武道論 の商品レビュー
内田樹というフランス思想の研究者が武道についてあちこちに投稿した小論をまとめた本。この方の名前は聞いたことはあったがあまり著作とか目にした記憶はないので他の分野のことはわからないが、少なくとも武道を論じる本としてはとても面白いしためになる本。有事に向いた人間でありたいな。ジョブズ...
内田樹というフランス思想の研究者が武道についてあちこちに投稿した小論をまとめた本。この方の名前は聞いたことはあったがあまり著作とか目にした記憶はないので他の分野のことはわからないが、少なくとも武道を論じる本としてはとても面白いしためになる本。有事に向いた人間でありたいな。ジョブズや嘉納治五郎のように今学んでいることが将来どう役立つかは将来の自分しかわからないので、茶でも弓でも気の向くまま一生懸命やればいいわな。天下無敵とか同期誘発力とかは武道の審査の論述とかに書いたことをもっと丁寧に言語化してくれてる。 道場を開いたことと社会的共通資本について、場に対する敬意がないとコモンは立ち上げられない、場が整うということ。 武道は何をできるようになりたくて稽古しているのかわからないので工程表など作りえない、その五里霧中の稽古で方向を示すのが名人達人についての話。述べて作らずと一流を開いた武道家の共通性。修行に必要な無限消失点としての天下無敵、それは敵を排除するのでなくそもそも敵が存在しないという穏やかな境地。礼儀正しさとは禍々しいもののそばにうかつに近づかないという敬。いただきますなど無事を感謝する習慣を失うと禍々しいものを抑制する働きが弱まって鬼神の出番が増える。ルーティンは普段と違うことを察知する力を強める。残心は言葉の理解と同じで時間の中を行き来して終わった後も未決状態にして居付きを去ること。学ぶ力は新しいことを血肉化する力のこと、自分の無知についての自覚、師に出会う力、師に教える気にさせる3つから成る。刀や馬など良導体となって人間には出せない力を発揮する。後手に回らずに済むのは相手に先んじて攻撃するのでなく、相手とか先とかいうスキームの外に立つこと。石火の機や啐啄の機と同期誘発能力。まず自己同期することが強い同期現象誘発力を発揮する。現代に武道が優先的に開発しているのは他者と同期する能力ではないか。危機の予知はある種のノイズの感知で、その回避はノイズが消える方に向かうこと。内弟子は師匠の生理過程に同期し、独り立ちした時には師匠そっくりの芸風になる。 日本人が好きな忠臣蔵、あらゆるバリエーションに共通するコアは意思決定者が何を考えているのかわからないことなのでは、そしてそれは天皇制の政治力学と同一。有事対応型人間をプールしておくのは難しい。亡国のイージスの考える前に考える能力と先駆的直感。存在しないものとの交渉、かんぬきと戸、それが機能しなかった福島の原発事故。天賦の才能は世のため人のために使わないと目減りする。 帷幄上奏権が生んだ勉強ができることでのキャリアパス、そこに戊辰戦争での東北差別のルサンチマンを抱えた東北出身の高級軍人。職人としての学者と組織人としての大学人。半分諦めて生きること。 能や中国古典にも詳しい。
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心身のパフォーマンスが爆発的に開花するとは、超越的な力が正しく整えられた身体を通して経由し発動すること。 自分の無知、無能の自覚が「学び」を起動させる。 野生の力と親しみ、身を整えてその力を受け入れ、我が身を供物として捧げることで、強大な力を発動させたのが「弓馬の道」 身体...
