徳川最後の将軍 慶喜の本心 の商品レビュー
敗軍の将、ではないと思ってる。 幕府を閉じるにあたって、苦しみ希望葛藤…その思いはいかほどだったか。
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ちょっと慶喜をカッコよく描きすぎているきらいはあるが、主人公なのでしゃあないか(笑)。実際にこの小説に描かれているような慶喜の心境や、他の登場人物との会話ややり取りがあったかどうかは誰も知る由が無いが、描写が細やかであたかも真実のように感じられるので、読み進めるにつれどんどん物語...
ちょっと慶喜をカッコよく描きすぎているきらいはあるが、主人公なのでしゃあないか(笑)。実際にこの小説に描かれているような慶喜の心境や、他の登場人物との会話ややり取りがあったかどうかは誰も知る由が無いが、描写が細やかであたかも真実のように感じられるので、読み進めるにつれどんどん物語に引き込まれていき、とても面白かった。基本的に史実に基づいて話が進んでいき、訳のわからない新キャラが出てこないのでその点も良かった。
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わたしはこの方に反感を抱いている部類の人間なのですが、彼には深い思惑あってのことだったんだなと、少し見直しました。擁護するような内容です。すごく複雑な政治情勢が豪速球で流れるので、理解しにくいかもしれない。 筆致には作家の優しい感情を感じました。
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面白いが、将軍以降が少しかけ足かなあ。まわりの期待と手のひら返しされ大変だっただろうなあ。本心は難しい。
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‥‥だが徳川慶喜の本心は、今もって理解はされていない。(341p) 最後の1行である。私も正直戸惑っている。司馬遼太郎の「最後の将軍」もあるし、最近は大河でスポットライトが当たったばかりだし、なによりも自ら語り下ろしの自伝も著している。それでも、こんなにも、慶喜の本当の心は知ら...
‥‥だが徳川慶喜の本心は、今もって理解はされていない。(341p) 最後の1行である。私も正直戸惑っている。司馬遼太郎の「最後の将軍」もあるし、最近は大河でスポットライトが当たったばかりだし、なによりも自ら語り下ろしの自伝も著している。それでも、こんなにも、慶喜の本当の心は知られていない。慶喜の評価は定まっていない。試しに昨年私が大いに感心した幕末史「維新史再考(三谷博)」を紐解いても、慶喜の大阪城から江戸への逃げ帰りの理由は一切書いてなくて、評価もされていなかった。あの行為によって、内乱の泥沼化が回避されたのにも関わらず、である。 徳川慶喜ほど将軍になる事を「期待」された将軍はいない。家茂と慶喜とで幕府を二分した後継問題から始まって、幕末の動乱期に将軍後見職として京都で辣腕を振るっていた時期、そして家茂急死のあとに度重なる将軍就任への頼みを何度か断っている事、そして就いた途端に大政奉還をしてしまったこと。総てが「時代」が為させたこと、追い詰められてしたことだという評価がまかり通っている。 英明かつハンサムなアイドル的な将軍であったのに、(鳥羽伏見)戦争を投げ出して江戸に逃げてしまい、それを契機に討幕の錦の御旗も盤石なものになった結果、落ちぶれた元アイドル将軍という見方をされることが多い。この運命も、絵にはなるけど、わかりにくさを助長させているようだ。 小説は「慶喜の本心は実はわかりやすいんだ」と主張している。「慶喜は、最初から将軍になる野心はなかった。幕府に対する忠誠は一切なくて、ひたすら朝廷に対する忠誠しかなかった。よって日本が中国やインドのようにならない様にしながら、日本を帝のもとに統一することが自分の任務である」と、どうやら本気で思っていたようだ。ここまで振り切っているとは、研究者はおそらく思っていないようだ。慶喜は賢いので、尊王ではあるけど攘夷にはならない。賢いので、会津のような尊王佐幕や、薩長の尊王討幕を相手に孤軍奮闘して、時には出し抜き、時には出し抜かれる、1日で形勢が逆転することもある。とても濃い人生を送っている。 おそらく、司馬遼太郎の頃からは遥かに当時の状況がわかってきていると思う。確かに彼の決断がなければ、維新とき何遍か「香港化」する可能性はあったと思う。慶喜だけではなく、この時如何に多くの知識人が香港化を防いだことか。島津久光のようなプーチン式の危ないヤツがいた中で、よくぞ「選択」したと思う。つまり、維新時の知識人の何人かは、本当に日本の独立ひいては「平和」を守ったのである。小説だから思い切って描けた展開も多い。とても面白かった。 fukuさんのレビューで本書を知った。ありがとうございました。
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昨年の大河ドラマ「青天を衝け」で難しい時代の難しい舵取りを懸命に行う最後の将軍を描いてあったのが印象的だった徳川慶喜。 だが個人的にはどうしても鳥羽伏見の戦いを途中で投げ出した無責任な将軍という印象が拭えなかった。その点についてこの作品ではどのように解釈しているのかが気になって読...
