女教師たちの世界一周 の商品レビュー
19世紀半ばのイギリス、ミドルクラスの女性が働いてもレディの体裁を保てるほぼ唯一の職業であった「女教師」を巡る物語。 第一章では、『ジェイン・エア』と『小公女』を取り上げ、作者自らの女学校体験が投影された場面を素材にしつつ、誕生当時の女子教育の有り様を描く。 第二章は、狭...
19世紀半ばのイギリス、ミドルクラスの女性が働いてもレディの体裁を保てるほぼ唯一の職業であった「女教師」を巡る物語。 第一章では、『ジェイン・エア』と『小公女』を取り上げ、作者自らの女学校体験が投影された場面を素材にしつつ、誕生当時の女子教育の有り様を描く。 第二章は、狭いイギリス本国ではキャリアを活かせないと、植民地インドや自治領カナダで羽ばたくことを夢見た女教師の活動と限界を描く。そしてそう、『赤毛のアン』の主人公、アン・シャーリーは女教師だったのだ。 第三章は、女子参政権運動の盛り上がりの時期に女子中等教育が完成の時期にあったことに触れつつ、第一次世界大戦後、大英帝国が衰退に差し掛かり始めたこの時期の男性優位社会からのフェミニズムに対する攻撃、ワーキングクラス女性との対立が顕在化してきたことなどを説き明かす。 ここで取り上げられるのが、ドロシー・セイヤーズのミステリー『学寮祭の夜』。読んだことがあるのだが、そのような社会的背景を踏まえて書かれた作品であったのかと、ちょっとビックリ。 第四章は、閉塞感のある本国を離れて、「高度な女子教育」を実践するため向かったアフリカと西インドが取り上げられる。イギリス型女子教育はそれらの著者で実現可能だったのか? そして本章では、英領ドミニカ島出身の作家ジーン・リースのイギリスでの教育体験と、『ジェイン・エア』の登場人物ロチェスターの妻「狂妻バーサ」の立場から描いた『広い藻の海』が紹介される。 ラスト第五章では、第二次世界大戦後、労働力不足解消のため英領西インド諸島からの移民受け入れに伴い、その子女に対する教育が課題となり、ブラック教師が誕生したこと、また移民に対する厳しい差別がある現実について語られる。なお現在進行形の問題。 イギリスを舞台にした女子教育の歴史的推移について、フェミニズムの立場から明確な問題意識の下に叙述がされていて、興味深く読むことができた。
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女性が教師になる歴史的な事とかが書かれていて興味深く読んだ。 イギリスから世界に羽ばたいた女性達の奮闘、フェミニズムと絡めていて彼女達のバイタリティに頭が下がった。
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まえがきが最高。著者は1980年代には公立中学で先生をしていたのだけど、そこで「わきまえない女教師」に出会う。このエピソードがかっこいい。周囲をフィジカルな力で支配することの愚。それとは真逆のアプローチをとった女性の先輩の「女教師ぶり」に心底感動した、とある。2010年代に女教師...
