ものが語る教室ジュゴンの骨からプラスチックへ の商品レビュー
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1994年だったのか、「僕らが骨を拾うわけ」から。約30年前だけど、それはとても刺激的な教育書だった。 そのスタンスは変わらずあることに強く感じた。
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ゲッチョ先生の歴史をたどるような本だった。 海岸で骨を拾ったり、死体を拾って骨格標本を作ったりといったこれまでに書いてきたことも、流れがわかると感慨深い。 『めんそーれ!化学』では書き切れなかった、沖縄の人々と海獣(主に鯨、ジュゴン)との関わりと歴史も文献と取材から丁寧に描かれて...
ゲッチョ先生の歴史をたどるような本だった。 海岸で骨を拾ったり、死体を拾って骨格標本を作ったりといったこれまでに書いてきたことも、流れがわかると感慨深い。 『めんそーれ!化学』では書き切れなかった、沖縄の人々と海獣(主に鯨、ジュゴン)との関わりと歴史も文献と取材から丁寧に描かれている。 ゲッチョ先生のお父様の盛口襄さんの晩年の様子なども胸が熱くなる。この父にしてこの息子なんだなあと。教師として、研究者として、現実生活から離れずに実践を重ねて科学の面白さを伝える。 特にお父様が晩年毎日食事を作り、最後まで気にかけていたというのは、昭和の男としては本当に凄い。また、調理を完全に任せていたお母様も、今ならあり得るが、当時の女性としては珍しかっただろう。 ゲッチョ先生は小説家ではないが、ゲッチョ先生を育んだ、このちょっと変わった家庭の小説を読んでみたいなあと思う。 身につけるものには無頓着でセーターは一枚しか持たず、使い込んだザックには動物の骨や剥製が入ってるゲッチョ先生もかなり面白く、親子二代で小説にしてもいい。教え子と対等どころか、分からないことがあれば進んで教えを乞うところも、年取ってできる人は少ないと思う。 この本では、ゲッチョ先生とお父様の人間としての魅力につくづく感じ入った。 学びに「コスパ」を考えることに対して 「「これをするとこうなる」。こんなふうに、学びに単一の目標が立てられるのは、時間をごく限って考えたときの話だ。本当は、物事は、多重的な意味あいを持っている。ただしそれは長い時間をかけて見なければわからないこと」(P167) 「教える側ではなくて、教わる側がリアルなことが大事だってことだよね。教わる側が何かを学んだと思うときに、初めて教える側の存在意義ができる。」(P197)
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なんとなく図書館の新書コーナーで手に取った本。 理科の先生、主に生物学、骨の話だった。 理科って自然のことを扱うことが多いんだけど、自分達の身近にある自然をまずちゃんと認識することが大事なのかな。身近にいないライオンは知ってるけど、足元にある雑草の名前は知らない。 骨の標本だと知...
なんとなく図書館の新書コーナーで手に取った本。 理科の先生、主に生物学、骨の話だった。 理科って自然のことを扱うことが多いんだけど、自分達の身近にある自然をまずちゃんと認識することが大事なのかな。身近にいないライオンは知ってるけど、足元にある雑草の名前は知らない。 骨の標本だと知っている動物もキャラクター化して考えているから、実は全然知らない。(豚や狸の頭の骨は思っているより丸くない!) ホンモノを知ることが大事。そして、骨からいろんなことがわかる。食べ方や進化の過程、そしてくらしやれきし。いろんなものが繋がっている。 そんな骨を海で拾えるなんて知らなかった!海にはいろんな漂着物があって、流木だけかと思っていたけど、海の向こうのものや、海の中のものなどたくさんあるんだな。 面白かったのは、コスパの学びの話。コスパの良い学びの最終目的地は資格試験だったり、目的がかたちに残ること。逆にコスパが悪い学びとは学びの結果が必ずしもかたちに残ることではない。なにかをやるときに、なんとなく面白そうだと思い、追いかけ始めたけれど、途中で追跡がとまったしまったり、初めの目標とまるで違った結果に辿り着いたり、何がどうなるかわからない。何かを始めるときに、その結果まで見通せることなんて、そうはない。「これをすると、こうなる」と言う考え方は、まさに消費社会的に、いくらのお金を払えば、即座に、ある商品が手元に届くと言うシステムの反映に過ぎない。物事に、たった1つの意味しか見出せないのは、それこそコスパが悪いんじゃなかろうか。何度も思い返し、その都度、何度も新たな解釈を引っ張り出せる学び。 プラスチックの歴史の話も面白かった。象牙のビリヤードのボールの代わりに初めてプラスチックが使われて、今はいろんなものがプラスチックに変わってしまった。プラスチックの代替品になったものは何があるのか、すごく気になった。プラスチックは石油からできているって恥ずかしながら知らなかった。石油は変化しにくいから、そりゃプラスチックも分解しにくい性質があるよね。 著者のお父さんの言葉も印象に残るものがたくさん、化学は人間の歴史を学ぶ学問。人間は手が自由になった時石を運んで石を作った、これが原点。 今自分の周りにあるものは何なのか、何からできているのか、どうやってできているのか。それを知っている人はどれくらいいるんだろう。もっと身の回りのことから知りたくなったな。
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著者の父親は,化学教育の世界では有名な(? わたしでも知っている)盛口襄さんだ。本書の巻末には,死を前にしたその盛口襄さんの詩「窓」が載っている。 本書はほかにあまり例のない編集内容の本だと思う。 授業実践の話から始まるのだが,その授業づくりから,話は著者の生きてきた道程...
