写真集 MINAMATA の商品レビュー
ユージン・スミスは、アメリカの有名な写真家であり、1959年には世界の十大写真家にも選出されている。私が彼の名前を知ったのは、米本浩二の「水俣病闘争史」を読んでである。ユージン・スミスは、妻のアイリーンとともに、1971年から1974年にかけて水俣に暮らし、水俣病の取材と記録を行...
ユージン・スミスは、アメリカの有名な写真家であり、1959年には世界の十大写真家にも選出されている。私が彼の名前を知ったのは、米本浩二の「水俣病闘争史」を読んでである。ユージン・スミスは、妻のアイリーンとともに、1971年から1974年にかけて水俣に暮らし、水俣病の取材と記録を行った。その結果は、本写真集「MINAMATA」として発表された。水俣病の闘争史的に言えば、ユージン・スミスが水俣に暮らしていた期間中の、1973年に水俣病の民事訴訟の最初の判決が熊本地裁で出され、原告が勝訴した大事な時期にあたる。本写真集では、その判決時の地裁の様子や、その前後の「闘争」の様子、また、実際の患者さんの写真等が収められている(「ブグログ」では、検索しても写真集の「英語版」しか出てこなかったが、私が読んだのは1982年に初版が発行された日本語版である)。なお、ユージン・スミスは、1918年生まれ。1978年に59歳で脳出血のため、亡くなられている。 水俣病については、もちろん名前は知っていたし、ある程度の理解をしていると思っていたのだが、米本浩二の「水俣病闘争史」を読んで、その細部までは、全く知識を持っていなかったことを知った。その本の中で、しばしばユージン・スミスが言及されており、興味が湧いたので、本書を手にとってみた。 「写真は雄弁」というのが、一言で言った場合の本書の感想だ。米本浩二の本も、水俣病の歴史をうまく整理してあり、水俣病の歴史の全体像を知るには良い本だと思ったけれども、写真の迫力もすごい。特に、闘争中の闘争支援者とチッソ関係者の争い、チッソ幹部のアップ、そして、実際の水俣病患者のアップの写真。それらも、また、文字での詳細な記録とは別の側面で水俣病を雄弁に、迫力を持って語っている。
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映画を見た後に。 患者と会社の問題ではなく、 患者と会社と社員と市の問題。 というか、患者 vs 会社と社員と市 倫理 vs 法 vs 経済。 こんなにも複雑な戦いだったとは知らなかった。 それぞれの主張をもって、激しく戦う。 それぞれ正しいように見えるけれど、やはり命が最も...
映画を見た後に。 患者と会社の問題ではなく、 患者と会社と社員と市の問題。 というか、患者 vs 会社と社員と市 倫理 vs 法 vs 経済。 こんなにも複雑な戦いだったとは知らなかった。 それぞれの主張をもって、激しく戦う。 それぞれ正しいように見えるけれど、やはり命が最も大切だろう。 命を守るのが国や会社の大前提だろう。 と思わせるのは、やはりユージンスミスの写真の力だろうか。
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水俣病は、まだ終わっていません。令和になった今も、症状に苦しんでいる方々がいます。 MINAMATAの映画を見て、こちらの本も読んでみようと思いました。 お時間ある方は、映画も併せて見てください。よく分かります。
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旧版と見比べたくて借りた。 新しい版ではアイリーン・スミスによる前書きが省略されている。 一度読んだだけでは、情報が頭にぜんぜん入ってないな。 「水俣」という言葉には、教科書に載っていた悲惨で歴史的な公害という意味がこびりついている。 でも、水俣という街は公害の被害を受けた人だ...
旧版と見比べたくて借りた。 新しい版ではアイリーン・スミスによる前書きが省略されている。 一度読んだだけでは、情報が頭にぜんぜん入ってないな。 「水俣」という言葉には、教科書に載っていた悲惨で歴史的な公害という意味がこびりついている。 でも、水俣という街は公害の被害を受けた人だけの街ではないんだ。 人間は複雑で、人生も複雑で、共同体の中で生きることはほとんど狂気の沙汰だ。私は東京生まれ東京育ちで良かった。絶対に東京を離れない。首都直下型地震は私の生きているうちは起きないでくれ。 この写真集はまた読み返そう。
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水俣病を、世界的に有名にしたフォトエッセイ集の復刻版。 序文でユージンスミスは「これは客観的な本ではない。ジャーナリズムのしきたりからまず取り除きたい言葉は『客観的』という言葉だ」と言っている。正当性がないが故に無責任とライフの編集者に言われた言葉に対して言っているのだ。この写真...
水俣病を、世界的に有名にしたフォトエッセイ集の復刻版。 序文でユージンスミスは「これは客観的な本ではない。ジャーナリズムのしきたりからまず取り除きたい言葉は『客観的』という言葉だ」と言っている。正当性がないが故に無責任とライフの編集者に言われた言葉に対して言っているのだ。この写真集は、あくまでも水俣病と水俣病の患者の立場に立って取られている。企業によって、人が殺されている公害という現実を必死に伝えようとしている。 だから、写真集ではなく、「言葉と写真」なのだ。 MINAMATAの人々の「勇気と不屈」の魂を、ユージンは魂を持って写真にしようとしている。そして「この本を通じて言葉と写真の小さな声をあげ、世界に警告できればいい」という。 この言葉と写真集は、水俣病のストーリーとして切り取られている。写真の中に、ストーリーがある。水俣病の持つ残酷さが浮き彫りにされている。そして、チッソに戦う水俣病患者の怒りに満ちている。巨悪と戦う人々という構図が浮かび上がる。そして、戦う人々が国と企業に勝つのである。しかし、それは完全な勝利ではなく、本質的な解決。壊された自然と人間は元どおりにはならない。桑原史成の写真集は、穏やかであるが、背景に水俣病患者の貧しさが浮き彫りになっているのと対照的だ。 水俣病にかかった7歳の子供の写真がある。人間を破壊し、脳を破壊する。 「なあんもいらんで、元ん身体にしてもどさんな」と切なる声を上げる。 「死んでも、あんたどんが、おったちにしたことは忘れん」と言って「怨」の旗を掲げる。 これは、日本で起こったことなのだ。そして、裁判で勝つまでの長い間、責任は放棄され、事実は隠蔽されていた。そのことによって、水俣病は広く、深く広がり、水俣病患者は孤立させられていた。 この原因が、医学的にも根拠があったが、政治としてはっきりとさせたのだ。ただ、水俣病の認定などは、今だに訴訟事件として残っている。MINAMATAは、終わっていない。 石牟礼道子は、「ユージンスミスとアイリーンは、そのような表惜の瞬間を人間的肉眼でとらえ、現代の聖画を再構成してみせるのである」という。写真を聖画にした手腕が素晴らしい。
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