複雑化の教育論 の商品レビュー
「成熟とは複雑化することである。」という内田氏の主張には合点がいった。現代社会の単純化を図ろうとする流れに対して、疑問を投げかける筆者の主張により、複雑な社会の有り様、教育の要請に対して、立ち向かえるのは複雑化し、柔軟性をました組織であり、個人であると、自分自身も深く納得した。自...
「成熟とは複雑化することである。」という内田氏の主張には合点がいった。現代社会の単純化を図ろうとする流れに対して、疑問を投げかける筆者の主張により、複雑な社会の有り様、教育の要請に対して、立ち向かえるのは複雑化し、柔軟性をました組織であり、個人であると、自分自身も深く納得した。自分自身の仕事に向き合う姿勢も、安易な単純化を求めること無く、目の前の複雑な事象に対し、複雑化した柔軟性をもって、対処できる人間でありたい。
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子供は成長するにつれ「複雑化」していく。大人はそれを素直に喜ばなければならない。 しかし、教育現場はそうなっておらず、逆に「単純化」させようとしている。
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4複雑化はほぼ計測不可能 17 45 70 96 99 136 170 195 199 バイ・アクシデント
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再読だし、内田氏の話すエピソードとしては、他の本でも読んだかもとデジャブ感は満載。それでも面白く、感心しながら読めた。読んでいて、なんというか生きる知恵を聞いている安心感があるんだよね。この面白さはなんだろうと考える。思ったのは、日常で漠然と感じている「あれ?」というひっかかりに...
再読だし、内田氏の話すエピソードとしては、他の本でも読んだかもとデジャブ感は満載。それでも面白く、感心しながら読めた。読んでいて、なんというか生きる知恵を聞いている安心感があるんだよね。この面白さはなんだろうと考える。思ったのは、日常で漠然と感じている「あれ?」というひっかかりに、事例や言葉でかたちを与えてくれていることなんじゃないか、と思った。自分でが話をしていて、なんとなく自分でも言っていることが矛盾しているんじゃないか、とツッコミを入れたくなることはある。ただ、そのときも自分の深い中では矛盾しているつもりはないんだよね。同じことを言っているつもりなのに、言葉として出したら相反することを言っているようにみえてしまう。それはなんだろうと首を傾げたとき、「それが複雑化なんですよ」と言ってもらえたら、妙に腑に落ちた気がした。 心臓が痛いという患者さんの話を聞いて、検査をしてみても、どこにも異常はない。でもなんかおかしい、と思ってもうすこし調べたらすい臓がんがみつかった。言葉は微妙にずれていたかもしれないけど、体の不調について患者さんの訴えは正しかった。そういうことって、あるんだね。 あれこれ読むごとに、なるほどと思う部分がある。 またそのうち、本書は読むだろうな。
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こんなこと書いたら、お上から怒られると思うが、「教育カリキュラム」とか「教育プログラム」とか「教育シラバス」とか「教育マニュアル」の作成に時間をかけるのは、無駄だと思う。 僕は、教育学部の博士号を持ち、医学教育専門家であり、他の人より教育について何倍も勉強し、カリキュラムやプロ...
こんなこと書いたら、お上から怒られると思うが、「教育カリキュラム」とか「教育プログラム」とか「教育シラバス」とか「教育マニュアル」の作成に時間をかけるのは、無駄だと思う。 僕は、教育学部の博士号を持ち、医学教育専門家であり、他の人より教育について何倍も勉強し、カリキュラムやプログラムを作るのを専門としてきたが、そう思う。 なぜか? それは、教育は複雑であり、人を育てるのは、工場で物を組みたててゆくのと異なるからだ。机上で、重箱の隅をつつくようなマニュアル作成に時間をかけるのは、無駄だ。でも、現在の学校の先生は、この書類の作成に膨大な時間を費やしている。今年の計画書の検証、来年の計画書の作成、あらたなマニュアルの作成……、膨大な時間を書類仕事に費やす。 大学の教員は、シラバスという講義などの内容や進め方を示す計画書を、詳細に毎年作らなければならない。これは、学生への契約書みたいなものということになっているのだから、義務であるわけだが…。忙殺される先生達。 病院でも同じことがある。定期的に、公的な査察、**評価や△×評価という第三者機関の評価があり、その度に数か月にわたり書類仕事に追われる。必ず職員教育についても厳しいチェックがあり、僕らは書類の山に囲まれる。これら法律に基づく査察は、大事なことであるのは当然だ。しかし最近は、やたらに**評価というのが多くなり、異なる機関からほとんど同じことを毎回聞かれるわけだが、微妙に聞かれることが異なり、そのたびに準備が必要となる。マニュアルやプログラムの改訂をその度にやるのだが……(半分以上、愚痴ですみません)。 これは半分以上自慢話だが、はるか昔、僕は、中学生のための苦手克服科目プログラムや高校生のためのセンター試験英語8割獲得プログラムなどを作って、学習塾を経営していた。そのプログラムはとても良く機能し、塾はまあまあ繁盛していた。 