著者の父親は,化学教育の世界では有名な(? わたしでも知っている)盛口襄さんだ。本書の巻末には,死を前にしたその盛口襄さんの詩「窓」が載っている。 本書はほかにあまり例のない編集内容の本だと思う。 授業実践の話から始まるのだが,その授業づくりから,話は著者の生きてきた道程にも繋がっていく。長く,自由の森学園で教えていたこともあり,その時の教師経験が後の自分の教師観を作ったようである。しかも,父親からも多くの影響を受けていたことも語られる。 著者は「エピローグ」で, どんな話を書いたらいいか,最初は迷ったのだけれど,やがて骨を使った授業と,そうした授業をつくり出すもととなった父の影響について書いてみよう,と考えがまとまった。(p.220) と書いている。なるほど,確かにそういう本に仕上がっていると思う。 本書のほとんどを占めるのは「ホンモノの骨というモノを使った授業」の話だ。この話だけでも十分面白いが,父親と同じ道を選んだ息子としての自覚と決意が所々に表れていて,ついつい自分の親父も思い出してしまう。 そうそう本書を手に取ったのは,「能登里海教育研究所」という言葉が出てきたからである。海から拾ったモノという点では,動物の骨もプラスチックも共通しているからなあ。 ○授業づくりのポイントで一番大事なのは,「生徒の常識から始まって,生徒の常識を越えること」。(p.75) そのとおり。わたしもそう思って授業を組み立ててきたよ。特に大切なのは「生徒の常識から始まる」ってことだよね。「常識から科学へ」…これが現役時代のわたしの指導観でした。 ○「これをすると,こうなる」。こんなふうに,学びに単一の目標が立てられるのは,時間をごく限って考えたときの話だ。本当は,物事は,多重的な意味合いをもっている。ただしそれは長い時間をかけて見なければわからないこと。(p.167) 昨今の,学力調査の点数を重視する,現場の低俗化した学力観(とそれによる教師たちの疲弊)を見るにつけ,もう一度,教育の原点に帰ることの大切さを感じるのである。
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学ぶこと・教えるこって、なんだろうか。ゲッチョ先生が、教え・教えられ、その授業の様子やかつての教え子たちとの交流、父親の思い出を振り返りながらゆるゆると考える。 ・自然を学ぶ。 ・自然の学び方、学ばせ方を学ぶ ・教え方には順番がある。 →学生やこどもにかけられた呪いのような魔法を解く必要がある。しかし、反対に魔法をかけることもある。 ・「生徒の常識から始まって、生徒の常識を超えること。」 ・生きものの暮らしと歴史 ・ジュゴンのことを淡々と書いている。 ・学びのコスパ →目標があると最短と効率を目指してしまう →学びの結果が必ずしも“かたち”に残るわけではない。それでも、何かを学んだと思うときがある。 →予測不能な多重的な学び。 →手間暇をかけて、自分の目を鍛えること。学ぶことは、時間がかかり、終わりがない。 ・プラスチックとは →壊れやすく、分解しにくい ←最初は、自然物の代用品として利用された。プラスチックの次はどうなるのかな。自然物も、自然物だからこそ大量消費は出来ない。結局は、手元にきてくれたモノを大切に長く使うことをもう一度よく考えなくては。 →プラスチックのイミテーションに囲まれ、本物に触れる機会が減った。モノを通しての歴史を学ぶ機会の減少。 ・考える、教える、暮らす 〇お父さんから受け取ったカケラを、生徒や子どもたちに手渡し、また広がっていってる様子がいいなあと思った。 なんとなく、伊能忠敬を思い出した。 〇現場の先生方や教職を目指している方たちにも読んで欲しいな ※誤字がありました。変換ミスかな。 P145 「湧き水を溜めた池に鯉を買っていて、」 →「湧き水を溜めた池に鯉を飼っていて、」
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