まえがきが最高。著者は1980年代には公立中学で先生をしていたのだけど、そこで「わきまえない女教師」に出会う。このエピソードがかっこいい。周囲をフィジカルな力で支配することの愚。それとは真逆のアプローチをとった女性の先輩の「女教師ぶり」に心底感動した、とある。2010年代に女教師の仲間入りをしたわたくしとしても、わきまえない姿勢を学びたい。 子供の頃に読んだ『小公女セーラ』や『赤毛のアン』には女性の先生が登場する。前者の先生は超意地悪だった。アンは、すぐに結婚した親友のダイアナとは違って、男子に混ざって進学するし、志半ばで帰郷したのちは学校の先生になる。どうやら、イギリス産業革命後のミドルクラス女性は、自分の能力や受けた教育を生かして生きていく道を教職に見出したらしい。その道の途中に彼女たちの学校があった。 海外へ出て行った女性たちの話も面白い。ポストややりがいを求めて、女教師は植民地へ飛び出したが、彼女らは往々にしてその土地の生徒たちに差別的なまなざしを向けていた。「わたしは男に負けない」「イギリス本国に負けない」こういうプライドが、目の前の生徒や文化を尊重する態度を曇らせる。というか、宗主国と植民地、教師と生徒、といったようなそもそもの権力構造の強者の側に自分がいることを自覚していないと、誰でも簡単に失敗する気がする。この関係性ってその場その場によって変わるから。のちに、こういった女教師に傷つけられたり、または励まされた経験のある少女が、向上心を持って女教師を志す。知的好奇心のバトンが渡される感じがする。学校って保守的なシステムだなと日々思うけど、それでもここで学ぶことは未来を自分のものにすることになるはずだと信じてる身としては、女性教員の歴史や活躍は興味深い。 「女にやれっこない」と思われていた学問を女性が修めることは、わきまえない行為だったのだろう。ただ、男と同じような方法でふるまうことは、唯一の方法ではない。 ある女子生徒が、男女合同の体育の授業で、自分がバッターボックスに立った時、守備の男性生徒が近寄ってきたことにイラっとしたから特大のホームランを打って黙らせた、という話をしていた。まわりの女の子たちは「おおー」と歓声を上げていた。私もそういうタチの人間だったのだけど、ここ数年考えを変えつつある。常に私が男子の基準に合わせてあげる必要ってあるのかしら。スポーツは身体能力の性差が出るから難しいけど、女性は男性と同じような働く方をしてパフォーマンスをしないと評価されない、そこまで露骨じゃなくても、彼らが無言のうちに共有してる空気感を読んで仲間入りしないと、評価される土台に乗れない、もしくはそういう風に思わせる雰囲気があるとしたら、2020年代はそれを指摘していかないといけない。学生のころにこんな思いをしたことなかったんだよ。働き出してからなんだよ、こんなに邪険に扱われるのは! 正直、私を含め現代の女性教員も男子に負けたことがないタイプが多い気がしていて、連帯するのもなかなか難しい。女性教員を見渡すと、別に特にジェンダーを意識しない消極的現状容認型や、男子優位に気付いていて便乗して評価されようとするごますり型もいる。私はボーイズクラブ的文化をきちんと批判したい。今の時代のわきまえない女教師でありたい。
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2022.5.15市立図書館 日本の女子教育史を背景とした柚木麻子の小説「ランタン」やオルコットのB面「仮面の陰に あるいは女の力」、斎藤美奈子「挑発する少女小説」などで興味が湧いていた女子教育史につらなる一冊。私塾、ガヴァネス(家庭教師)などの不安定な苦境を味わってきたミドルク...
2022.5.15市立図書館 日本の女子教育史を背景とした柚木麻子の小説「ランタン」やオルコットのB面「仮面の陰に あるいは女の力」、斎藤美奈子「挑発する少女小説」などで興味が湧いていた女子教育史につらなる一冊。私塾、ガヴァネス(家庭教師)などの不安定な苦境を味わってきたミドルクラスの女達が互助的な女子教育機関を設立し、女性の参政権や高等教育などのために運動しつつ、養成した教師をはじめ教育を受けた女性を各国に送り出すようになった経緯とその影響はいろいろな要素が相まって興味深い。 最初の収穫は、フランス革命から間もない時期に女性の人権を理解し女子教育のために行動したフェミニストの元祖メアリ・ウルストンクラフトという人物(「フランケンシュタイン」を書いたメアリ・シェリーの母親!)をはじめて知ることができたこと。 帝国の植民地での「文明化の使命」が独りよがりの空回りで徒労に終わったアネット・アクロイドの挫折のケースは、女子に限らず異文化間の教育のあり方について学ぶことがあるし、「嵐が丘」のスピンオフを描いたジーン・リースという作家を知れたのもよかった。イギリス本国の男と対等な教育をめざす女校長たちの志が実学志向のカナダやアフリカなどで受けなかったこと、西インド(ジャマイカやドミニカなど)におけるイギリス流の教育とそういった国から英国に渡った女子学生の受難、ミッション(宣教)系の教師との違い、女性差別と人種差別のクロスセクションなど、示唆に富む内容だった。 英国から日本に直接きた女教師はあまりいなかったのか、今回は日本のケースがふれられていなかったが、明治以降カナダやアメリカから女教師を迎えてうまれたミッション系の高校や大学、津田梅子ら留学した女性たちがつくった学校のことなどもあわせて調べてみるとおもしろいと思う。
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