邪馬台国再考 の商品レビュー
魏志倭人伝の邪馬台国は、大和のヤマト王権で卑弥呼は九州の女王国という、陳寿の解釈違いがあったとの根拠にした解説。そういう考え方もありか、という感想でした。
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畿内ヤマトと北部九州ヤマト、ふたつのヤマトを想定し、魏志倭人伝の記述は両者を同一のものとする誤解によって成ったという説。 前者(畿内纒向)が邪馬台国で後者(筑後山門)が女王国として存在するが、 卑弥呼や壱与がいたのは女王国、使訳の通ずる所の国々が盟主として頂いたのも女王国であり、...
畿内ヤマトと北部九州ヤマト、ふたつのヤマトを想定し、魏志倭人伝の記述は両者を同一のものとする誤解によって成ったという説。 前者(畿内纒向)が邪馬台国で後者(筑後山門)が女王国として存在するが、 卑弥呼や壱与がいたのは女王国、使訳の通ずる所の国々が盟主として頂いたのも女王国であり、魏志(陳寿)が記述を意図したのも女王国のほうであるという。魏に遣使したのは卑弥呼・壱与なのだから当然そうだろう。 一方の畿内ヤマトは伊都国に一大率を派遣していた程度。一大率と刺史は別のもので、刺史のほうは女王国の配下であるという。 となると、行程記事はともかく、実態的にはこの本は「邪馬台国=九州」説といってもいいと思う。本来、卑弥呼の女王国の記事で占められるはずのものに、畿内纒向の記述が混入してるのである。 年代観で畿内説に配慮した結果、やや議論が複雑になった印象だが、過去の研究を紹介しながらできるだけわかりやすく述べたいという著者の意気を感じた。 東遷説についてははっきり否定はしないものの、懐疑的な立場。その辺は、偶然東西にふたつのヤマトがあることになってしまい(同根とは考えてるようだが)、本著の肝である並立説が煮えきらないものになって惜しく感じる。
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