帰れない村 福島県浪江町「DASH村」の10年 の商品レビュー
突然、故郷を捨てなければならなくなった方たち。 原発近くに住む人たちのため、避難所に選んだ村はいつもなら風向きで被害に遭わないはずなのに。 なぜか、その時だけ風向きが違い、放射能が吹き付けてしまった。 避難所の外で炊き出しをしてたら、防護服に身を包んだ人たちが来て「何をしてい...
突然、故郷を捨てなければならなくなった方たち。 原発近くに住む人たちのため、避難所に選んだ村はいつもなら風向きで被害に遭わないはずなのに。 なぜか、その時だけ風向きが違い、放射能が吹き付けてしまった。 避難所の外で炊き出しをしてたら、防護服に身を包んだ人たちが来て「何をしているんだ!建物の中に入れ」と。 え?どーして、放射線量が大変だと教えてくれなかったんだろーか。 子どもたちも、外でお手伝いをしていて。 頑張ってと声をかけてしまってた… そんなこと知ってたら、違うとこに避難してたとか いろいろな後悔が出てくる。 そんな人たちの思い。 帰れるように除染してから、村を返さなきゃいけないと思うが。除染作業をしなくても避難指示を解除できる… 大丈夫なのか?? あれから、11年なのか まだ、11年なのか
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東日本大震災から10年以上経った今でも、住人が1人も帰れない「村」がある。東京電力福島第一原発から20~30キロ離れた「旧津島村」。2021年LINEジャーナリズム賞受賞!(e-honより)
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大きく変わってしまったひとりひとりの人生を取り上げるルポルタージュ。 重い。重いけど知ること、忘れないことが大事だと著者は書く。 「そう、僕たちにできることはあまり多くはない。 だから、少しだけでいい。この小さな本を読み終わった後に少しだけ、福島について考えてほしい。今も自宅に...
大きく変わってしまったひとりひとりの人生を取り上げるルポルタージュ。 重い。重いけど知ること、忘れないことが大事だと著者は書く。 「そう、僕たちにできることはあまり多くはない。 だから、少しだけでいい。この小さな本を読み終わった後に少しだけ、福島について考えてほしい。今も自宅に戻れないでいる、「帰れない村」の人々に心の中でエールを送ってほしい。 「僕らはちゃんと知っています。日本には人の住めない『村』があることを」 そう知ってくれただけでも、彼らはきっと喜ぶはずだ。」 〜プロローグより〜
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2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く原発事故、福島第一原子力発電所から20〜30kmも離れていながら高濃度汚染かつ自然豊かな里山地域だからこそ十分な除染もされず11年たった今も帰還できずにいる。テレビ番組のDASH村の舞台にもなっていた津島村、満州からの引揚者たちが自ら...
2011年3月11日の東日本大震災とそれに続く原発事故、福島第一原子力発電所から20〜30kmも離れていながら高濃度汚染かつ自然豊かな里山地域だからこそ十分な除染もされず11年たった今も帰還できずにいる。テレビ番組のDASH村の舞台にもなっていた津島村、満州からの引揚者たちが自らの手で開墾そた土地でもあった~国策で翻弄され続ける現在進行形作の被害の実態を多くの写真も用いて淡々と綴られている。ふるさとを返せ!もとに戻せ!が彼らの想い。
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2019年3月、著者の「文庫版 南三陸日記」を読んで、私はおそらく生涯で1番読書で泣いた。大震災直後の赴任先での、コラムと写真の記録だった。 本書は、岩手県ではなく福島県浪江町「旧津島村」の「(放射能で)100年は帰れない」と言われたその後の元村民たちを取材した記録である。3年...
