だんまり、つぶやき、語らい の商品レビュー
コロナ禍の中、高校で行われた講演録。 わかりやすい言葉で、「ことば」について語られている。 鷲田氏は「ことば」は面倒くさいものだと言う。 自分について語りたい時、過剰になってしまったり、過小になってしまったりしてちぐはぐになってしまう。 でも、ことばがあるからこそ、ちぐはぐであ...
コロナ禍の中、高校で行われた講演録。 わかりやすい言葉で、「ことば」について語られている。 鷲田氏は「ことば」は面倒くさいものだと言う。 自分について語りたい時、過剰になってしまったり、過小になってしまったりしてちぐはぐになってしまう。 でも、ことばがあるからこそ、ちぐはぐであやふやな自分の感情を表現することもできる。ことばに救われることもある。 タイトルにもあるように、「だんまり、つぶやき、語らい」の順でことばについての話が展開する。 だんまりの例では、今の世の中で政治家の話やSNS上でのことばを取り上げて、今、足りないのは「話し合い」ではなく「黙り合い」だと述べる。 つぶやきでは、断片的に少しだけ自分のことばを出してみてその感触を確かめる。 そして少しずつ「かたらう」ことでは、同じものを見ていても違うことを感じる他者と出会い、自分のこれまでのストーリーが揺らいでいく。本気で語らうと、自分が壊れてしまう感覚になる。それはとても怖いことだけど、 自分が生まれ変わるきっかけにもなる。 聴いている人は、語っている人が語り尽くすまで「待つ」ことが大切。自分の理解の枠組みに押し込めるのではなく、存在を肯定してあげることが必要。 「語らいの相手、それは友だちであっても、街で知り合った人でも、なにかの集会ででもなんでもいい。ただ、心がけとして、できるだけじぶんと同じコンテクストのなかで生きていないひと、生きてきた環境ができるだけ離れているひと、さらに言えば、じぶんでどんどん関係のコンテクストをつくっていける、ひらいていけるようなひと、そういうひとと話すよう、出会えるよう心がけてほしい」 と最後に鷲田氏は高校生たちに伝える。 これは自分が国語の授業でやりたいと思っていたことそのものだった。鷲田氏は講演の後に行われた高校生たちとの対話の中で、「人に会えなくても、読書が語らいとなる」と言っている。今後の自分の授業の柱となりそうな言葉に出会えた気がする一冊だった。
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わたしという存在、わたしはなにものなのか、こころのつぶやきやだんまり、人との語らい、話の聞き方、自分自身を確かめるためのあり方。哲学者であり元大学学長でもある著者が、ことばについての自身の扱い方、向き合い方について語った本。発した言葉による場の責任、なるほどと思った。「ほうほう、...
わたしという存在、わたしはなにものなのか、こころのつぶやきやだんまり、人との語らい、話の聞き方、自分自身を確かめるためのあり方。哲学者であり元大学学長でもある著者が、ことばについての自身の扱い方、向き合い方について語った本。発した言葉による場の責任、なるほどと思った。「ほうほう、ほぉ、ほう。」 299冊目読了。
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物凄く平易な言葉で物凄くモノの本質を語っている。同じものを見て同じように感じる人とより、差異を感じる人との方が「語らい」となる。言葉を通してお互いの本質を感じ取る、それこそがコミュニケーションである。 何度も何度も読み返したくなる。
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深い問題意識を前提にしながら、語られる言葉は極めて平易。言葉のこわさ、貴重さ、その間での自己のあり方を、丁寧に語りかける。 高校生達と一緒に講演を受けた気分で、自分の言葉との向き合い方を振り返ってみたところである。
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