医者になってからは、新人研修医の2年間のプログラムから、3か月の内科研修プログラム、1日だけの在宅研修マニュアル、外来研修、指導者養成の講習会プログラム、時には薬剤師のフィジカルアセスメント研修プログラム、新人看護師と研修医の合同研修プログラム等々を作ってきた。これもまあまあ機能し、研修医が沢山来たり、それが本になったりした。 だから、教育の目標を決めたり、時間的な管理をする道程表を作ったり、評価をどうするかを考えたりすることは無駄ではないし、教育をする人は、プログラムの作り方を学ぶべきであろう。しかし、お上に提出するためとか、査察のためとか、評価ためでなく、本当に教育に役に立つために作るなら、僕は「だいたい」でいいと思う。 なぜならば、新型コロナウイルが蔓延した時、旧来のマニュアルのほとんどが吹っ飛んだ。役に立たなくなった。生徒がメンタル的に病んでしまうと、マニュアルの変更は必須だろうし、スーパー優秀な学生が出てくると既存のプログラムでは対応はできまい。ジェンダーの問題や多様性の問題が起こる社会で、いちいち細かい教育マニュアルを作るのか? ナンセンスである。 内田樹氏は、本書(p.37)で述べている。 ◎成熟するとは、「一筋縄では捉えられない人間」になること。 ◎成熟とは複雑化すること。教育の成果とは別人になること。 ◎成長するということは、変化し、複雑化すること。 僕は思う。マニュアルやシラバスで、単一方向の成果を求めても、それが教育の成果とは言えないだろう。教育を受けた側の人間は、時に予想もしない変化を起こし、異なる人間になってゆく。その方向性は、教育する側にもあるいは本人にも決められない側面がある。 だから、プログラム作成に時間をかけるのは無駄だ。その時間を、先生は生徒や学生と一緒に過ごすべきだと思う。人間は、教育マニュアルで作られる製品ではないと、僕は思う。この本を読んで、そのことを再確認した。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
神戸女学院を設計したウィリアム•メレル•ヴォーリズの話が非常に興味深い。建築の力で人の心を緩やかにし、学ぶ姿勢を作り、対話を生む。声を張らなくて済むからストイックフレーズを使わなくて済む。現代のビルディングにはない建築思想に宿るものがあるのかもしれない。 世の中にあるものは複雑であることを認めて、その絡み合いを根気強く解くことが知性であるという話も、話を単純化して伝えることを生業にしているものとして胸が痛い。 学校教育で偏差値による格付けが深まると、他人を落とすこと、やる気を失わせることが近道だという話も、なるほどと思った。どうすればそれぞれが最適と思える学びを実現できるかを考えることは、こうした軋轢をなくすことにもなる。 不登校は自分を守る行為。 部活はいい意味で日本ならではの才能発掘システム。
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自分がそんなことを学ぼうと思いもしていなかったことを学んてしまうのが、学びの本質。 そのためには自分に届くメッセージに対する感度を上げておかなければならない。 自分を、そして子供たちを学びに開かれた状態にするために出来ることは何か。 色々語られているが、最後のメッセージは「機嫌...
自分がそんなことを学ぼうと思いもしていなかったことを学んてしまうのが、学びの本質。 そのためには自分に届くメッセージに対する感度を上げておかなければならない。 自分を、そして子供たちを学びに開かれた状態にするために出来ることは何か。 色々語られているが、最後のメッセージは「機嫌よく過ごすこと」。 内田さんの話は難しいが、そうやって読者が手をかけることができる取っ掛かりをあちこちに準備してくれているのがとても親切だと思う。
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複雑化することは成熟すること。単純化や白黒はっきりさせる風潮は確かによくないかもしれない。曖昧な部分、はっきりできないこと、あわいの中に深みがあるってこと。なるほど。個人の中で複雑に対峙して熟成させることで外からのものも受け入れられる許容が生まれるのか。熟して穏やかに受け入れる。
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マルセ太郎さんが 舞台で、三木清さんの「人生論ノート」の「幸福とは」 のことで語っていたことが思い浮かびました ー幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去...
マルセ太郎さんが 舞台で、三木清さんの「人生論ノート」の「幸福とは」 のことで語っていたことが思い浮かびました ー幸福は人格である。ひとが外套を脱ぎすてるようにいつでも気楽にほかの幸福は脱ぎすてることのできる者が幸福な人である。しかし真の幸福は、彼はこれを捨て去らないし、捨て去ることもできない。彼の幸福は彼の生命と同じように彼自身と一つのものである。 だから、「幸福」とは その人自らに満ち溢れているんだよね。 その人の様子そのものに表れているんだよね。 「機嫌がよい人」というのは そういう状態をいうのだろうなぁ と思いながら 今回(本書)も 内田樹節を堪能させてもらいました
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教育とは、成熟とは 天職とは、成長とは いろいろ考えさせる内容であり 有用な内容だといつもながらに思いました。
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