2019年3月、著者の「文庫版 南三陸日記」を読んで、私はおそらく生涯で1番読書で泣いた。大震災直後の赴任先での、コラムと写真の記録だった。 本書は、岩手県ではなく福島県浪江町「旧津島村」の「(放射能で)100年は帰れない」と言われたその後の元村民たちを取材した記録である。3年半のWEB連載だった。「南三陸」同様のコラムと写真で構成されている。けれども、私は読書中一度も涙を流すことはなかった。代わりに、どんどん塞ぎ込みたくなった。 前著は、「直後」ということもあって、町民たちの心が、未来が激しく動いていた。悲しいことがたくさんあったからこそ、展望を持とうとしていた。一方、10年後の「旧津島村」帰宅困難区域の人たちは、もう悲しみ尽くして涙さえ枯れ果てている気がする。全編展望が感じられない。怒りと悲しみはでてくるけど、未来が見えない。 それでも前書きで、三浦英之さんは写真と共に書いている。 「僕たちはすぐに多くのことを忘れてしまう。(略)でも、それは仕方ないことなのかもしれない、と僕は思う。僕たちには僕たちの生活があるし、人生をかけて夢を追っている人もいれば、大切な人を守っていかなければならない人もいる。(略)だから、少しだけでいい。この小さな本を読み終わった後に少しだけ、福島について考えてほしい。今も自宅に戻れないでいる、「帰れない村」の人々に心の中でエールを送ってほしい。「僕らはちゃんと知っています。日本には人の住めない『村』があることを」そう知ってくれただけでも、彼らはきっと喜ぶはずだ。なぜか?彼らが1番恐れているのは、人々の記憶から消し去られることだからだ」 2019年の東電旧経営陣への無罪判決に憤る春江(60)さん。 満州引き上げ者が多かった津島村。国によって、半世紀も経って2度までも家を追われたチヨ(90)さん。 秘密にされていたTOKIOのDASH村は、実は津島村だった。「撮影は無理でも、当時使われていた古民家を復興の足掛かりにできないか」と未だに草刈りの手入れをしている宝次(84)さん。いつになるのかわからないのに。 気がつかず子供たちに牛乳を飲ませてしまった酪農家の女性(62)、3月14日子供たちの「お手伝い」を応援していた児童クラブの職員(58)。今も激しい後悔に苛まれている。 精神科医は言う。「神経の覚醒が継続していて、相撲で言えば、『はっけよい』『見合って、見合って』の状態がずっと続いている」←時々私はひょんなことで不眠症になるけれども、それが目が覚めていても24時間続くということだろうか。 写真は「南三陸」よりも倍ぐらい多くなっている。しかし、暗い写真が多い。なぜなんだろ。と思ったら、三浦さんは一度もフラッシュを焚いていないのである。 今年も3月11日がやってくる。 涙は一滴も流れない。 悲しみが続く。
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ページをめくるたび、モノクロ写真を目にするたび、読むのがつらくなった。けれどたぶんそれは、私が普段「生き(て何かをす)る」ために、これら「帰れない村」のひとびとのことを(悪い言い方をしてしまうと)思考からシャットアウトしてしまっているからだと思う。いま、今、実際に、原発事故によっ...
ページをめくるたび、モノクロ写真を目にするたび、読むのがつらくなった。けれどたぶんそれは、私が普段「生き(て何かをす)る」ために、これら「帰れない村」のひとびとのことを(悪い言い方をしてしまうと)思考からシャットアウトしてしまっているからだと思う。いま、今、実際に、原発事故によって散り散りにさせられ、以前とまったく異なる生活を余儀なくさせられている方々が居られるにもかかわらず。 これだけの事故の、(これを書いているのはロシアにウクライナが侵略され、核攻撃を示唆されたとさえいわれる2022年2月28日である)また「核」ということばに背筋がふるえる広島長崎の、記録が記憶があるくにで。私たちはきょうも、自分が生きるために目を瞑って生きている…… この「村」で活動していたアイドルたちもどうしているだろう。私は以前、とてもたのしみに観ていたものだったが。 ずっと蓋をして、口を閉ざしているのは、ほんとうにただしいことなのだろうか。
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DASH村があった福島県津島村、放射能で村を追われた住民の今を取材し報告してくれている一冊。 当たり前だが旧住民にとって震災後のほうが良かった話は1つもなくて、相当苦労されている現実である。 原発利権が地に根付き、都市の快適生活を当たり前と普通に考えてる人が多数で、自然エネルギ...
DASH村があった福島県津島村、放射能で村を追われた住民の今を取材し報告してくれている一冊。 当たり前だが旧住民にとって震災後のほうが良かった話は1つもなくて、相当苦労されている現実である。 原発利権が地に根付き、都市の快適生活を当たり前と普通に考えてる人が多数で、自然エネルギー系の研究投資が終わってる日本、トイレのないホテルの後始末を自分事と考える必要があるんじゃないかとずっと思っている。それをリードできるのは国だが、、、、全く期待できないっす。。。。
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