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体験の哲学 の商品レビュー

3.7

28件のお客様レビュー

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2024/12/08

1 どんな本? 飲茶さんの実践書。体験リストを使用して人生 を充実させ今を生きる事を進める本。 2 なんで読んだの? (1) 著者のファンだから。 (2) 新たな哲学を知りたい。 (3) 説明できる状態になりたい。 3 感 想 ...

1 どんな本? 飲茶さんの実践書。体験リストを使用して人生 を充実させ今を生きる事を進める本。 2 なんで読んだの? (1) 著者のファンだから。 (2) 新たな哲学を知りたい。 (3) 説明できる状態になりたい。 3 感 想 体験に意識を向けて今を生きれるようにリスト を使用して下さいと言うのはわかるが、とても使 用しようとは思わなかった。著者の作品はどれも のめり込めるがコレは違う。

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2024/11/30

最後に西田幾多郎の純粋経験が目指すべきもの、とあるが、ちょっと全体的に薄いような気がする。 心して体験すべきという主張はよくわかるが。

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2024/10/08

インターネットや読書などを通じて知識を取り入れることも大事だが、何より体験することが大切である。当たり前のことだよなーと思いつつも、じゃあ自分はどうかと付属のチェックリストも参考に振り返ってみました。 結果、名前やどういったことかは分かっているが、実際に食べたりやってみたりした...

インターネットや読書などを通じて知識を取り入れることも大事だが、何より体験することが大切である。当たり前のことだよなーと思いつつも、じゃあ自分はどうかと付属のチェックリストも参考に振り返ってみました。 結果、名前やどういったことかは分かっているが、実際に食べたりやってみたりしたことがあるものって以外と少ないもんだなと思いました。 確かにフルーツなど、知識の先入観があって「これは酸っぱい!食べなくても分かる!」といった場面、結構あるなと思いました。 そういった先入観を捨てて、実際に体験をする機会を増やす。それも人生を充実させることにも繋がるのかなと感じました。

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2024/08/10

39ページにもおよぶ体験チェックリストに魅了を感じて購入。日々の生活が退屈だなー同じことの繰り返しみたいだなーと感じている方にオススメしたい一冊。世界には未知の体験が溢れている。チェックリストを見てるだけでもワクワクしました!

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2024/07/03

■評価 ★★★✬☆ ■感想 ◯ハードルの低い事柄から、実践。体験を勧める本。 ◯他の飲茶作品とは違い、著者の主張を1つ述べる形式である。本自体の分量は薄い。 ◯主張はヒュームの流れをくんでいるように思う。 ◯チェックリストが膨大であった。これを眺めると次にやりたいこと、休日大き...

■評価 ★★★✬☆ ■感想 ◯ハードルの低い事柄から、実践。体験を勧める本。 ◯他の飲茶作品とは違い、著者の主張を1つ述べる形式である。本自体の分量は薄い。 ◯主張はヒュームの流れをくんでいるように思う。 ◯チェックリストが膨大であった。これを眺めると次にやりたいこと、休日大きめのスーパーに行って、食べたことのないものを食べるという楽しみができるなと思った。

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2024/03/13

「なっちゃいない。漫然と日常を生きるな。何を前にし、何をしているか意識しろ」範馬勇次郎の言葉。 人生とは体験の束である、なのでその体験を薄ぼんやりとしか感じなければ、人生そのものも薄ぼんやりになる。 体験を感じていない状態は死と同じ。哲学的ゾンビになっていないだろうか?完全に感じ...

