八条院の世界 の商品レビュー
鳥羽院の愛娘にして遺産の継承者であり、武家政権成立期において隠然たる影響力を保った女院の生涯を辿る内容。鳥羽嫡系の視点から見る前半生も興味深いが、表舞台から引いた後半生の叙述が、当時の公家の競争社会をあらわにしていて面白い。
Posted by
八条院領と言えば「所領220ケ所以上を持ち大覚寺統に継承され~」と、生き残り膨張したのは何故なのか?鳥羽院→美福門院→二条天皇親政派から継承し、八条院を本所と仰ぐ共同体。本所および院宮分国という潤沢な経営基盤を持ち、推挙権御給すなわち叙位の人事権を行使した。八条院領荘園が膨張した...
八条院領と言えば「所領220ケ所以上を持ち大覚寺統に継承され~」と、生き残り膨張したのは何故なのか?鳥羽院→美福門院→二条天皇親政派から継承し、八条院を本所と仰ぐ共同体。本所および院宮分国という潤沢な経営基盤を持ち、推挙権御給すなわち叙位の人事権を行使した。八条院領荘園が膨張した理由は後白河を信用できないと考えるものが多かったから。清華家や公卿を維持したい勢力と互恵関係となり優位な人材を確保して領家を守り切ったから。後白河vs○○という単純な構図ではなく、第3極として立場から歴史を見直したい(2021年)
Posted by
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
平安時代には廷臣や女房が遊ぶ宮廷文化だった将棋は、鎌倉時代になると武家が兵略を学ぶ思考実験となったそう。 藤原定家周辺にかなりの紙幅が割かれているのが、個人的には当たり。定家の母は美福門院加賀だし、姉・八条院中納言が『たまきはる』の話者なので、当然と言えば当然か。歌人としての定家ではなく、上北面として出仕する定家の姿が新鮮。歌人とは言っても平安末期ともなると、和歌ばかり捻ってはいられないんですねー。 75ページ、九条院呈子が六条の国母として…とあるけど、呈子って、九条院号宣下の時、九条兼実に「国母じゃないのに」って言われてたんじゃなかったっけか?
Posted by
第1章 鳥羽院政の後継者 第2章 保元・平治の乱 第3章 八条院院号宣下から以仁王事件まで 第4章 新たな時代の始まり 第5章 しずかなる晩年 第6章 八条院を取り巻く群臣たち
Posted by
- 1