エリートと教養 の商品レビュー
以前、科学技術政策の集中講義で扱われた内容とも重なり、とても懐かしく読んだ。またこの間の10年で世に現れた事象や事実を組み入れて、著者の教養論がアップデートされたものといえる。圧倒的な知識・経験を題材にして、意図的な余談を以って記述しないと、教養は説明できないことも思い出した。あ...
以前、科学技術政策の集中講義で扱われた内容とも重なり、とても懐かしく読んだ。またこの間の10年で世に現れた事象や事実を組み入れて、著者の教養論がアップデートされたものといえる。圧倒的な知識・経験を題材にして、意図的な余談を以って記述しないと、教養は説明できないことも思い出した。あえて保守と革新の二項を設けて、コロナと生命の二つの章を読むと、比較的保守寄りにふれているような印象を持った。保守であることが、エリートの持つ教養の条件となり得るか、次回にお目にかかったときに質問してみたい。
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村上陽一郎氏の歯に絹着せぬ物言いが好きだ。 『あらためて教養とは』は語り下ろしであった。本書は書き下ろしである。文章の端々からも氏の教養が滲み出ている。例えば、「雅味」(がみ/雅な味わい)という言葉を私は知らなかった。 氏の広範な知識を老害と捉える読者もいるだろう。よく分からない...
村上陽一郎氏の歯に絹着せぬ物言いが好きだ。 『あらためて教養とは』は語り下ろしであった。本書は書き下ろしである。文章の端々からも氏の教養が滲み出ている。例えば、「雅味」(がみ/雅な味わい)という言葉を私は知らなかった。 氏の広範な知識を老害と捉える読者もいるだろう。よく分からないことを長々と語られたら嫌気がさすのも当然だ。しかし、若者にさえ大人が媚びる今の時代に、読者に媚びずに持論を展開する物書きも珍しい。その意味で本書は村上氏の持論に触れたい人だけが読めば良いだろう。 自分の至らなさを誰からも指摘してもらえない年齢になってしまった。もはや自分で自分を教養するしかあるまい。 ちなみに、村上氏は原稿をPCで書いていることが分かった。論文を書くことを生業にした学者だから当然ではあるが、そのためいささかペンが走っているところがあるように思った。
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政治家の教養不足 日本の政治における「教養不足」、今の政治家は国民の不満を満たす言葉を巧みに使うがそこに教養溢れる新たな社会システムを生み出す仕組み作りをしていない、ということだろうか。現実、日本のエリート=教養ある専門家を活用した政策で推し進める社会システム構築は他国と比べて相...
政治家の教養不足 日本の政治における「教養不足」、今の政治家は国民の不満を満たす言葉を巧みに使うがそこに教養溢れる新たな社会システムを生み出す仕組み作りをしていない、ということだろうか。現実、日本のエリート=教養ある専門家を活用した政策で推し進める社会システム構築は他国と比べて相当遅れている。それは、日本がいつまでも古風な習慣と利権で固定化させていることでデジタル社会の出遅れを一層深めているのだ。小手先の給付金、補助金などは源は国民の税金で回しているだけで結局国民の税負担はその後に回るだけだ。
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多数の文献に溺れることで、自分で考える力を失った無教養人を模すことに人生を捧げた最高の教養人の姿がここに!
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いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。 村上陽一郎氏単独の著作としては「やりなおし教養講座」を読んで以来になりますが、いまだ現役の碩学である村上氏の“教養”“リベラル・アーツ”論だと聞くとちょっと気になります。 中身は、堅苦しい論考というよりは、様々な“教養”の...
いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。 村上陽一郎氏単独の著作としては「やりなおし教養講座」を読んで以来になりますが、いまだ現役の碩学である村上氏の“教養”“リベラル・アーツ”論だと聞くとちょっと気になります。 中身は、堅苦しい論考というよりは、様々な“教養”の現出シーンをモチーフにした“村上流エッセイ”といった趣も感じられる興味深い著作でした。
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教養の本質を問う。皆が欲望のまま好き勝手に行動すれば他者と共存できなくなるため、教養あることは無分別な行動を戒める理性に繋がる。理性的に行動しようと思えば、視野広く物事を考えなくてはならず、自然と知識も増えていきそう。言葉や習慣など、現代の感覚で安易に取捨選択するのではなく、それ...
教養の本質を問う。皆が欲望のまま好き勝手に行動すれば他者と共存できなくなるため、教養あることは無分別な行動を戒める理性に繋がる。理性的に行動しようと思えば、視野広く物事を考えなくてはならず、自然と知識も増えていきそう。言葉や習慣など、現代の感覚で安易に取捨選択するのではなく、それが持つ意味や背景を熟知し、慎みを持って他者のために尽力できる人こそ真のエリートなのだろう。本書を読んでそう感じた。
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教養を身につけたくて新書を読んでいるというわけではないのだが、できれば教養ある人間でいたいとは思う。教養とはいったい何か。本書の中で、いくつものテーマで語られている。まあとにかく、矢継ぎ早に余談が登場するので、本筋がどこにあるのかを見失いそうになる。これは、私が学生時代に聴いた集...
教養を身につけたくて新書を読んでいるというわけではないのだが、できれば教養ある人間でいたいとは思う。教養とはいったい何か。本書の中で、いくつものテーマで語られている。まあとにかく、矢継ぎ早に余談が登場するので、本筋がどこにあるのかを見失いそうになる。これは、私が学生時代に聴いた集中講義でも同じだった。今でも覚えているエピソードは、現代では外科医と言えば医者の花形であるが、中世(たぶん近世も。このあたり教養がないゆえの自信のなさ)外科手術のような刃物を扱う作業は床屋などが行っていた。そのためか、現在、理髪店の前で回っている赤青白のヤツ(サインポールというらしい)の3色は動脈・静脈・体液を意味しているとのこと。また、サイエンティストということばは19世紀に入ってからできたのだが、当初istと呼ばれることを嫌った自然哲学者が多かったようだ。ianなら許せるのだとか。その辺の意味の違いは教養のあるなしに入るだろうか。ただし、本書では、「知識がある」=「教養がある」とは考えられていない。慎み深いとか、ディーセンシー(decency)ということばが使われている。あるいは、「人間が仲間内で静穏に生きていくために弁えておくべき行動習慣(規矩という)を実践できること」と書かれている。なかなか難しい。具体例として、言葉の問題が上がっているが、私も「ら抜き言葉」などを使わないように気をつけているがあやしい限りである。肯定的な意味での「やばい」はできれば使いたくない。パソコンはなんとか許してほしい。まあできるだけPCと書くようにするか。「ライン」はもうどうしようもない。cultureが耕すから来ているということは知っていたが、その派生語であるcultivateについては気付いていなかった。花園高校にそういうコースができているのにもかかわらず。これもまた教養のなさか。いや、単に知識がないだけか。いやいや、知らないことばがあったのに調べようとしない姿勢が教養のなさか。村上先生ご自身、大変厳しい規矩をお持ちのようだが、どうやらそれはお父様から受け継がれているようだ。そういう様子が本書の中で垣間見える。(規矩ということばの使い方は正しいのだろうか。)
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言葉の力で共感を得られるか? 専門家が抱える問題点とは? 今、エリートの真価が試されている。科学史の碩学からのメッセージ。
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