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観世宗家能暦 の商品レビュー

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2022/02/26

・私は能をほとんど見ない。いや、全く見ないと言ふべきであらう。歌舞伎は観るが、能とは縁がない。そんな人間が能の本を読まうといふのである。当然、買つたわけではない。いただき物、有り体に言へば、当たつたのである。懸賞などに応募して当たつたことなどない私にしては、実に珍しいことであつた...

・私は能をほとんど見ない。いや、全く見ないと言ふべきであらう。歌舞伎は観るが、能とは縁がない。そんな人間が能の本を読まうといふのである。当然、買つたわけではない。いただき物、有り体に言へば、当たつたのである。懸賞などに応募して当たつたことなどない私にしては、実に珍しいことであつた。それほど応募者が少なかつたのであらう。それが観世清和監修「観世宗家能暦」(淡交社)である。監修とあるのは、編著者が「編集・文=小野幸惠」の小野氏であつて、観世宗家本人はあくまで語りはしたけれど文章にはしてゐないといふことであらう。「あとがき」の最後(173頁)に小野氏への感謝の意が述べられてゐる。本はさすが淡交社、凝つた作りの本である、と素人の私は思ふ。函(?)は片方だけの差し込みではなく、両方からの差し込み式である。かういふのはないことはないのだが、私はほとんど知らない。大体、最近は函のない本が多い。函は基本的に黒に金文字といふ感じで、いかにも高級感あふれると言ひたげである。本体表紙は藍色鳩羽色(?)に金文字である。書名は副 題つき、「観世清和が語る 七〇〇余年受け継がれる伝統と継承」といふ、長いがそのものズバリのタイトルである。写真が多いからであらうか、本文用紙は厚い。そのせゐでいささか開きにくい。無理しなくても、少し押さへただけでのどが割れさうである。180頁に足りずに定価3,500円、買ふ人は限られるであらうからこれで良いのかもしれない。それゆゑに、私が個人的に買ふことはない本ではある。 ・とはいふものの内容はおもしろかつた。何といつても観世宗家伝来の鬼の写真2枚である。赤鬼と黒鬼であるが、 これを音読みでシャッキ、コクキと読む。これは、「我が家には平安時代の作とされる『翁』の面と共に大切に『赤鬼』『黒鬼』の面が伝わり、この二つの鬼の面は桐の面箪笥の最上段に翁面と同格に安置されております。」 (124頁)といふもので、春日作、重要美術品(100〜101頁)である。修正会や修二会の追儺に使われてゐたものだといふ。「先祖たちはこの鬼の面を掛け、世の中の平穏と人々の来福を願い、災厄を一身に背負う儀式に臨んでいたであらう」(同前)といふのだから、後の節分の鬼のそもそもを田楽師が勤めてゐたらしい。その鬼はかくも精悍といふか、力強いものであつた。般若面やこのあたりの鬼とは全く違ふ風貌である。観世宗家にはこのやうなものがあり、しかも大切に扱はれてゐたとは、このことを私は全く知らなかつた。これらは、「本来であれば、追儺式を終える度に災厄と一緒に面を土に還していた様ですが、恐らく先祖が追儺式のお役御免となった際に、後世へ伝えるため」(124頁)に残したものであるらしい。とすれば、これは重要美術品といふやうな物ではなく、その年その年の使ひ捨ての面であつたのであらう。それにこれだけの迫力がある。大したものであるとしか言へない。歌舞伎の家が古いと言つても所詮は400年、初代市川團十郎からしたら350年程度であらう。しかも、このやうに古い面や衣装等は残つてゐない。能とは古さが違ふ。ただ、江戸幕府により能は式楽とされたゆゑに、庶民とは縁遠い ものとなつてしまつた。それでも町入能といふものがあつたといふ。「これは町の人達、落語でいえば熊さん、八ッつぁんのような庶民も観ることができ」(林望、79頁)た。だから、「武家『式楽』とは異なるかたちで、別の場面で能は江戸の庶民文化を創り支えていった」(同80頁)といふ。歌舞伎しか観ない人間からすれば意外であつた。700年の伝統はだてではないと知つた書であつた。

Posted byブクログ