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おしゃべりな脳の研究 の商品レビュー

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9件のお客様レビュー

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2024/05/30

人は脳内で常に会話劇を上演している。心理学用語で「内言」と呼ばれる"頭のなかのおしゃべり"を研究している発達心理学者が、内言はどのように機能し、なぜ聞こえてくるのかを、スポーツ選手、小説家、子どもたち、統合失調症を持つ人、ろう者など幅広い例から考えていくサイエ...

人は脳内で常に会話劇を上演している。心理学用語で「内言」と呼ばれる"頭のなかのおしゃべり"を研究している発達心理学者が、内言はどのように機能し、なぜ聞こえてくるのかを、スポーツ選手、小説家、子どもたち、統合失調症を持つ人、ろう者など幅広い例から考えていくサイエンス・ノンフィクション。 私は一人っ子なせいか、子どものころからずっと脳内で「パーソナリティ:自分/ ゲスト:自分 / 作家:自分」のラジオ放送を垂れ流して生きてきた。だから本書の主題は「わかる!」と「そうだったんだ」の連続だった。 たとえば、内言が未来へのリハーサルとして有用であること。役所の窓口に行く前に段取りを頭のなかで反芻する人間にはとてもよくわかる。スポーツにおけるイメージトレーニングはその発展形だと、初めて一つに繋がった。なるほどぉ。 著者の専門である発達心理学では、子どもが心理を築き上げていく過程を探っている。話せるようになった子どもは、作業しながら独り言を口にしはじめる。その内容からは、内言が他者の心を推論する社会的認知に関わっていることがわかるという。対話が内在化するとは、他者が内在化すること。子どもは自分のなかに他者を住まわせることで社会に適応していく。 また、言語にも「内面的な言語」と「外面的な言語」があり、英語は内言を表現するのに工夫が必要な言語だったからこそモダニストは〈意識の流れ〉という文体を発明する必要があった、という指摘が面白かった。前から『源氏物語』ってめっちゃ〈意識の流れ〉だよなとか、ヴァージニア・ウルフって日本の少女漫画文法で読めるよなとか思ってきたのだが、それは日本語が内面的な言語だからなのかもしれない。 本書の後半は、統合失調症を発症して声が聞こえるようになった人たち(聴声者)の体験を取り上げる。内言はそもそも他者の声の内在化なのだが、通常はそれが自分の声でしかないことも理解している。統合失調症によって聞こえる声(聴声)は自分と完全に分離しているように感じられ、自分を責め苛みトラウマを抉る。著者はトラウマが脳内で声として表現されるのは、内言の対話思考と関係するのではないかと考えている。聴声者のグループに参加して意見交換をしているが、今のところ医師と当事者のあいだでは内言よりも記憶に由来するという説が有力だという。 先月読んだヴェロニカ・オキーンの『記憶は実在するか』でも同じように統合失調症による声の話があったが、そこでは記憶に機能不全が起こると個人のアイデンティティが崩れ、自分の考えが他者の声にしか感じられなくなるのだと説明されていた。これは記憶説と内言説をゆるやかに繋げる見解だと思う。本書でも語られるように自伝的記憶と内言の結びつきが強いのであれば、記憶説と内言説は全く矛盾することなく一つにまとまるのではないだろうか。 おそらく著者は内言説を採ることで、「異常」とされている聴声と「正常」な内言との差はあいまいでシームレスなものだと示し、統合失調症のスティグマを薄めるのに役立てたいのではないかと感じた。小説家でもある自身の視点からキャラクターが人格を持ちだす瞬間と聴声を結びつけて、「作家は聴声的な経験を探し求める」と言っているのもユニークだし実感がこもっている。 本書ではさまざまなトピックが取り上げられていてどれも面白いので、俎上に上がらなかった事柄についても考えを巡らせたくなる。たとえば、声の幻覚は人の存在感の幻覚だと書かれているけど、それならば霊視体験との繋がりはどうなのかとか(本書は意図的にスピリチュアルな話を避けている気がする)。音声メディアや映像メディアが内言にどのような影響を与えているのかとか。 一番気になるのは、日記やSNSと内言の関係性。私は日記をつけ(られ)ない人間だったけど、Twitterというソーシャルメディアが脳内ラジオ体質と恐ろしいほど相性が良いために、とりとめない考えのログが取れるようになった。それをきっかけに内言のスタイルもきっと変わっているのだろう。自分と同じように脳内ラジオが止まらない体質の人がこんなにいるのだとわかったのも、SNSが普及してからだった。 こうやって感想を書きながら思うに、「書く」ということは常に「書く私」と「読む私」との対話である。スポーツ選手が実行者の体と指示者の頭に分かれてセルフトークするのと同じく、書くという手の運動と思考が分かれているがために、私たちは自分自身と批判的な距離を取り、眺められるようになる。もしかすると、文字と聴声とは同じものなのかもしれない。声を病ではなく神と結びつけて、それを書き残すことが文字の重大な役目だった時代もあったことを思えば。言霊ってそういうことなのかもしれない。

