怒る勇気 の商品レビュー
公憤としての怒りはどういうものか、怒らなければどんな問題が起こるかを明らかにし、どうすることが公憤としての怒りを持つことなのかを考えてみたい。人が真に怒れば、この世界は、必ず変わる。何としても変えなけばならない 理不尽な現実に直面したときどうすればいいのか。 ①何が起こっても...
公憤としての怒りはどういうものか、怒らなければどんな問題が起こるかを明らかにし、どうすることが公憤としての怒りを持つことなのかを考えてみたい。人が真に怒れば、この世界は、必ず変わる。何としても変えなけばならない 理不尽な現実に直面したときどうすればいいのか。 ①何が起こっても何もしない ②自分を世界に合わせる、起こっていることを何もしないで受け入れるのではなく、起こったことを受け入れられるように意味づけをする ③自分の身に降りかかる、行く手を遮ることに対して何もしないのではなく、変えようとする 理不尽な出来事に遭遇した時に楽天的にとらえる人もいる。⇒私が問題にしたいのは、人為的なこと、しかも、理不尽な人為がもたらす困難に直面した時にどう対処するかということである。 何か理不尽なことが起こった時に、何も言わなけば認めてしまったのと同じである。「これはおかしいのではないか」と主張しなければ何も変わらない。 不正が横行している。その不正に加担した人は、「そうせざるを得なかった」といいたいのかもしれない。とりわけ、良心の呵責を感じながら不正を犯した人は、「逆らうことがdけいなかった」とか「その場の空気が異議を唱えることを困難にした」といいたいのだろう。 だが本当にそうだろうか。 ルールが守られないとき、ルールそのものに問題がある ①知らない間に作られているルールは守られない ②守られなくてもいい例外特権階級があるようなルールは守られない ③合理性がないルールも守られない 皆が同じことをすることが期待される。その意味での同調圧力に屈してはいけない。 自分に無関係なことはない、起こっていることはすべて自分に関係すると思える まず、他者は自分と同じように考え感じているわけではないことを知らなければならない 黙っているということは受け入れるということ 必要であれば、相手の間違いを指摘し、自分が思っていることをはっきり言わなければならない 他者に共感できる、つまり、他者の立場に自分を置くことができれば、他者を断罪することはできない 理不尽な現実を目にした時に必要なのは、怒りをぶつけることではなく理性的に対話をすることである 不正が行われたり人間の尊厳が傷つけられたりするようなことがあった時に、それに対して何もいわないのではなく、公憤としての怒りを向けなければならないことを見てきたが、その怒りは感情的な怒りではなく、実際には言葉を使って主張するということである。 相手の主張も聞き、対話をしなければならない。 たとえ実践は困難であっても、問題解決の理想を知ることが現実を変える一歩になる 対話の原義は、ロゴスを交わすである。このロゴスは、言葉であり、理性という意味でもある。 対話者同士が相互にはい、いいえを確認しながら、一歩一歩議論を進めていけば、互いに相いれない立場にあっても、相違点は実際にはあまり多くはなく、多くの点では考えが一致していることが分かってくる。 現代人は、対話についていっていることを理解し、対話によって問題を解決しなければならない。 怒りが考察すべき重要なテーマである。怒りの感情は問題解決の手段としては、有用でないことを指摘してきた。怒るのではなく、言葉を使って対話をすれば怒りの感情を使う必要はなくなると考えていた。 しかしながら、怒りを 私憤と公憤とに区別すれば、理不尽なことに対しては、怒らなければならない。 目次 はじめに 第1章 理不尽な現実に抗せよ 第2章 空気はない 第3章 圧力に屈するな 第4章 怒りを忘れるな 第5章 対話が世界を変える あとがき 参考文献 ISBN:9784309631387 出版社:河出書房新社 判型:新書 ページ数:240ページ 定価:840円(本体) 発売日:2021年10月30日
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本書は私憤と公憤に関する本である。背景として「コロナ禍でオリンピックが強硬開催された」という事実に目を向けている。 他者に意見を合わせることを是としてはいけない。本書の趣旨はとても共感できる。全てを疑ったうえで最善を選択することは大事である。 一方気になることがあるので以降はどちらかというと本書に対するコメントとなる。 個人的に言えばオリンピックがあのカタチで開催されたことは良かったことだと思っている。あの時に判断されたこと、やったことはその後の人が集まるイベントの在り方を大きく変えることになった。それはより良い方向になっていると思っているからだ。