ヤバい神 の商品レビュー
「神は理解不能」という言い方が、最もしっくりくる。私は神という概念はあるべきだという立場だが、しかし、その超越性ゆえに、個人の善悪、人間の価値観で推し量る事など不可能だと考える。だから、宗教家には申し訳ないが、聖書主義も福音主義も預言や伝聞、解釈を経ている時点で成立しないはずでは...
「神は理解不能」という言い方が、最もしっくりくる。私は神という概念はあるべきだという立場だが、しかし、その超越性ゆえに、個人の善悪、人間の価値観で推し量る事など不可能だと考える。だから、宗教家には申し訳ないが、聖書主義も福音主義も預言や伝聞、解釈を経ている時点で成立しないはずではないか。人間には、神は解釈できないはずであり、この絶対的存在を信仰するに当たって、分かりやすい物語や道徳を付与した事物は虚構である。解釈は多義的になり、時に私欲を満たす為に利用され、争いを生んだ。 なので、本著の通り、人間の解釈に付託された神のヤバさは織り込み済み。ヤバいのは神ではない。人間は罪を犯したらしいが、ということは人間は神の意思に叛く事ができたという事であり、こうした矛盾から「解釈」はスタートする。人間が神を超えられるはずはなく、そこには罪や罰という概念があるはずもない。しかし、神超え可能、だから厳罰をという設定自体が既に無理筋。神は利用できないが、神話は利用可能。ゆえに、我が子を生贄に差し出せなんていうヤバさを突きつける挿話があったりする。生贄を肯定するか否定するかという論争も、当時の文化ゆえだ。 宗教学者ではないので、直感でアレコレ言うのは誤りだが、無神論的な人も、割とこれに近い考えではないだろうか。サピエンスを束ねる実用的な神話ではなく、創造主という意味での神ならば、それは少なくとも現世人類の人智を超え解釈されない位置にあるはずだ、と思う。
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ある教会の礼拝で2023年のキリスト教書店大賞第2位と紹介され、興味を持ったので読みました。 帯には「子どもを殺せとか、ムリでしょ!」とる。これは、神がアブラハムにイサクを捧げよと命じたこと。 ここだけではなく、旧約聖書には、「神様、それはあんまりでしょ」と思ってしまう箇...
ある教会の礼拝で2023年のキリスト教書店大賞第2位と紹介され、興味を持ったので読みました。 帯には「子どもを殺せとか、ムリでしょ!」とる。これは、神がアブラハムにイサクを捧げよと命じたこと。 ここだけではなく、旧約聖書には、「神様、それはあんまりでしょ」と思ってしまう箇所があります。 そういう箇所について、旧約聖書学第一人者と言われるトーマス・レーマー氏がそれらの表現の意味や理由を考察したのが本書。 この本を読みながら、少なからずショックを覚えました。聖書を30年以上読んで来たけれど、聖書は知識で読むものではないと思うけれど、最低限の知識はやはり必要で、そういった知識さえなく読んでいたのだと、結構愕然としました。 読んでいて、書いていることが矛盾しているのではないかと思う箇所もあったけれど、読み終わって思ったことは、私たちは問われている存在だということ。
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難しかったが、面白かった。 まだ頭が整理できておらず、この本に書かれているすべては理解できていないが、今まで不思議に思っていたキリスト教の問題、つまり旧約聖書の残酷なエピソードや神と悪との関係などについて一応すっきりとするものがあった。 奥が深い世界である。神もまた。
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旧約聖書の端々にあらわれる神の人間に対するなさり様の悲惨さ・残虐さは一般的な倫理からかけ離れているのでは何故かという現代的な疑問は、聖書の記述が歴史上ユダヤの人々がそれが書かれた時期に体験した苦難に由来するという背景を斟酌しなければならないという。バビロン捕囚のような苦難に対して...
旧約聖書の端々にあらわれる神の人間に対するなさり様の悲惨さ・残虐さは一般的な倫理からかけ離れているのでは何故かという現代的な疑問は、聖書の記述が歴史上ユダヤの人々がそれが書かれた時期に体験した苦難に由来するという背景を斟酌しなければならないという。バビロン捕囚のような苦難に対して多神教的バアルから民族的自意識を守るため一神教に移行させたように、申命記史家のような書き手のことがある。
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