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2024/01/31

軸となる明確な結論が出るわけではないが、内言について、精神病に閉じないフラットな視点から様々な論点を提示している。 個人的な体験としては、内言→幻聴は統合失調症と直結して捉えられることが多かった記憶があるので、その認識を改める良い機会だった。雑に統合失調症にまとめられて生活苦しい...

軸となる明確な結論が出るわけではないが、内言について、精神病に閉じないフラットな視点から様々な論点を提示している。 個人的な体験としては、内言→幻聴は統合失調症と直結して捉えられることが多かった記憶があるので、その認識を改める良い機会だった。雑に統合失調症にまとめられて生活苦しい方が日本には多そうだなと思った。 自分の思考についても考えさせられた。対話はあまりピンとこず、自身とは異なる別人格が話しかけてきたこともないが、黙読したり思考が流れているこの状況はなんなんだろう、と客観的に認知してみると面白い。

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2023/03/31

自分は内言や独り言が多いので考えさせられる本だった。自分Aと自分Bで会話しているような感覚があったりする。他の人にもある感覚なんだとわかってよかった。冷静になって物事に対処したいときほど独り言が出てくるのにも納得いった。まだまだわからないことが多い分野なので研究が進んでほしい。

Posted byブクログ

2023/03/17
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

自分の頭の中で行われる思考の「声」について書かれた本。自分にはあまりそういう認識がなかったので、多くの人が思考で自分と「対話」しているというのには驚いた(これは終盤で、ある特徴を持つ人たちは対話的内話が乏しいらしいとネタばらし的な回答が得られるのだが…)。自分の思考に伴う「内話」、統合失調症の象徴のようになっている「聴声」の研究の話が続くが、わかっていないことがまだ多すぎてちょっととっ散らかった印象かも。統合失調症の聴声が内声の認識の失敗であるという説は別の本でも読んだが、トラウマ説というのが別にあって競合しているというのは初めて知った。もっと研究が進めば面白そうな分野であることは確かだし、また読みたいテーマ。

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2022/09/19

内言、黙読、幻聴(聴声)といった頭の中で「話される」言葉についての研究をまとめたもの。こういう研究分野があるんだと知った。頭の中の会話が、どのように記憶や推論や能力に結び付いているのかが語られることを期待したが、その辺りの詰めはまだ研究途上であるのか薄い印象だった。 DES (...