とはいえそれに払ったコストは大きすぎるのだが。 話を戻す。歴史を考えると間違った判断というのは何度かなされてきた。紐解けば個別最適という善意が繰り返された結果である。 本書ではこれはおかしいと解く。仮に自分に不利益があったとしても異を唱えよということである。この問題意識はタフなものである。 極端な言い方をすれば、自身の生活を犠牲にしても自身の正義を為せ。そういっている訳だが本当にそうなのだろうか。 まず考えるべきは個人および集団のウェルビーイングだと思う。たしかに、不正を見ないことにすることは当人によっても辛い。だからといってそれを正面きって主張する必要もない。 まともな組織であれば企業内の不正を匿名で申告できる精度があるし公益通報者保護精度もある。それを活用すればよい。 個人的にはよろしからぬ風土があるならそれは変えることが大事だと思う。そんな組織はどのみち滅亡するからだ。自分を含め周りで認識していく。 それらの歩みは遅々として進まないという印象になるかもしれない。しかし、それをやっていく。全ての人がこの胆力を持つことの方が大事だと思う。これが集まって大きな流れになれば世界はより良く変わる。そう思う。
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自分の感情を大切にする、他の意見にモヤモヤしながら仕方なく受け入れているのは、アドラー心理学的には自分で判断しているにすぎない。他人の人生を生きるな、ということを色んな著名人の言葉を引用しながら説明している。
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くどい。表題のことを述べるのなら、まるまる一冊の本にする必要はなかったのではないか。どちらかと言えば、カウンセリングの本であろう。
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理不尽な現実に抗せよ:起こることは理不尽なことばかり 身近な人や自分の死は受け入れられない 空気はない:なぜ手を拱いているのか 「空気を読む」とはどういうことか? 圧力に屈するな:「道徳」という名の威圧 「親だから臓器提供は当然」という圧力 怒りを忘れるな:怒りを抑えるのではなく 元の問題を絶たなければ同じことの繰り返し 対話が世界を変える:対話とは何か 言葉の使い方がおかしい現代
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著者が言いたいのは素直な自分と向き合うことだと思います。 空気を読んだりすることだけでなく、感情に素直になること。難しいですよね。
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2021年10月初版。著者のあとがきによると本書の構想は2007年からあったとのこと。しかし実際に本の企画が走り出したのは2019年。コロナ禍と2021年のオリンピック開催を経て執筆がなされている。 書かれているメッセージは非常に示唆に富む。アドラー、三木清、加藤周一、プラトン...
2021年10月初版。著者のあとがきによると本書の構想は2007年からあったとのこと。しかし実際に本の企画が走り出したのは2019年。コロナ禍と2021年のオリンピック開催を経て執筆がなされている。 書かれているメッセージは非常に示唆に富む。アドラー、三木清、加藤周一、プラトンなどの思想を引用しつつ、議論を展開する。特に最終章「対話が世界を変える」で説かれている対話の重要性や対話の成立要件(知識、好意、率直さ)はとても良かった。 ただし、彼が自民党政権に対してもっている「公墳」が透けて見えてくるところはいただけない。菅政権がおこなった日本のコロナ禍に対する対応がまったくなっとらん、という言説が主張されており、他国との相対的な比較ではなかなかうまくやった、という考えではなく、彼のリアルタイムの情報収集範囲には疑問符がつく。また消費税増税に対する憤りも書かれており、社会保険料を控除される現役世代サラリーマンとは正反対の立場であること(もしくは財政・経済の知識レベル)が露見する。 したがって、言ってることは良いのだけど、彼のポジショントーク対しては全ては同意しかねるという本だった。 メルカリで売らずにしばらくしたら再読してみよう。
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滅多な事では本に線引きしないが、第5章「対話が世界を変える」の多くに赤線を。「誰が語るか?」ではなく、「何が語られるか?」、ここを中心に繰り返し読んだ。
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