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日本中世史最大の謎!鎌倉13人衆の真実 の商品レビュー

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2023/03/31

鎌倉殿の13人観た人にはぜひともおすすめしたい!!!! 鎌倉幕府がどうして成立したのか頼朝はなぜ配流となったのか、北条氏が実権を握っていく過程、承久の乱まで大河ドラマの流れで書かれているので分かりやすい 大河ドラマの流れ諸説あるうちのひとつと知った上で読むと違った説やあの時こう...

鎌倉殿の13人観た人にはぜひともおすすめしたい!!!! 鎌倉幕府がどうして成立したのか頼朝はなぜ配流となったのか、北条氏が実権を握っていく過程、承久の乱まで大河ドラマの流れで書かれているので分かりやすい 大河ドラマの流れ諸説あるうちのひとつと知った上で読むと違った説やあの時こうだったのかが知れて本当におもしろいです

Posted byブクログ

2022/12/29

NHKの「鎌倉殿の13人」を再放送でみた。 そこでこの本を見直してみた。ドラマは北条義時や三浦義村が美化されすぎていたが、ドラマと並行して読んだら大変楽しかった。骨肉の争い、騙し討ちなどドロドロした時代だった。

Posted byブクログ

2022/04/05

まえがきにエッセンスが。簡潔で分かりやすい。 頼朝が創業した鎌倉幕府は「武士の、武士による、武士のための政権」だった。朝廷の支配が末端まで届きづらい東国の地で、武士たちは自分たちの領地を保障してくれる自分たちのリーダーを立てた。 リーダーである頼朝は「御恩」として武士たちの土...

まえがきにエッセンスが。簡潔で分かりやすい。 頼朝が創業した鎌倉幕府は「武士の、武士による、武士のための政権」だった。朝廷の支配が末端まで届きづらい東国の地で、武士たちは自分たちの領地を保障してくれる自分たちのリーダーを立てた。 リーダーである頼朝は「御恩」として武士たちの土地を安堵(土地を保障)し、武士たちは軍役に就くなどしてその「御恩」に報いた。これを「奉公」という。いわゆる「御恩と奉公」の関係。この関係で結ばれた頼朝の家臣である武士たちは「御家人」と称された。 つまり、鎌倉幕府創業当初の内実は「頼朝とその仲間たち」だった。その頼朝が亡くなった後、息子の頼家が将軍となるが、創業者と幾多の戦乱を乗り越え「一つ釜の飯」を食べて苦楽を共にしてきた御家人たちにとって、二代目が自分たちのリーダーに相応しいかどうか、次第に疑念が出てくる。そこで設けられたのが、北条時政をはじめとする有力御家人13人による合議制だった。 この合議制は、武士の政権ながら文官が多数、選出されていることが特徴的。頼朝は政権を確立させるにあたり、政治を運営できる文官を多く登用していた。結果、頼朝以来の宿老には、文官職を担える有力御家人たちか揃っていた。 また、武士の政権である鎌倉幕府は、創業以来、朝廷と付かず離れずの関係を貫いていた。京都出身の頼朝ですら、関東に下ってから亡くなるまで2回しか上洛していない。これは関東の御家人に配慮してのことだった。 つまり、関東の鎌倉幕府の政権運営を考える時、関西=朝廷といかに距離を取るかが重要となってくる。その視点から読み解くと、頼朝の死やその後の三代将軍・実朝の暗殺などにも、一本の道筋がみえてくる。 そして、頼朝の死後、野心を顕にした北條氏の謀略によって、鎌倉幕府の実権をかけた「仁義なき戦い」が開始される。陰謀、騙し討ち、暗殺とさまざまな手段を使って、北条氏は他の御家人を追い落とし、執権家として鎌倉幕府の実権を握った。 そのクライマックスが、後鳥羽上皇・朝廷との全面対決となった「承久の乱」である。いわば「武士の世」へと入ってゆく、日本史のターニングポイントと言える。 武士の政権とはいかなるものだったのか、を念頭に置いて、鎌倉幕府を見る。 2021.9.23第1刷 図書館、購入

Posted byブクログ

2022/01/09

著者の講演会に行くので、予習として読んでみました。この時代の入門書としては、カラーで分かりやすく、とても良いと思います。(詳しい方には物足りないかも…)今年の大河ドラマの予習にも良いと思います。 私は知らないことが、たくさんあり、勉強になりました。

Posted byブクログ

2022/01/07

鎌倉幕府が安定するまでの事績を分かりやすく解説されています。 鎌倉幕府のことを知らなかった事がよく分かり勉強になりました。

Posted byブクログ