内言、黙読、幻聴(聴声)といった頭の中で「話される」言葉についての研究をまとめたもの。こういう研究分野があるんだと知った。頭の中の会話が、どのように記憶や推論や能力に結び付いているのかが語られることを期待したが、その辺りの詰めはまだ研究途上であるのか薄い印象だった。 DES (記述的経験サンプリング)という任意のタイミングでの内言を観察者から直接聞き取る方法や、fMRIによる脳の活動状況を測定するなどの手段によりこれまで内なるものとして科学的探索の外部にあった内言を科学の分析に乗せることを可能としている。 黙って考えているとき、言葉でしゃべるように考えているのか、黙読するときに頭の中での言語活動は、実際に発話しているときとどう違うのかが論じられる。実際に自分の中で考えが言語化されているか怪しいし、考えているとしてどの程度の割合で考えているかわからない。スマホを持って常にそこから情報のインプットがある状態だと内言化して考える能力に影響があるのではないかと想像してしまう。「スマホ脳」という言葉もできたように、内言の時代における変化の可能性やその変化はどのようなものであるのかについての深堀りをした考察が欲しかったと思う。 その観点では、本書の中でも何度も取り上げられているジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』がまず思い浮かぶ。この本を手に取ったのも、『神々の沈黙』とどこか関係がありそうだからというのが理由のひとつでもある。ジェインズの論によると、古代以前の人類は右脳と左脳とは別の言語活動を行い、人々は内言を神の声として聴き、行動を起こしていたという。ジェインズの理論が正しい証拠はないが、内言や聴声がその人が育つ社会によって大きく異なる可能性があるのはありそうなことだ。 また、本書の主張のひとつは、聴声が比較的一般的で必ずしも精神病者でなくともありありと声を聴いている人がいるということだ。実際に聴声者が何人か紹介される。外界の声を聴くことも頭の中で起きることであるのだし、想像でその人の声を頭の中で再生することも起きていることなのだから、何らかの理由で内なる声を聴くようになることもおかしなことではないのかもしれない。 研究紹介としては問題ない本なのかもしれないが、もう少し踏み込んだ結論が出ていれば面白かったかもしれない。 ------ 『神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡』(ジュリアン・ジェインズ)のレビュー https://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4314009780

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2022/06/19

日本語で読みなおしてもやっぱりそんなにおもしろくない、っていうか私はこのネタについてもっと知りたいことが別にあるようだ。

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2022/05/18

この本を一気に読んだので、途中クラクラして来ましたが何とか読了。 本を読むとき、今ではこれが普通と思う『黙読』が、かつては(西暦300年後半)とても変わった行いだったということに驚きました。 書類や手紙など文章を書く際に、頭の中に思い浮かぶスピードがとても早く書くことは到底追...

この本を一気に読んだので、途中クラクラして来ましたが何とか読了。 本を読むとき、今ではこれが普通と思う『黙読』が、かつては(西暦300年後半)とても変わった行いだったということに驚きました。 書類や手紙など文章を書く際に、頭の中に思い浮かぶスピードがとても早く書くことは到底追いつきません。その辺りが書かれているか?期待しましたが、思考の速さだけ少し記載がありました。 頭の中で次々と起こる思考・言葉が、自分のものであると感じない方もいるそうで、精神疾患について多くの記載があります。

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2022/05/11

第一章 不思議なチーズ──内なる声と思考の関係 第二章 ガス灯をつける──内観という方法 第三章 おしゃべりな器官の内側──自分の異なる部分どうしが会話する 第四章 ふたつの車──子どもの私的発話と内言の発達 第五章 思考の博物学──内言の種類、外言との関連 第六章 ページ上の声...

第一章 不思議なチーズ──内なる声と思考の関係 第二章 ガス灯をつける──内観という方法 第三章 おしゃべりな器官の内側──自分の異なる部分どうしが会話する 第四章 ふたつの車──子どもの私的発話と内言の発達 第五章 思考の博物学──内言の種類、外言との関連 第六章 ページ上の声──黙読について 第七章 私の合唱──対話的思考と創造性 第八章 私ではない──聴声の経験 第九章 さまざまな声──聴声経験と内言の多様性に注目する 第十章 鳩の声──古代・中世の聴声 第十一章 自らの声を聴く脳──言語性幻聴の神経科学 第十二章 おしゃべりなミューズ──作家が聴く声について 第十三章 過去からのメッセージ──トラウマ的記憶と聴声 第十四章 しゃべらない声──非聴覚的・非言語的な経験 第十五章 自分自身と会話する──「声」の重要性の探究

Posted byブクログ

2022/04/27

黙読中に文章が声となって脳に響く。その声が響かないと本に集中していない。 音はないのに頭の中で音で会話している。どうなってるのか不思議です。

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