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ロニー・ジェイムズ・ディオ自伝 の商品レビュー

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2024/02/05

ロックスターの自叙伝としては、他者に対する一方的な批判が目立たず、理路整然と書かれている。本書でも度々語られているように、著者自身が読書家であったことはこの事に影響しているだろう。また内容も本人の性格のどおりポジティブで希望に満ちたものになっている。特別な「裏話」「暴露話」的なも...

ロックスターの自叙伝としては、他者に対する一方的な批判が目立たず、理路整然と書かれている。本書でも度々語られているように、著者自身が読書家であったことはこの事に影響しているだろう。また内容も本人の性格のどおりポジティブで希望に満ちたものになっている。特別な「裏話」「暴露話」的なものはないが、ELF結成前のアーリーデイズの話は貴重。個人的には少し謎だった芸名にまつわるジョニー・ディオの話は興味深かった。 レインボーを辞めブラックサバスの『ヘブン&ヘル』の録音が終わった時、ウェンディーとレストランでお祝いをしたら、なぜか高価なワインなどが振る舞われた。金額を心配しながら会計すると接客主任は「あなたのジョニーおじさんの驕りです」と言った。相当ビックリしたが「ありがとうジョニー"おじさん"」と本書でお礼をしておく299 「『キル・ザ・キング』はチェスをテーマに書かれた曲」というのはジョークではなく真実だった268 トニー・カレイは都合三回レインボーをクビになった。典型的なアメリカ人のトニーと、リッチーは性格がまるで合わなかった。しかし後任キーボードが決まらず、実は『バビロンの城門』で『ロング・リヴ・ロックンロール』を含む3曲でレコーディングに参加した。そしてこの顛末を作品化したのが『LAコネクション』だ262 ウェンディーとの出会いは、彼女がウェイトレスをやっていたレインボー・バー&グリルでリッチーから紹介されたから。その前はイアン・ペイスのガールフレンドだった235 アルバム『銀嶺の覇者』はヒットした。しかしリッチーが一番喜んだのは同時期に発売された『カム・テイスト・ザ・バンド』の売上げを上回ったこと226 リッチーのパープル脱退直前、ロニーはジョン・ロードから「一緒にバンドを組むな。泣きを見ることになる」と脅迫された。210 『16世紀のグリーンスリーブス』のボーカルは一番最初の1テイクが採用された。ギターソロも一発撮り。タイトルはリッチーが決めた209 ELFはパープルレコードと契約しサクセスを進んだ。プロデューサーのロジャー・グローヴァーに呼ばれ、アルバム作りのために初めてイギリスに行く。そこでイギリスの雰囲気やビール、ロジャーに紹介してもらったコメディコンテンツ(モンティパイソンを含む)などから、ロニーは自分がイギリス文化好きであることを自覚する。 また、ロニーが最初に仲良くなった(出会った)ディープパープルのメンバーは、リッチーではなくロジャーだった。また最初に音感を共作したのもロジャー175 本物のジョニー・ディオを知らなかった。彼はあまり関わりたくない人間。きさきギグのある店で「自分はジョニーの甥だ」と嘘をついたら、ジョニーと知り合いだという人間に、本人とコンタクトを取ると言われた。その後は恐怖で逃げ出したかったが、最終日のギグが終わって一目散に帰った。帰り際、バーテンに聞くと「その知り合いは「ジョニーが、頑張ってくれ。何か助けが必要ならいつでも呼んでくれといっていた」と伝えてくれ」と言われた。二度とマフィアに関わる嘘はつきたくない87 大学時代、バンドと平行してギャングをやっていた。車を盗み、銃を密造した。メンバーの二人は強盗で捕まった72 50年代末、バンドを組んだが、ロニーは3番目のシンガーだった。それまで歌ったことはなく、しぶしぶボーカルになった69 「Dio」は、ティーンのロニーにとってダークヒーローだったマフィア(ジョニー・ディオ)から着想して自らつけた42

Posted byブクログ