「なっちゃいない。漫然と日常を生きるな。何を前にし、何をしているか意識しろ」範馬勇次郎の言葉。 人生とは体験の束である、なのでその体験を薄ぼんやりとしか感じなければ、人生そのものも薄ぼんやりになる。 体験を感じていない状態は死と同じ。哲学的ゾンビになっていないだろうか?完全に感じていないことはなくとも、鈍くなっていることはあり得る。たとえば、帰り道、子供の頃は何もかもが新鮮だ、しばらくすると小石や草などの細かいものは意識にのぼらずないものとされる、さらに行くと、空、道、地面くらいにまで意識の上で抽象化され、最終的には帰り道としか認識されない。これは哲学的ゾンビに近づいて行っていると言えるのではないのだろうか。「体験を味わって生きる。」この事により幸福を得れる。もし体験(思考体験も含む)を意識にのぼらさない薬があったら飲むだろうか?一億もらっても飲まないだろう。それは体験を感じられないのは死んでいると同じだからだ。 人は知っているものに囲まれて生きていくと感覚が鈍化して、生きている実感がなくなっていく。 人は色々なことを経験していくが、それがどんな経験であったかを全く思い出せないとしたら、それは本当に体験した「知っているもの」だと言えるのか?名前は知っているけど実際に体験していないことなどごまんとある。ベーコンは「知は力なり」と経験して確かめた知識が力になる、逆に言えば経験していない知識は役立たずと述べている。経験していない知識はイドラと述べた。言葉としてだけ知っている知識を知っているものとすること、市場のイドラと呼ぶ。どれが体験に基づく基づかない知識かなかなか見分けがつかない。 哲学の理論の1つとして「そこにモノが存在するのは、あなたがそれに関心を向けているからだ」というものがある。なので関心の幅を広げることが大事。 「自分が何を美しいとしている人間なのかを知ること」は大切、それが自分自身を知る自己理解になる。哲学では、感性と知性について研究してきた。前者は人間は何を美しいと感じるのか?後者は人間は何を正しいと思うのか?である。 それぞれのファッションを身につける人に対する固定概念があり、それに応じた振る舞いをさせる。そして、そのふるまいが自己イメージを規定させ、自分にも他者にもそうさせる。しかし、その自己イメージは本当にあなた自身なのか?いいえ、もしかしたらその因果関係は逆であり、「そうしたものを身に着けているからそうした振る舞いをしている」のかもしれない。違ったファッションならまた違った自己イメージになるかもしれない。自己イメージなんそかえの効くものであり、そもそも存在しない。それを自覚することで、あなたを「意味(ラベルづけ)」の呪縛から解き放ち、人生を自由に幸福にしてくれるだろう。 知識のあふれる社会になり、知識の価値が下がる、相対的に体験の価値があがる。友達と喋っている時求めるのは恋愛テクニックよりも、友達が告白してどうなったかだろう。求めるべくは「知識のストック」より「体験のストック」、「知識の交流」より「体験の交流」である。お互いの体験に価値が感じられる人間関係の構築が今後充実した人生を送れるようにするのではないか? 体験の量が問題ではなく、体験の質について自覚的であることが最も大切。体験していないこともまた個性。 何気なく使っている言葉も身体に由来する言葉が多かったりする。身体体験を増やすことで言葉(概念)を増やせる。 何か体験をする時に、言葉に当てはめると、体験が規定される。夕焼けを見た時にたとえると、その時の体験ではなく昔の体験の想起になる。(例えは過去の表現)なので今その瞬間を味わうことが大切。 「行為それ自体が目的となるような行為が幸福だ」今起こっている体験それじたいを目的にする。それ自体が目的だから比較する必要もなく、言語化する必要もない(後から必要に応じてすれば良い)。そのように体験そのものを味わう時「純粋経験」があなたに訪れ哲学が定義する幸福を味わえる。

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2024/01/23

哲学を初心者にもわかりやすく、有名格闘漫画を絡めて哲学を紹介してくれる、 史上最強の哲学入門が、哲学書を読む人たちの中で知られているかと思います。 そんな飲茶さんの体験の哲学というこの本は、 言ってしまえば、知識ではなく、体験をするべきということを 謳っています。 要するに、知...

哲学を初心者にもわかりやすく、有名格闘漫画を絡めて哲学を紹介してくれる、 史上最強の哲学入門が、哲学書を読む人たちの中で知られているかと思います。 そんな飲茶さんの体験の哲学というこの本は、 言ってしまえば、知識ではなく、体験をするべきということを 謳っています。 要するに、知識の上で知っていることであっても、 実際に体験したらどうなるかといった感じのこと。 細かいことは読んでもらうと解るので語りませんが、 本を読んで知ったことをただ知ったというだけに留めて、 結果忘れてしまうような、何も得られず成長しないようなことを、 実際に読んだ後に、アウトプットをして成長するみたいな、 それのもっと具体的に行動を起こすみたいなことかなと解釈します。 漠然と体験するのではなく、気構えをして体験しろって感じでしょうか。

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2024/01/20

図書館で発見した『体験の哲学: 地上最強の人生に役立つ哲学活用法』(飲茶)。 タイトル見て「?」となったためです。 そうして開いて読んでみると、 【自分で経験する事の楽しさ】を思い出しました。 やった事がない物事なんて周りにいくらでもあるのに、 やった気になってほったら...

図書館で発見した『体験の哲学: 地上最強の人生に役立つ哲学活用法』(飲茶)。 タイトル見て「?」となったためです。 そうして開いて読んでみると、 【自分で経験する事の楽しさ】を思い出しました。 やった事がない物事なんて周りにいくらでもあるのに、 やった気になってほったらかしになってしまっている。 To Do List熱が再燃。 第4章にあるリスト全部手に入れたくなった……。 ここの部分ちぎったら怒られるだろうなwwwっていうくらい魅力的。 ああぁ〜……………

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2023/11/17

『体験の哲学 地上最強の人生に役立つって哲学活用法』 著者 飲茶 ポプラ社 普段哲学者の解説本などを書いている飲茶さんの哲学実践書。 この本の要諦は人生とは体験の束であるという前提条件をもとに「普段見過ごされている日常的な体験に目を向け、その体験を意識して味わって生きよ」とい...

