができる本だと感じる。 本書の考え方では、意識は知性とは別のものであり、人間だけのものではなく、動物などにもある(であろうこと)ことが自然に導かれる。 また、錯覚は、もしそれが錯覚だとわかっても、錯覚してしまうことを避けられないということを、アルデソンのチェッカーボードで示されていて、意識がもし錯覚であっても、錯覚を錯覚として認知できない(難しい)ということは、面白く(意識の在りようの奥深さ)感じた。 これについて別書であるが、悟り(諸行無常、諸法無我)を得るためには、手段として身体技法(座禅)の必要性があるということについて思い出した。 また、錯覚(ラバーハンド錯覚など)をうまく使って、VR体験を向上させる、技術的な可能性を感じ、楽しみになった。また、ボディスワップ面白そう、やってみたい。

Posted byブクログ

2022/06/29

意識のハードプロブレムとイージープロブレムの所謂「心脳問題」に対して現象性を視野に入れる事によって両者を架橋しようとするリアルプロブレムのアプローチについて説明。ただし、あくまでも神経科学の立場が軸足になっているのでイージープロブレムからハードプロブレムに迫るという体裁になってい...

意識のハードプロブレムとイージープロブレムの所謂「心脳問題」に対して現象性を視野に入れる事によって両者を架橋しようとするリアルプロブレムのアプローチについて説明。ただし、あくまでも神経科学の立場が軸足になっているのでイージープロブレムからハードプロブレムに迫るという体裁になっている。 著者は「意識は知的であることよりも生きていることと関係がある」とし「私であることは身体に関わる事」と述べている。生物学的には確かにそうなのかもしれないが、であるなら犬猫やゴキブリにも意識はあり、その点では人間と変わらないという事になる(中世ではブタを裁判にかけていたというエピソードには驚いた)。 自己は「不変の実体」ではなく「知覚の束」なのか。「私とはなにか」を考える場合、やはり物語的自己や社会的自己といったアイデンティティー的なものが問題になってくるのではないか。リアルプロブレムのアプローチはそれはそれでひとつの説明スタイルではあるとは思うが、このやり方では「この自分はどうして他者とは違うあり方をしているのか」すなわち「自己は特別な存在である」という誰もが抱える根本的な問いには何も答えられていないように思える。

Posted byブクログ