本当は怖い京ことば の商品レビュー
京都言葉の本音を解説した書籍である。タイトルに「本当は怖い」とあるが、京ことばに裏表があることは有名である。本書は京ことばを駆使する人を京都ジンと他所の日本人と異なる人々のように位置付けるが、むしろ普通の市民感覚を覚えた。 本書は最初の京ことばに「わたし、アホやさかい」を紹介す...
京都言葉の本音を解説した書籍である。タイトルに「本当は怖い」とあるが、京ことばに裏表があることは有名である。本書は京ことばを駆使する人を京都ジンと他所の日本人と異なる人々のように位置付けるが、むしろ普通の市民感覚を覚えた。 本書は最初の京ことばに「わたし、アホやさかい」を紹介する。これは自分がアホと謙遜しながら、こちらに理解できるように説明しない貴方が愚かであると遠回しに嫌味を言っている。本音は「どこにでもあるような与太話を長々と聞かされてエラい迷惑やった。またおんなじこと、しはるんやったら、相手しませんで」である(18頁)。 本書の面白いところは、この言葉を営業のプレゼンテーションでの応答で使っていることである。マンション投資の迷惑勧誘電話が節税の話から始めるような、要領を得ない長話の営業トークにはウンザリさせられる。 「アホだから分からない」は話の内容を理解できるか否かではない。顧客側にとって重要なことは自分の価値があるかである。売り手の都合を押し付けて買い手の価値を無視した押し付けトークは、自分にどのような価値が得られるか分からない。京ことばと言えば歴史や伝統というイメージがあるが、Customer Successの21世紀にビジネス感覚と合致する。 本書は京都ジンを怒らせた例として、定年過ぎの年配男性が京都でタクシーに乗って「ワシ、昔、京都地裁におったんや」と話したことを紹介する(27頁)。公務員の組織自慢が下らなく腹立たしいことは京都ジンという特殊な人々に限った話ではなく、民間感覚と重なる。 京都は歴史的に天皇のお膝元であることが自慢と考えられがちであるが、朝廷は京都の行政権を持っていた訳ではなかった。明治時代になると天皇も公家の多くも東京に引っ越した。現代の京ことばの話し手の圧倒的多数は公家ではなく、町人の子孫だろう。京都ジンは東京人以上に民間感覚が強いと言える。 業界横並びの昭和の村社会では、付き合いで出費しなければならないことが多い。儲かっている企業ならば人一倍出さなければならないという圧力がかけられることがある。これに対して京都ジンは異なる。「カネがあり余っていても、客がくる限り、そんな無駄使いは一切しないのが京都ジンの知恵であり、始末精神なのだ」(36頁)。 金を使って金が循環することが経済発展という発想には昭和の古さがあるが、歴史的スパンで見れば昭和だけが異常となるだろう。江戸時代の江戸の大商人も同じである。江戸の大店は贅沢を禁止していた。「無駄な金遣いを省いてこそ、身代の大きさを保っていられる」(山本一力『つばき』光文社、2017年、136頁)。 「最近の調子は」「儲かっていますか」などの質問に「ボチボチでんな」がある。「パッとしない」「今一つ」という意味である。これは大阪の言葉として知られているが、本書は京ことばとして紹介する(37頁)。「ボチボチでんな」は商売だけでなく、「元気にしたはりますか」という人間の状態の質問の回答にもなる(38頁)。 これは素晴らしい文化である。日本には「元気ですか」「大丈夫ですか」との質問には、「元気です」「大丈夫です」と答えさせようという暗黙の強要があることがある。それによって質問者は問題ないと正当化してしまう。「ボチボチでんな」には相手の思惑には乗らない面白さがある。
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