『体験の哲学 地上最強の人生に役立つって哲学活用法』 著者 飲茶 ポプラ社 普段哲学者の解説本などを書いている飲茶さんの哲学実践書。 この本の要諦は人生とは体験の束であるという前提条件をもとに「普段見過ごされている日常的な体験に目を向け、その体験を意識して味わって生きよ」ということである。この本の巻末に体験のチェックリストなるものがあり、そこには膨大な体験の数があり、そこにチェックボックスでチェックを入れる形になっている。 この体験を意識して生きるということに関して、現代では知識の価値が下がっているのではないかという鋭い洞察をしている。 インターネットが普及し、ある程度の知識というものは検索をすれば簡単に手に入るようになった。 もちろん、検索のうまい下手はあるのかもしれないが、その用語の意味やそれの成り立ちに関してぐらいの知識なら「◯◯ 意味 〇〇 歴史」などという言葉を入れれば簡単に、わかってしまう。 そしてそれに反比例するかのように体験に関してはまだ検索では代替できないものとなっている。体験には唯一性というものがあり、それはその人にしか感じられないものであるという特徴がある。 ある人がたとえば、バンジージャンプをしたとして、1人はそのバンジージャンプに関してただ恐かったという体験を話すのに対して、もう1人は景色が高速で変わっていってすごい新鮮だったなどと楽しそうに話すかもしれない。 このように、同じ体験をしても、その人独自の感性が入り込み、知識と違い完全に一致することはない。 これはいわゆる今の社会に求められる個性的な人間像を形成する一歩ではないだろうか ちなみに著者はこのようなことを書いている。 たとえば、あなたの目の前に友達がいたとします。そのとき、その友達が「知識(一般的な恋愛テクニック)」について話してくれるよりも、「たいけん(彼が実際に告白してどうなったか)」について話してくれた方がよっぱど楽しく、有意義な時間を過ごしたと思えるでしょう。つまり、対人、特に友人関係においては「知識」よりも「体験」について語り合った方が楽しいわけです。 ちなみに、先の例え話で、相手の体験談に興味がない(価値がない)場合は、あなたはその人のことを友達だと思えていないと言っていい意かもしれません。このことは逆に言えば「その人の体験を知りたい」とあなたが思える(もしくは思ってくれる)相手こそが、あなたにとって親しくすべき人間であり、友人であると定義して良いと思えます。 この筆者の意見は中々鋭い洞見である。確かに、知識というものよりも体験というものの方が人と人を繋ぐ力は強いだろう。同じ釜の飯を食うとは同じ体験をすることで仲を深めるという意味であるし、すごい人に聞きたいのは一般的知識ではなく、その人がどういう体験をしてきたかである。自己啓発本などはその類であることは間違いない。 最後の方で筆者は体験をしないということも一つの個性であると書いている。つまり、どのくらい多くの体験をしたかではなく、どれだけ濃い体験をしたかである。量ではなく質の問題であり、それこそが人生の質なのだろう。

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2023/09/16

創作すれば無限に事物の名称は増やす事ができ、体験もまたその定義の仕方で無限大。だとすれば、何かを意識して体験するとして、また、それをコレクションやドラゴンクエストみたいに達成したからとて、そこに何ゆえの哲学があろうか。確かに、漫然と生きるより、感動しながら生きる方が人生は色鮮やか...

創作すれば無限に事物の名称は増やす事ができ、体験もまたその定義の仕方で無限大。だとすれば、何かを意識して体験するとして、また、それをコレクションやドラゴンクエストみたいに達成したからとて、そこに何ゆえの哲学があろうか。確かに、漫然と生きるより、感動しながら生きる方が人生は色鮮やかだ。しかし、それは体験至上主義とは異なる次元の話であり、体験追求型は結局、人生の暇つぶしの一種に過ぎない。 漫然と日常を生きるな。何を前にし、何をしているかを意識しろ。刃牙の親父の言葉に作者が感化されたのは分かった。世界には未体験が溢れている。ワクワクしながら生きたい。それにも、物凄く共感する。だけど、知識よりも体験談に価値があるなど、何やら混乱した発言が目立つ。他人の体験談こそが、言語であり知識ではないか。 こういう本を読む。ならば、読解した文章は体験か知識か。読書ならば体験。読解なら知識。こうした問答そのものが、意識の成果だろうか。言葉遊びに近い。言語化を善とする思想は安易過ぎるとも思えなくもない。

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