昨年の大河ドラマ「青天を衝け」で難しい時代の難しい舵取りを懸命に行う最後の将軍を描いてあったのが印象的だった徳川慶喜。 だが個人的にはどうしても鳥羽伏見の戦いを途中で投げ出した無責任な将軍という印象が拭えなかった。その点についてこの作品ではどのように解釈しているのかが気になって読んでみた。 実際のところ、こんな大変な時期に将軍を引き受けるというのは嫌だっただろうなと思う。だから誰もやりたがらない。結局慶喜は押し付けられてしまったという形のようにも見える。 『少年時代から徹頭徹尾、尊皇派だったし、出世欲にも保身にも無縁だった。目指したのは大きな内乱を起こさず、諸外国の侵略を招かないことにつきた』 解説文の中で作家の植松さんは慶喜について『最初から最後まで朝廷方だったんじゃないか、幕府方だったことはなかったとさえ思うようになりました』と評していて、なるほどと腑に落ちた。 大河ドラマでも描かれていたが、慶喜の根底にあったのは水戸で培われた尊王という思想でありそれは最後まで揺るがなかった。 だからこそ渋沢栄一も慶喜に生涯忠実だったのか、彼は幕臣ではなくてあくまでも慶喜の家臣であったのかと思えた。 この時代、誰が将軍になっても国の舵取りが上手に出来たとは思えない。薩長なら直ぐに戦争に突入するだろうし、幕府の老中たちに任せていたらのらりくらりしている間に諸外国に良いように介入されて清国やインドのようになっていたかも知れない。朝廷の公家衆ではそもそも政治なんて出来ない。 慶喜のやり方が良かったとは言えないけれど、彼が目指した『大きな内乱を起こさず、諸外国の侵略も招かない』ことが実現出来たのは評価されて良いと思う。 肝心の鳥羽伏見の戦いでの逃亡についてだが、大河ドラマでは致し方なくそうなったという描き方だったが、こちらの作品では敢えて敵前逃亡の無責任な将軍という汚名を被る方策を取ったということにしている。 なぜそうしたのかはネタバレになるので書けないが、これはこれで一応の解釈として納得できた。 慶喜に影響を与えた人々は多数いるが、その一人として武田耕雲斎が印象に残った。大河ドラマでも重要人物として出てきたが、彼が天狗党に担ぎ上げられ最後は斬首されるその姿が慶喜にこの国の舵取りをすることの覚悟を与えている。 もう一人印象に残ったのは側妾のお芳。明治時代になって迎えた二人の側室のことは知っていたが、お芳のことは知らなかったので、こんな庶民的な女性が慶喜のそばにいたのは意外だった。だが彼女こそ慶喜の一番つらい時期を支えた女性で、彼女の気丈さ気楽さが慰めになったのだと思った。 戦いに身を投じて死んだり全ての責任を取って自害することも許されない、たくさんの人の上に立つというのは大変なことだと思った。何度も逃げようとお芳に口では言いながら逃げ出さず、最善の方法を模索した姿は大河ドラマでの慶喜とも重なる。 残念だったのは平岡円四郎や原市之進などの素晴らしい家臣が暗殺されたり、薩長はもちろんだが諸大名がそれぞれ自分たちの主義主張を繰り返すばかりで足並みがそろわなかったことで思うように舵取りが出来なかったことだろうか。 しかし考えてみれば現代も変わっていないかも知れない。国会中継などを見ても批判や主義主張ばかりで建設的な議論などほとんどない。それは日本だけの話ではないけれど。 最後に慶喜が明治天皇との謁見シーンは良かった。かつて朝敵とされた慶喜や会津方の子孫を婚姻という形で皇室に迎え入れ、彼らに『落ち度はなかった』ことを示そうと明治天皇が提案したとき、慶喜はどれほど歓喜しただろう。そしてその提案は慶喜の孫の代で実現する。
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一番最近だと、「別府温泉を日本一にした男」 少し前だと「かちがらす〜幕末を読み切った男、佐賀藩主鍋島直正」 植松三十里は静岡市出身。東京大学史学科卒。 平成15年に「桑港にて」で歴史文学賞受賞。 平成21年には「群青、日本海軍の礎を築いた男」で、新田次郎文学賞受賞。 その...