心身のパフォーマンスが爆発的に開花するとは、超越的な力が正しく整えられた身体を通して経由し発動すること。 自分の無知、無能の自覚が「学び」を起動させる。 野生の力と親しみ、身を整えてその力を受け入れ、我が身を供物として捧げることで、強大な力を発動させたのが「弓馬の道」 身体運動は無数の細密な運動の同時並行的な自動運動。中枢的に統御するには変数が多すぎ。 教えるときは比喩的に。 存在しないものによって現実が変性される「能」「武道」。 能では「離見の見」。シテが自我から離れて他者の視線で自分をみる。我があってはならない。 シテの役目は、さまざまな無数のシグナルの交差する空間で、自分がいるべき時にいるべきところにいて、なすべきことをなす、ということ。 能が要求してくるのは周りからの様々なシグナルを感知してそれに従うことのできる感受性の高い身体を作り上げること。 ほかならぬこの時に、他ならぬ私が余人をもっては代え難い唯一無二の行為をする。 師家が師家であるのは弟子が悟りを得たから。 発声に参加する身体部位をふやすことが課題。 説得力とは能舞台で起きている「イベント」のうちに見所の人を巻き込む力。 能の曲「安宅」 子供を格付けしない。相対的優劣を問わない。 私の支援を求めているのはだれか、私を呼ぶものはだれか。全ての人間的事業はこの問いから始まる。 思想は富貴の身分から生まれない「孔子伝」(白川静) 富貴の人とはこの世の中の仕組みにスマートに適応して、しかるべき権力や財力、威信、人望を得て、いまあるままの世の中で愉快に暮らしていける人のこと。 富貴の人はこの世の仕組みについて根元的な問いを発する必要がない。
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内田氏のレヴィナス翻訳の話、好きなんだよね。難解で何言ってるかわかんないのに、自分がこれを理解しなければならないということはわかった。翻訳したものの、やっぱり何を言っているかわかんなくて、2年くらい放っておいたら、出版社から「あれどうなりました?」と言われて出してきた。そのとき読...
内田氏のレヴィナス翻訳の話、好きなんだよね。難解で何言ってるかわかんないのに、自分がこれを理解しなければならないということはわかった。翻訳したものの、やっぱり何を言っているかわかんなくて、2年くらい放っておいたら、出版社から「あれどうなりました?」と言われて出してきた。そのとき読んでみたら、2年前よりもわかる。難しいことを理解しようと思ったら、自分自身が経験を積んで成熟しなければならない、っていう話だ。武道論といいつつ、武道でないようでいて、でもつながっているんだろうな。武道とは、成熟の道であるというように考えると、なんとなく察することができる気がする。
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内田先生の武道論です。 読みました。いつも通りです。 でも、頭をがーんとやられたような気がする ような話もあります。 人間性を基礎づけるのは弱さである とか・・・・・・
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「武道論」ちょっと私には関係ないなと思ったが、読み進めると、馴染んだ内田先生の論説で、全く武道家ではない私も武道家のようでありたいと思った(今初めて思うわけではなく内田先生のご著書を読んで何度もそう思っている)。
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つまり、予定調和的な混乱や破壊が起きてそれに対処できる才能を持つ者よりも、予測できない事態が起きた時にそれからの方向性をきちんと掴むことができ、それを世に示せる才能を見出すことのできるのが、武道ということなんだろうな。こういうことを考えているもしくは考えられる人、そしてそれを実際...
つまり、予定調和的な混乱や破壊が起きてそれに対処できる才能を持つ者よりも、予測できない事態が起きた時にそれからの方向性をきちんと掴むことができ、それを世に示せる才能を見出すことのできるのが、武道ということなんだろうな。こういうことを考えているもしくは考えられる人、そしてそれを実際に使える人がどのくらい世の中にはいるのだろう。 この自分が、そうなれるかは全然わからないけど、何かしら武道を、この齢五十を過ぎた身体で、心で、始めようと思うのは無謀かもしれないが、今までそんな使い方ができると思っていなかった体の一部が、ある日突然できるようになるというような経験をしてみたい。それはもちろん、仕事も生活も人間関係も全てにおいて。
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少し難しかった… 武道の極みである天下無敵への考えが書かれている。 高い目標に対して努力をし続ける。そして同期して流れに身を任せることが必要である。 好きにはなれない
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武道とは、自分を超えた力やなにかをコントロールするのではなく、貸してもらう、使わせてもらう生き方を一生かけて学ぶことなんだと直感的に思った。そう考えると、著書が別著で展開している社会的共通資本の議論と繋がった大きな円環が見えてきて面白く感じた。今のVUCAな社会にこそ武道のこころ...
武道とは、自分を超えた力やなにかをコントロールするのではなく、貸してもらう、使わせてもらう生き方を一生かけて学ぶことなんだと直感的に思った。そう考えると、著書が別著で展開している社会的共通資本の議論と繋がった大きな円環が見えてきて面白く感じた。今のVUCAな社会にこそ武道のこころが必要なのかも知れない。
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