狩りの思考法 の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
この本は角幡唯介さんのラジオ収録を聞きに行った際に買ったもので、本の発売日でもありサインを書いていただきました。狩りの思考法というタイトルのとおり、角幡さんの冒険に狩猟という要素が含まれるようになった理由や、それを含めることで新たに見えてきたことなどが書かれています。イヌイットの人たちとの生活を通して見えてきた彼らの達観した考え方と現代人のそれとの違いが様々書かれていて興味深いです。 角幡さんは冒険を行うにあたって、生命の危機を減らすために旅先の情報を調べたりして計画するわけですが、そのような計画を行っている以上はたどりつけない境地があることに気づき、できるだけ計画せず、旅先でGPSを使わず、ついには地図も持たずということに挑戦し始めるようになりました。例えば日本に帰ってきたときに上る日高山脈では地図を持たずに登山することで実際にその山稜や道の見え方が違って見えることに気が付いたといいます。地図があるとどうしても決まった道が浮かび上がってきますが、それがない場合は自分で考えた道を進むようになる、そのような感覚のようです。これによって角幡さんは「漂白」するような旅が可能になったと語っています。明確な目的地を決めた、到達至上主義的な旅からようやく脱出できたということでもあります。 現代人は何かがわからないという状態に対して耐え難くなっていて、ネットで調べればどんなことでもわかる、わからないといけない、わからないと座りが悪いそんな状況にあります。それは知ることによって「大丈夫だ」と思えるようになることによって未来に進んでいくことができるからだと考えられます。逆にいうと「大丈夫だ」という思いを持てない場合には先に進むことをためらってしまうということでもあります。 角幡さんが狩猟を含めた旅を行う舞台となるグリーンランドでは、死が傍らにあることがひとつ特徴であると挙げています。大きな動物を殺めることによって食糧を得ることができ、また仕留めたあとの動物は隠ぺいされず、生活のここかしこに存在している。その動物は間違いなく人間によって殺されたものであるという事実を否応なしに突き付けられるのです。死んだ動物の目はそのように語りかけてくる、と言います。 イヌイットは「ナルホイヤ」という言葉をよく使います。これは「わからない」という意味に近く、適当に答えがわからないという文字通りの意味のほかに、先のことを考えても仕方がないときに今に没入して状況を打開したり、先がわからないことを過剰に不安視することを避けるための生きる知恵ともいえるもののようです。 「アンマカ」という言葉もよく使い、これは「たぶん」の意に近いといいます。 さて角幡さん自身はこの狩猟という行為にどのような感情をもつのでしょうか。かつて極夜の旅で食糧が完全に尽きかけたとき、犬のウヤミリックを殺して食べようと考えたことがあったのは有名話です。狩猟という行為を介して動物に対して何も感じることはないのかというとそんなことはなく、初めてジャコウウシをしとめたときに感じた負い目は忘れられないといいます。おそらく周りにいった子牛がうろたえる様子に心がざわつくこともあったでしょう。この負い目、落ち着かなさの深淵は一体何なのでしょうか。もしかしたらそれは動物の側から自分に対する生きるということの意味を問いかけるものなのではないかと感じたといいます。日常の生活で食卓に牛肉が並んだときに現代人はそのような思いを抱くことがほとんどないのは、自らの手で牛を殺めているわけではないからです。命を感じるというのはそういうことなのです。 角幡さんが今目指すのはグリーンランドで狩猟をしながら旅を続け、その土地の特性をよく知っていつ、どこにどんな動物がいてという情報を得て効率のよい旅が可能になるようにすることです。ただ最短距離で事前に準備した食糧だけをもってゴールに向かう近代的拡張の考え方に基づく旅をするということにはもう興味がありません。その心がけをきくとき、私たちは現代人が生の意味を見失い、不安を恐れ、死から目を背け、不確定性の高い未来から逃げ続けてしまっていることを否が応にも知ることとなります。果たして私たち現代人は不確定性の高い未来を生き抜く心を持つことができるのでしょうか。そのためにはどんなことが必要なのでしょうか。狩りの思考法を読むとき、そんなことを考えずにはいられませんでした。
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