一番最近だと、「別府温泉を日本一にした男」 少し前だと「かちがらす〜幕末を読み切った男、佐賀藩主鍋島直正」 植松三十里は静岡市出身。東京大学史学科卒。 平成15年に「桑港にて」で歴史文学賞受賞。 平成21年には「群青、日本海軍の礎を築いた男」で、新田次郎文学賞受賞。 その学歴を見ただけで、 どれほど史実を丹念に掘り起こし物語に紡いでいく作風かが、しのばれる。 冒頭、慶喜こと七郎麻呂が5歳の時に、 下級武士であろうと重鎮であろうと一切の区別なく学べる場所をと 名君の評判高い父、徳川斉昭が作った、文武両道の藩校、弘道館がでてくる。 どうしても気を使われることが嫌で、最後に藩校を出る七郎麻呂。 雨のある日、下級武士の姉妹であろうかところどころ破れた傘を持ち、 兄を迎えにきた幼女をみて、仲良く二人で肩を濡らしながら帰るのを見て、 羨ましいと見つめる孤独な少年だった。 気を使われる剣術をこのまず、 自分の鍛錬次第でそのまま上達が見込める弓の稽古が好きだった。 先が読める囲碁が好きだった。 京都宮家の血を引く母と、光圀以来日本史の編纂をつづけ、 能力主義で身分に関わらず優秀な人物を登用した父斉昭の いいところを受け継いだ5歳違いの兄と、 頭脳の優秀さも弓の巧みさも、思慮深さも、見た目の美しさも群を抜く子供であった。 思慮深く先を見通す利発な七郎麻呂は、 嫡男でなかったものの、どうしても斉昭が期待をし、手元に置いた。 本人は、常に旧来の門閥と揉めている水戸藩の現状をみるにつけ、立身出世は避けたかった。 ただの人で居たかった人物。 そして、進歩的で、江戸湾と違い外国船の往来を多く見る水戸藩は 外国に対しての戦いの練習も怠らなかったばかりに、 斉昭は危険人物とみなされ現実を見ようとしない幕府から疎まれ、 何度も謹慎処分にされ、慶喜も23歳で、養子先の一橋家を隠居にされている。 謹慎中に知り合ったのが、今でも名前が残る、火消し「新門辰五郎」無頼の親方だ。 そしてその娘お芳とは初めての恋愛感情を持ち得た相手であった。 本音で付き合う町人たちとの触れ合いが、楽しく笑顔にさせてくれる。 今まで、徳川慶喜関連の話題や本、歴史の教科書から、 何か納得のいかないものがずっと心に存在していた。 都から逃げ帰ったという不名誉。 真実は他にあるのではないか? 今年の大河ドラマ渋沢栄一の伝記にしても、 静岡県に残る慶喜の隠居生活の伝聞にしても、 とてもそんな人物とは思えなかった。 慶喜の母、吉子が晩年言うように、 「あなたは、歴代の将軍の中で権現様と同じくらい立派なことをしやりました。 権現様は250年も合戦のない世をつくらはりましたけど、 あなたも大きな合戦をせえへんで、新しい世の中に引き継ぎ張ったんですから。 あなたが権現様の再来ゆうのは、ほんまやと思います。 何事も始めるよりも終える方が難しいし、こないに立派な息子を持って、 母は心から誇らしいし、亡き父上も喜んではりますえ。」 そして、帝との再会で 「あの時、そなたが姿を消したからこそ、 都は(京都)戦火を免れたのだ。都どころではない。日本中が大乱から救われた。 しかし今持って、それに気づかぬ者が、あまりに多い。 だからこそ、こうして食事を共にしたのだ。」 こうして天皇の考えどおりに、将軍当時に追われた相手、 有栖川家の令嬢と息子が婚姻し親戚関係になり厚い交流が続くのだ。 合点がいくような植松三十里の「慶喜の本心」 付箋を貼りながらの、深い読書になった。
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